2016年8月19日金曜日
散文:石川啄木の詩に寄せて、そして7周年
じっと手を見るとき
人は自らの存在を見つめているのだと思う
手は意思を動きへと転換し
世界に働きかける
それは鏡なしに目にする
自分の姿でもある
それ故自らの思う自分を
投影している
手とは第二の顔である
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石川啄木の一握の砂、「我を愛する歌」の中の
はたらけど
はたらけど猶なほわが生活くらし楽にならざり
ぢっと手を見る
という詩は、初めて知った時からとても印象に残っているのですが、ふと最近手は顔なのだなあと思いました。自分の手にしても、人の手にしても、その人の有り様をとてもよく表しているように思います。それで、石川啄木も「ぢっと手を見」たのではないかと思ったりしています。
昨日でニューヨークに来て7周年を迎えることができました。毎年、終戦記念日が過ぎ、お盆の送り火が過ぎると、この日がやってきます。特別なことをするわけではありませんが、自分のこれまでとこれからを振り返り、これまでを支えてもらってきた皆さんに感謝を新たにする記念日にしています。