2015年5月31日日曜日

第三回:ミュージカル・ソングについて「サブテキスト」

 
 今回は"Subtext"(サブテキスト)という概念について、ミュージカル・ソングにおける歌詞と音楽の役割とも合わせながら書いていきたいと思います。

 「サブテキスト」とは"Text"(テキスト)に対する"Subtext"(サブテキスト)、すなわち「文章」に対してその「行間」にあたり、芝居においては台詞や行動で表していることに対して、その裏にある考えや感情にあたります。

 サブテキストは、日常においても様々な形で存在すると思うのですが、例えば、本当はものすごく辛い時でも「大丈夫?」と聞かれると、相手に心配をかけたくない等の思いから、「全然平気!」と応えたりするような場合、「本当はものすごく辛いけど、心配はかけたくない。」というのがサブテキストです。

 この矛盾した状態を、ミュージカルにおいては歌で絶妙に表す事ができます。というのも、ミュージカル・ソングにおいては、それぞれ歌詞がテキストを、音楽がサブテキストを担当するためです。

 先ほどの例にあてはめると、歌詞では「全然平気!」と言っていても、音楽が「ものすごく辛い」感じだった場合、観客はそのミスマッチに気づき、そして「ああ、本当は辛いけど、無理して平気と言っているんだな。」とわかります。

 実在のミュージカル・ソングでは、『シカゴ』で、弁護士のビリー・フリンが歌う、"All I Care About"(「私にとって大切なのは」)が良い例かと思います。この曲でビリーは、一貫して「お金なんかいらない。私にとって大切なのは愛なんだ。」と歌詞では真摯(そう)な主張を展開しますが、一方音楽は実に軽妙で、むしろ彼の話術や世渡りのうまさの方を想起させます。結局、その後のストーリーの流れからも、彼にとって大切なのがお金であることは明白になり、タイトルで"All I Care About (Is Love)"と言い切らないことでそれを暗示しているのも絶妙だなと思います。

 そのようにミュージカル・ソングにおいては、キャラクター [1] にその考えや感情をあからさまに歌詞として歌わせるのではなく、上記のようにサブテキストとして音楽で語らせるようにするので、その表現が成り立つ前提として、歌詞はあえて嘘をつくことができる一方で、音楽はいつも本当の感情を語るように作られています(音楽は歌の「嘘発見機」とも称されます)。

 そのため、もし描き出そうとしている感情が音楽で的確に表せていない場合は、それ自体がどんなに素敵な曲であっても、残念ながらミュージカル・ソングとしては機能していないということになります。

 今回は「サブテキスト」という概念について、ミュージカル・ソングにおける歌詞と音楽の役割と合わせてまとめてみました。次回は、ミュージカル・ソングについての最終回として、「歌の作り」について書きたいと思います。

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[1] "Character"(キャラクター)は「登場人物」のことなのですが、キャラクターと言う語の方が、それぞれの人格を指す意識が感じられるように思うので、今回は「キャラクター」の語で統一させて頂きます。

2015年5月30日土曜日

第二回:ミュージカル・ソングについて「なぜ歌うか」


 今回からは三回にわたって、BMIワークショップに参加する中で学んだミュージカル・ソング、及びそのライティングについてまとめさせて頂きたいと思います。

 それでは今回は、ミュージカルでは「なぜ歌うか」、ミュージカルにおける歌うという表現について書いていきたいと思います。

 歌うという表現は、ミュージカルにおいて特徴的な表現形式の1つですが、ただしミュージカルではエンターテインメントの為だけに、芝居の中に音楽を挿入したり、台詞を無理矢理歌にしているわけではなく、物語をより良く伝える目的で、歌には歌の、台詞には台詞の役割が明確に意図されています。

 というのも、同じ情報量を伝えるのであれば、実際には歌うよりも台詞で言った方が短時間ですむわけですが、逆に歌だからこそできることがあり、その効果は"Magic of Musical Theatre"(ミュージカルの魔法)とも呼ばれます。

 例えば、「出会ったばかりの二人が恋に落ちる」とか「あっという間に月日が流れて」という、台詞のやり取りで自然に観せるには、ある程度まとまった時間のかかるストーリー展開が、歌と、更に照明や装置の転換を以てすれば、ほんの数分のうちに成し遂げられてしまいます。それは、歌という非日常的な表現によって、まさに魔法がかかったように、急激な場面転換やストーリーの加速さえも自然に受け入れられてしまう、ということなのではないかと思います。

 ただし、歌は基本的に感情を歌い上げる劇的な表現なので、ストーリー展開の為に観客にしっかりと聞いておいてもらいたい情報などは、台詞で淡々と展開した方が効果的なこともあり、どこを歌にするかという"Song Moment"(ソング・モーメント)の見極めは、制作において非常に重要な部分です。

 また、ミュージカル・ソングの傑作の中には、後にスタンダードとしてそれ自体が大ヒットした曲もありますが、制作の段階ではどの曲もあくまで作品の一部として意図されており、物語を進める役割を担っているので、ミュージカル・ソングは他のジャンルの歌とは内容的に少し違った特徴を持っています。

 それは「感情が頂点まで高まった場面で歌い出す」という点と、そして「歌い終わった時には別の境地に辿り着いている」という点です。それに関して、作曲家ジェイソン・ロバート・ブラウン[1]が、あるインタビューの中で「(ミュージカル・ソングと対比して)ポップス曲では、感情が必ずしもどこかに向かう必要がないので、それはそれで書くのが楽しい。」と語っていたのを聞いたことがあり、印象的でした。

 すなわち、感情が高まっていない場面はミュージカルにおけるソング・モーメントではないですし、歌い終わった時に心境的に何も変化していなければ、それもミュージカル・ソングとして成功しているとは言えないことになります。

 また、歌うということがミュージカルにおける1つの表現形式であることから、登場人物が「自分は今歌っている」と認識しながら歌っているような歌も、基本的にはタブーとされています(例外はあるそうです)。

 今回はミュージカルにおける歌うという表現についてまとめてみました。次回は「サブテキスト」という概念について書きたいと思います。

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[1] Jason Robert Brown (1970 - ):トニー賞受賞作品『パレード』、『マディソン郡の橋』の作曲者

2015年5月29日金曜日

第一回:前書き

 
 予告させて頂いてから少し時間が開いてしまいましたが、今回から全八回にわたってBMIワークショップ、及びそこで学んだミュージカル・ソング・ライティングについて少しまとめてみたいと思います。  

 まだまだ勉強中の身ですが、ここでの経験を様々な形で(作品が一番ですが!)発信していきたいという思いから、今後定期的に振り返っては修正していくつもりで、書かせて頂ければと思います。少しマニアックな内容になってしまうかと思いますが、願わくばミュージカル[1]に興味のある方にも、そうでもない方にも、少しでも面白く読んで頂ければ幸いです。 

 今回は、私がBMIワークショップに参加する中で、特にソング・ライティングについて学んだことを、適宜それに対する考察を雑えながら書かせて頂きます。いずれは文献等参照して内容を補強するとともに、ミュージカル作品全体の組み立てや、上演に至るまでのプロセスについて、またBMI以外のワークショップやプログラム、フェスティバル、アワード等、そしてできればアメリカ以外の国でのミュージカルについても、あらためてまとめられる機会があればと考えています。

 それでは次回から、まずはミュージカル・ソングについて三回に分けて書いていきたいと思います。

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[1] 英語では「ミュージカル」のことを"Musical Theatre"(ミュージカル・シアター)と呼ぶことが多いのですが、今回は「ミュージカル」で統一させて頂きます。

2015年5月15日金曜日

セントラルパーク散歩

またまた間が開いてしまいました。近頃はBMI Workshopでの発表が立て込み、そちらで少し忙しくしていたのですが、先日ようやく今年最後の発表が終わりました。

クラス自体はまだあと一ヶ月ほどあり、来月からはAdvanced Classへのオーディションを兼ねた最終発表に入るのでそれに向けてこれから書き直しにかかるのですが、ひとまず一区切りが着いた事にほっとしています。

そこでこの機会に、5月中に数回に分けてWorkshopについてこちらのブログでまとめさせてもらいたいと思っています。良ければどうぞおつき合い下さい。


ところで先日は、そのほっとした勢いで久しぶりにCentral Parkをゆっくりと散歩して来ました。

少し曇りで涼しめの日だったのですが、歩いて回るにはとても良いお天気でした。

Central Parkはなかなか広く、まだ全部をぐるっと回ってみたこともないのですが、今回は今まで行ったことのなかった北側から入ってみたので色々と新しい発見があり楽しかったです。今年の冬も長かったので、短い春を出来るだけ満喫したいと思います。