2015年12月21日月曜日
英語について思うこと:さいごに
英語について、日常会話が難しいというところから、コミュニケーションの根本的なところで日本語と違うところがあるのではと思い至り、そしてそこから笑いの方向性や表現の直接的でないあり方、その他にも反対なことについて考えてみました。
その結果思うことは、ひとまず英語と日本語との間には、単語と文法を置き換えるだけでは対応できない、もしくは簡単には置き換えられないような大きな違いあるなということでした。
もちろん、結局のところはコミュニケーションなので、大なり小なり共通するところ(日本語でも、気を遣う場合には実際直接的な表現を避けていますね、等)はありますが、ただそれぞれの言語が重きを置く部分に違いがあることを認識するのは、他方の言語を理解する助けになるのではと思いました。
英語に関していえば、学習するにつれ「英語がまだ足りない」と認識することもさることながら、しみじみと実感するのは「日本語の影響力」の強さです。これは思えばアメリカに来てすぐの頃に受講したESL(English as a Second Language)の先生もおっしゃていたことなのですが、日本人にとっての英語学習の一番の難しさは、日本語と英語が違う部分に対して、「アレ?」と一旦躓いた上でそれらを一つずつ乗り越えていかなければならないことにあるのではと思います。
このことがあるので、その言語を高い段階で習得するには、やはりその言語が母語として話されるコミュニティーに入って、その実際の使われ方を見ることが重要なのではと思います。とはいえ、実際中に入ってしまうと余裕がなくなってその場を切り抜けるだけで手一杯、ということも往々にしてあると思うので、今更ながらテレビドラマを見るのは大事だなと思います。これならば、安全な環境にいながらにして冷静に自然な会話を観察できます。そういうわけで、最近は"Friends"などのドラマを見返したりしています。
今回は、コミュニケーションの根本的な考え方に特に着目してみたのですが、その他にも近頃「発音」や「自意識」についても、日本語と英語で違うなあと面白く思ったことがあったので、また機会があればぜひそれらについても書いてみたいと思います。
以上「英語について思うこと」でした。お付き合いありがとうございました。
2015年12月19日土曜日
英語について思うこと:日本語と反対なこと
これまで、「笑いの方向性」や「直接的でないこと」における英語と日本語の違いを見て来たのですが、今回はその他で日本語と英語のコミュニケーションで方向性が違うなと感じたことを二点ほどあげてみたいと思います。
①同意のYes 対 内容に対するYes
英語で一瞬答えに詰まってしまうことの一つに否定疑問文("Isn't he busy now?"「彼は、今忙しくないのですか。」等)があります。私の日本語的な感覚では、話し手が「〜なのではないか」と考えていることに対して、同意の意味で"Yes"と言ってしまいたくなるのですが、英語的には内容に対してYes, Noと答えなければいけないので、こう聞かれるとあたふたしてしまいます。ただ、聞き方のバリエーションとして、もし"He is not busy, right?"(否定文+right?)と聞かれた場合には、同意の意味で"Right."と返事するのはありなのだそうなので、最近はそういう聞かれ方でない場合にもまず"Right."で返事してから考えたりしています。
②「気づかなくてごめんね」対「なんで言わなかったの」
日本語の場合は「察する」ことが大人であり、英語では「主張すること・受け取ること」が大人とされているように思います。ちなみにその一つの表れとして、英語の"take personally"「個人に対する言動と受け取る」という表現はそれをよく表しているなと思うのですが、これは例えば仕事上のやり取りで意見が合わなかった場合等に、それを個人的に取るか否かという時に使われる表現で、"Don't take it personally."などというフレーズはよく聞きます。すなわち、英語ではpersonalに取ることが大人気なく、対して日本語では人にpersonalに取らせることが配慮に欠けている、とされているように感じます。これは、もしその違いを知らずに他方のコミュニティーで生活すると、非常にフラストレーションが溜まるところではないかと思います。
個人的な印象としては、これらのことは頭では理解していても、やはり自分の母国語とともに馴染んだ感覚の方が強いので、頭の中でのその部分のルールの切り替えがスムーズに行くには、かなり経験が必要なのかなあという風に感じます。
次回は、これらのコミュニケーションの根本的な考えが違うということについてのまとめをして、今回の「英語について思うこと」の最終回とさせて頂きたいと思います。
2015年12月12日土曜日
英語について思うこと:表現が直接的でない②
英語ネイティブの友人数人に、英語でのコミュニケーションにおいて遠回しな言い方をする、あるいは「直接的」である、ということについてどういう認識を持っているのか聞いてみたところ、
①コミュニケーションにおいて「直接的」であるかどうかは常に意識していて、状況によって使い分けている。
②一般的に、あまり親しくない間柄で「直接的」にアプローチするのは失礼とされている。
③英語には、日本語における敬語のような、尊敬を表す体系的なシステムはなく、それらを表すには単語の選び方自体を変えている。
④自分の意思を表明するにあたっては、遠回しな表現はしない。
⑤物事について、そのままを言うのでは面白くないと思っている。
①については、仕事などでいったん本題に入るとやはり直接的になるものの、そこへの入り方や切り替えを特に意識しているそうです。たとえば、友人が仕事の面接に行った際、会社に対して質問したことを例にとって説明してくれました。彼は面接担当者に「あなたは会議でジョークを言うとしたら、冒頭か、中盤か、終盤、どのタイミングで言いますか。」と聞いたそうです。それによって、その会社ではどれぐらい直接的に仕事にアプローチする傾向があるのか、その雰囲気がわかるそうです。これを聞いて、とてもアメリカ的な印象を受けました。。
②は、ある程度言語に関わらずコミュニケーション一般に共通するところかなとは思いますが、親しい間柄であればあるほど、その表現は直接的になるそうです。
③は、そういうわけなので、単語自体に「親しい間柄で使うカジュアルな言葉」「初対面の人や目上の人に使う丁寧めの言葉」などのがニュアンスが含まれているため、意味としてはほぼ同じでも、状況にそぐわない単語を使うと「え?」と思われるそうです。これは日本語でもある程度想像できる感じがしますが、私などは英語ではイマイチまだぴんと来ないので、気づかずによく失敗していると思います…。
④は、端的にはYes, Noをはっきり言うということですが、上記のように人に対して「直接的」にアプローチすることについては慎重なものの、一方自分の意思を表明することには躊躇いがないようで、そのことによって相手にどう思われるか、と考えて遠回しになってしまうことはないようです。
⑤は、「笑いの方向性」とも通じるかと思うのですが、物事についてそれをありのままに言うよりも、少しひねって巧い言い方をする方が面白いし、その方がコミュニケーションが円滑に運ぶこともある、という考えもあるようです。
見渡してみると、結局私が英語を聞いてぴんと来ない理由に関係がありそうなのは③と⑤のみという結果になりましたが…、それにしても「直接的」であるかどうかということが、英語のコミュニケーションでそんなにも意識されている、とは思っていなかったので興味深かったです。
次回は、この他にも日本語と英語のコミュニケーションで方向性が違うなと感じたことについて書きたいと思います。
2015年12月11日金曜日
英語について思うこと:表現が直接的でない①
英語で会話をしていて、ふと相手が何を言いたいのかわからなくなってしまう瞬間があります。単語の一つ一つは認識できている(少なくとも知らない単語が出てきた、という焦りは感じていない)はずなのに、その人の意図するところが意味として頭の中に構築されていかない感じです。
それでもやはり聞き漏らした単語があったのだろうかと思っていたら、SNSなどでの同年代の気軽な書き込みを読んでも、やはり時々意味がピンとこないことがあることに気づきました。
なぜなのか。
少し話が逸れますが、こちらに来てすぐの頃は、買い物に行ってお店の人に尋ねられる事がいちいち聞き取れなくてどぎまぎしたものでした。それは、お店でどういうことを聞かれるのかを知らなかったので、音だけを頼りに状況を理解しなければならなかった為だと思います。経験を経て様子がわかるようになってからは、「こういう状況では、大体こういうことを聞かれる」という知識を持って望むので、たとえ相手が言っていることを全部聞き取れなくても察しがついて、返答できるようになりました。
それと同じことが、会話の中でも起こっているのかなとふと思いました。つまりまだ会話の中で、どういう内容がどういう表現でなされるかの知識が足りないために、展開についていけていないのではないかと。そしてまた、単語自体は見慣れないものではないけれど、フレーズとして使われると別の意味を持つものや、また一つの内容に対して微妙に違うニュアンスを表す表現が数あることにも気がついてきました・・・。
ちなみにニュアンスについては、日本語も様々に微細な違いを表せる言語だと思っていたのですが、しかし何か少し印象が違います。
以前、英語について思う事(〜記号的〜)という記事で、日本語には表現のバリエーションがありすぎて個人的になりがちなので、特に何か指示をするような時には、記号的な性格を持つ英語の方が使いやすいのでは、と書いたことがありました。しかし今回このことを考えていて、日本語はそのように言い方にバリエーションがあるものの、もしかしてその表現の方向性自体は実はシンプルで直接的なのではないかと思いました。対して英語の方は、表現の仕方にバリエーションがあり、コミュニケーションの方向性は意外に遠回しなのではないかと。
例えば、"I like cats."(ネコが好き。)という内容で、そのバリエーションの傾向を比較すると、
日本語は、
「わたしはネコが好きです。」
「ぼくネコ好きなんだよなあ。」
「うちネコ好きやねん。」
と言い回しが変わるイメージで、
一方英語の方は
"I‘ve always been mad about cats."(もうずっとネコに夢中なんです。)
"I'm definitely a cat person."(絶対にネコ派です。)
"Life without my cats? I don't think so. "(ネコなしの生活なんて考えられない。)
と表現のアプローチ自体が変わるイメージです。少々極端な例かとは思いますが。。。
しかし、もしそうだとすると、英語のコミュニケーションにおいて、たとえば相手がネコ好きなら、きっと"I like cats."と言うはずだ、と思って待ち構えていても、それだけではその内容をキャッチできない可能性が高いことになります。
考えるほどに、なんだかこれは面白いなと思えてきて(なんとなく日本語の方が間接的で、英語の方が直接的なイメージを持っていたので)、英語ネイティブの友人何人かに、このことについて聞いてみました。次回に続きます。
2015年12月2日水曜日
英語について思うこと:笑いの方向性
笑いの方向性については、日本とアメリカでは、まるで別の競技かと思うほど違うように感じます。
まず、私の感覚での日本の笑いとは、ボケとツッコミを基本とする、「バレーボール」のようなものです。トスが上がって(ボケ)、それをアタックする(ツッコミ)ことで点が決まり(ウケ)ます。全員が全員ボケて突っ込むわけではなく、ある程度ボケが得意な人、ツッコミが得意な人がいて、その人たちが、会話の機微を捉えてボケては、それを突っ込むことで、答え合わせのように皆にその面白さが共有されるイメージです。
一方、アメリカの笑いは、一対一の勝負の、「野球」のようなイメージです。ボケにあたるのはSarcasm(皮肉)だと思うのですが、これに対しては突っ込むことはなく、あえて流すか、乗っかってさらにボケるかだそうです。バッターボックスに立って、投げられるボールを見送るか、打ち返すか、そういったイメージです。
ちなみに、Sarcasmとは、事実とあえて反対のことを言ってその意味を強調する、といった感じで、例えばすごく退屈そうなイベントに参加しなくてはならない時に、そのうんざり感を表現するために「あー楽しみ」と言ったりする感じです。
会話の中では、相手が明らかにその時思っていそうなことと逆の表現を使っていると気づいた場合には、それがSarcasmである可能性が高く、したがってそれに普通に答えてはいけないわけなのです。ボケているわけですから、突っ込まねばと思うのですが、アメリカにはツッコミはないので、ボケを分かったという体で流すか、重ねてうまくボケなければなりません。しかもそれが普通の会話の中にするっとすべりこまされるので、非常に難しいです。
先日のCabaret showの遠征中には、Sarcasm好きのActorたちとの会話の中で私はなかなか大混乱で、ボケられているのに普通に答えてしまったり、ボケられていないのにボケ返してしまったり、なかなか散々でした。。イメージとしては、キャッチボール(普通の会話)をしていたと思ったら、ふっと急に難しい球を投げられて、「なんでこんな受けにくいボールを・・・。あ、これはボケか!」と思ったら急いでバットに持ち替えて打ち返さなければいけない、という感じです。
英語圏で6年も暮らして、だんだん「キャッチボールはできるようになってきたぞ」と思っていたところ、日常会話の中ではそうやってストライクやファールを連発してしまうという状況に若干凹みましたが、よくよくActorたちと話してみると、アメリカでも子供がSarcasmを理解しはじめるようになるのは8歳〜12歳頃なのだそうです。そうか、まだ2歳足りなかったのか、と妙にホッとしました。(注:実際には年齢に関わらずSarcasmの得意不得意には個人差があるそうです)
まとめますと、笑いの方向性の大きな違いとしては、日本の場合は「ボケによって生じたズレを、ツッコミによって元に戻す時に笑いが生じる」のに対して、アメリカの場合は「ボケによって生じたズレを、さらにボケて大きくズラすことに面白みを感じる」という違いがあるように思います。あるいは、ボケることによって突っ込んでいるとも言えるかもしれませんが、いずれにせよ「なんでやねん!」と直接的に突っ込む感じはアメリカ的ではないようです。
次回は、その直接的でない表現の傾向について、さらに詳しく書いてみたいと思います。
2015年11月29日日曜日
英語について思うこと:日常会話が難しい
以前に予告させて頂いてから少し時間が経ってしまいましたが、今日から何回かに分けて、近頃英語に関して感じていることを書きたいと思います。お付き合い頂けましたら幸いです。
今一番興味があるのは、「日常会話が難しい」ということです。以前から漠然とそのようには感じていたのですが、先月10日間のCabaret showの遠征に行った際に、アメリカ人のアクターやスタッフと身近に過ごした日々の中で更に強く実感しました。
「日常会話」というのは、英会話においては初級の能力として扱われているイメージがあります。確かに、買い物の際にお店の人とやりとりができる、道を尋ねられる、という感じの日常会話であれば、目的もはっきりしているので、基本的な単語やフレーズを覚えることで対応できると思います。しかし、特にこれといった目的を持たない自由な「おしゃべり」もまた「日常会話」だとすると、これはまた別の話だと思います。
ちなみに「日本語圏と英語圏では言語文化が違うために日本人はアーギュメント能力が乏しい」、ということは言われていて(植田一三・妻鳥千鶴子(2004)『英語で意見を論理的に述べる技術とトレーニング』ベレ出版)、TOEFLの採点基準もそのアーギュメント能力に重きが置かれていたりして、この点は広く認識されていると思います。これに関しては参考書なども多く出ている上に、勉強することで向上しやすい能力だと思います。
ところが、実際に英語圏で生活する中で一番実感することは、やはりむしろ「おしゃべり」の難しさではないかと思うのです。この点について、果たして一般的にはどういう認識なのかさっとGoogleで検索してみたところ、
「学校で習わなかったことが沢山ある」「知らないと絶対に詰まるフレーズがある」という点や、アメリカ英語でよく使われるくだけた発音によるものだという指摘が見つかりました。
いずれも非常に興味深く納得したのですが、それでも自身の経験と実感として、それだけでは説明しきれていない部分、すなわち「コミュニケーションの根本的な考え方が違う」ということがあると感じました。(結局のところ上記の言語文化の違いということになろうかと思いますが。。。)
次回からはその具体的な内容について書いていきたいと思います。
次回はまず「笑いの方向性」について。
2014年9月14日日曜日
英語について思う事(〜記号的〜)
作曲や編曲をしていて、楽譜に「こう演奏して欲しい」という指示を言葉で書くことがあるのですが、ほぼ記号化されているイタリア語 (Moderatoなどの発想記号やrit.やAccelなど速度記号など)以外に、もう少し具体的に書きたい時には英語で書くようにしています。
英語で書いておくと多くの人に理解してもらいやすい、ということが大きいのですが、大学院の作曲のレッスンでは、「演奏してもらう人が明らかに日本人だとわかっている場合や、日本語でしか表せないニュアンスがある場合であれば、指示を日本語(母語)で書いても良い」というアドバイスをもらったこともありました。しかしそれでもどうにも照れくさく、まだ日本語で書いた事はありません。
しかしなぜ照れくさいのだろう?と考えてみました。
思ったのですが、計算式に例えると
英語で何かを表すのは 1 + 1 = 2
であるのに対して
日本語では 「一足す一は二。」
と言葉で表すような違いがあるのではないかと思いました。
記号を使って事実を表している1+1=2に対して、「一足す一は二。」と言葉で表すとなると、他にも「一と一を足せば二になる。」や「一に一を足すと二になります。」など、言い方にバリエーションが考えられます。そうすると、どの言い方を取るにせよ、それを選んだ「自分」というパーソナルな存在がそこに見え隠れするように感じて、それで照れくさいのかなあと思いました。
それを英語と日本語にあらためて置き換えてみると、たとえば、英語で "I like cat." と言う場合には、誰が話し手であっても多くの場合 "I like cat." だと思うのですが、それを日常的な日本語で表すとすると、話し手の年齢、性別、職業、生きている時代、出身地、そして話している相手等によって「わたしはネコが好きです。」であったり「ぼくネコ好きなんだよなあ。」であったり「うちネコ好きやねん。」であったり色んな言い方があるのだと思います。
日本語にはそういう風に、人称や、敬語、方言などを含めて言葉のそれぞれのパーツにおいて様々なバリエーションがあるわけなので、そもそも何かを言葉にして表すという時点である程度個人的にならざるを得ない言語なのかなあと思います。対して英語は一般的、もしくは記号的なところがあるために、事実をそのまま伝えたり指示をシンプルに与えたりしやすく、また受け取りやすい言語でもあるのかもしれないなと思いました。
《おまけ》
おしゃれめなスーパーのサラダバーの上にディスプレイされていた紙製の立体恐竜です。顔が必要以上に怖めな気はしますが…、よくできているなあと思いました。
2014年4月24日木曜日
言語について
BMI Musical Theatre Writing Workshopの今年度のクラスも残すところ約一ヶ月となり、出される課題の規模も大きくなってきました。今は戯曲「セールスマンの死」のラストシーンをミュージカル化する課題に取り組んでいて、これまでは一曲ずつの課題だったところ、今回初めて「シーン」を構成することにチャレンジしています。
その過程で、作詞家とも今までより込み入った概念をやり取りする機会が増え、そして音楽を書く対象としても英語に向かい合う時間が増えてきました。英語に関しては、会話の中で瞬時に的確に反応することには未だに文法と語彙の面からも残念ながら不自由を感じますし、歌詞そのものが持つリズムについては作詞家に音読して助けてもらっています。しかしそれでいて、「英語」という言語でこそ表現できるニュアンスや、伝え方の効率の良さ、韻を踏める楽しさ、などにも益々魅かれるようになってきました。
そこで考えたのですが、他言語の習得の大変さを差し引いて考えると、もしかすると自分の表したい事柄に対して、母国語が必ずしも最も適したツールとは限らないのではないか、という思いがけない考えが頭をよぎりました。もちろん母国語は間違いなく一番感覚的に使えるツールで、自分の存在と決して切り離せないものですが、言語を客観的に比べてみた場合、表せる概念の方向性が様々であることは想像に難くないと思いました。
しかしそこから更に拡げて考えると、むしろ言語や会話という形態によって端的に表せることそのものに限りがあるのではないかと思いました。特に「自分はどう考え、何を美しいと思い、何を信じているか。」というような本質的なことは、ある人は絵を書く事で、ある人はビジネスのやり取りで、ある人は作物を育てる事で、またある人は国を動かす事で、黙々と、または時間の流れの中でじっくりと語っているのではないかと思いました。
まとまらずに恐縮ですが、会話や言葉でのコミュニケーションが不得手だと感じるからこそ、もっと多くを音楽で語れるようになりたいと思いました。
2010年5月27日木曜日
発音!
These days, I tend to get hungry almost once every three hours, and sometimes eat too much..
Anyway, I started working on improving my Engrlish pronunciation these days. My Friends are helping me a lot.
Anyway, I started working on improving my Engrlish pronunciation these days. My Friends are helping me a lot.
Originally,I decided to do that because I was not able to pronounce "California" correctly, despite I am going to go there for music festival this summer.
I feel it is worth challenging and even very interesting, because as I learn I gradually realize how these two languages, English and Japanese, are different in its pronunciation.
I really want to improve it.
最近お腹の減りが早いです。3時間おきぐらいに何か食べたくなって食べすぎです…。
それはさておき、今友達に手伝ってもらって英語の発音の練習を始めました。
まずは"California"がうまく言えないというところから始まりました。(この夏カリフォルニアにサマーフェスティバルに行くというのに)
勉強するにつれて英語と日本語の発音の違いがわかってきて、やりがいがあって面白いです。
ともかくうまくなりたいです。
※しばらくは英語も日本語も、やたらと直訳調の日記になってしまって申し訳ないですが・・・。だんだんペースを掴めたらなと思います。
それはさておき、今友達に手伝ってもらって英語の発音の練習を始めました。
まずは"California"がうまく言えないというところから始まりました。(この夏カリフォルニアにサマーフェスティバルに行くというのに)
勉強するにつれて英語と日本語の発音の違いがわかってきて、やりがいがあって面白いです。
ともかくうまくなりたいです。
※しばらくは英語も日本語も、やたらと直訳調の日記になってしまって申し訳ないですが・・・。だんだんペースを掴めたらなと思います。
2010年5月21日金曜日
英語
宿泊している4人部屋ですが、旅行者向けの宿泊施設なので割と入れ替わりが早いです。全体的には韓国人が多そうでしたが日本人の方とも少し話しました。旅行の他、仕事の面接で来ている方もいて私はというと引越待ちで、色んな目的で泊まっている人がいるんだなと思いました。
ところでこの夏はもう少し英語をなんとかしたいと思って、勉強の仕方を考えました。
そこでまず「会話」の中で話すプロセスと、それに必要なんじゃないかと思う能力をあげてみました。
①相手の話を聞き取る(リスニング)
②聞きとったことから内容を理解する(一般常識、語彙、文法)
③理解したことについて自分の意見を持つ
④自分の意見をセリフにまとめる(文法、語彙、フレーズ)
⑤セリフを口に出す(発音、落ち着き、度胸)
①と②はほぼ同時に起こっていて、内容を推測しながら聞くから聞きとれるというところでもあると思いますがともかく分けてみました。
③は英語の問題というより、一応大人として何かしら思うことはありそうです。
④は、日本語ならある程度瞬時にできると思うだけに、相手を待たせている!と思うと余計に焦る部分です。
⑤は、今まで慣れだと思っていたのですが、せっかくセリフが合っていても発音や話す速さ次第で伝わらないこともありそうです。
これまで英語の勉強といってむやみに単語の数を増やそうとしたり、文法書を買っても読み通せたことがなかったり、結局不安なまま話してきたりしましたが、会話の中のどのプロセスで自分は一番躓いているのかを考えて重点的に勉強するということがあまりなかったように思います。
今はやはり④が一番曖昧なのでここに来て英作文に立ち返るというか、練習として対訳のある日本語の文章を英訳してみて答え合わせをするというのを数多くこなしてみようかと思います。
ところでこの夏はもう少し英語をなんとかしたいと思って、勉強の仕方を考えました。
そこでまず「会話」の中で話すプロセスと、それに必要なんじゃないかと思う能力をあげてみました。
①相手の話を聞き取る(リスニング)
②聞きとったことから内容を理解する(一般常識、語彙、文法)
③理解したことについて自分の意見を持つ
④自分の意見をセリフにまとめる(文法、語彙、フレーズ)
⑤セリフを口に出す(発音、落ち着き、度胸)
①と②はほぼ同時に起こっていて、内容を推測しながら聞くから聞きとれるというところでもあると思いますがともかく分けてみました。
③は英語の問題というより、一応大人として何かしら思うことはありそうです。
④は、日本語ならある程度瞬時にできると思うだけに、相手を待たせている!と思うと余計に焦る部分です。
⑤は、今まで慣れだと思っていたのですが、せっかくセリフが合っていても発音や話す速さ次第で伝わらないこともありそうです。
これまで英語の勉強といってむやみに単語の数を増やそうとしたり、文法書を買っても読み通せたことがなかったり、結局不安なまま話してきたりしましたが、会話の中のどのプロセスで自分は一番躓いているのかを考えて重点的に勉強するということがあまりなかったように思います。
今はやはり④が一番曖昧なのでここに来て英作文に立ち返るというか、練習として対訳のある日本語の文章を英訳してみて答え合わせをするというのを数多くこなしてみようかと思います。
2010年3月19日金曜日
英語
今日はカンバセーションパートナーとのミーティングを2つと、夕方にコーラルミュージックのワークショップ(ミーティング)に参加したので、一週間の中ではたくさん英語を聞いて話した一日でした。
ミーティングの中では、みんなネイティブなので当たり前ですが「上手に話すなあ。」と思いました(ディスカッションがメインになるような授業をとっていないので殊更…)。なんとか2回位発言しました。
部屋に戻ると今日はまだルームメイトが帰っていないようなので、もしかしてお泊りだったりしないかなと少し期待しているところです。。
ミーティングの中では、みんなネイティブなので当たり前ですが「上手に話すなあ。」と思いました(ディスカッションがメインになるような授業をとっていないので殊更…)。なんとか2回位発言しました。
部屋に戻ると今日はまだルームメイトが帰っていないようなので、もしかしてお泊りだったりしないかなと少し期待しているところです。。
2010年2月14日日曜日
日本語
今日は初めて日本語を教えました。
なぜか彼の友達も来ていて、いきなり生徒が2人になりましたが…。ともかく日本語に興味を持ってくれているのでやりやすかったです。
今日は各種あいさつと、「AはBです。」のセンテンスが言えるようになりました。
発音を覚えるために何か表記の仕方はないの?と聞かれて、ローマ字で書いて見せると「中国語でこれを読むとこんななるよ!」と言って読んでくれるとまったく別物になってしまいました…。
いまだに英語にしどろもどろの私が、英語で日本語を教えているなんて変な感じですが(時々日本語の発音をしてみせているのにもカタコトになります)、結構楽しかったです。
なぜか彼の友達も来ていて、いきなり生徒が2人になりましたが…。ともかく日本語に興味を持ってくれているのでやりやすかったです。
今日は各種あいさつと、「AはBです。」のセンテンスが言えるようになりました。
発音を覚えるために何か表記の仕方はないの?と聞かれて、ローマ字で書いて見せると「中国語でこれを読むとこんななるよ!」と言って読んでくれるとまったく別物になってしまいました…。
いまだに英語にしどろもどろの私が、英語で日本語を教えているなんて変な感じですが(時々日本語の発音をしてみせているのにもカタコトになります)、結構楽しかったです。
2009年12月10日木曜日
英語
今日はこれでもかというぐらい授業でうとうとしてしまい、よっぽど眠たいんだなと思って帰って少しだけ昼寝しました。
ずっと気にかかっていた演奏会が終わったので、これから期末試験だというのにどこか気持ちが開放的になってしまっています。
今日はアメリカで5年目になる日本人の友達と話していて、彼女がどうやって英語を習得してきたのか聞かせてもらって感銘を受けました。できるだけネイティブの友達にあらかじめ「もし英語で間違った言い方をしていたら直してほしい。」と言っておくのだそうです。
やっぱりただここにいるだけではだめで、積極的に自分の英語を改善できるような状況をつくる努力をしないとなと思いました。
ところで今日は極寒でした。
ずっと気にかかっていた演奏会が終わったので、これから期末試験だというのにどこか気持ちが開放的になってしまっています。
今日はアメリカで5年目になる日本人の友達と話していて、彼女がどうやって英語を習得してきたのか聞かせてもらって感銘を受けました。できるだけネイティブの友達にあらかじめ「もし英語で間違った言い方をしていたら直してほしい。」と言っておくのだそうです。
やっぱりただここにいるだけではだめで、積極的に自分の英語を改善できるような状況をつくる努力をしないとなと思いました。
ところで今日は極寒でした。
2009年10月23日金曜日
英語など
毎日昼食はサンドイッチを作って持っていっているのですが、今日は昨日買ったばかりのピクルスを入れてみるといい具合だったのでお昼は機嫌がよかったです。
それまではきゅうりを入れていたのですがこちらのキュウリはズッキーニサイズで、かつ当たりはずれ(種が大きすぎて妙に酸っぱかったり、古くなっていたり…)があったので最近は入れていませんでした。しばらくピクルスでもちそうです。
ところで今日は駅で旅行者らしき人に電車について聞かれて、頭の中で言おうとしていることを組み立てるのに時間がかかっているとまだ答え終わっていないのに「英語しゃべらないの?」と聞かれて、むっとして「I speak English.」と言ってなんとか適当に答えました。ありがとうも言われず、そばにいると余計むかむかしそうだったので離れました。
留学のことを考えずに日本にいた時に英語で話しかけられたら「I can't speak English well.」と答えていただろうと思いながら、今はそう答えているのが自分でもなんだか滑稽でした。
2か月ここに住んで学校に通って、できないなりになんとか英語で勉強しようとしているのに、旅行者にそんな風に言われて、やっぱり客観的に見るとそれだけ喋れていないんだなというのを感じてちょっと気持ちがざわつきました。
とはいえ、今日は初めてピアニストに伴奏をしてもらって、作曲者の先生も立ち会って下さってのオペラの練習があり、なかなか期待が高まってきました。曲を歌っていて、曲自体に対して、指揮者の指導、伴奏ピアニストの演奏や話し合われることについても今の自分からはとても遠いところにあるように感じてなんとも言えない気持も感じましたが…。
いずれにしても、「なんで勉強するのか考えているうちに、1問解ける。」とよく受験勉強で言われるように、凹んでいる暇に少しでも前に進まねばと思います。
それまではきゅうりを入れていたのですがこちらのキュウリはズッキーニサイズで、かつ当たりはずれ(種が大きすぎて妙に酸っぱかったり、古くなっていたり…)があったので最近は入れていませんでした。しばらくピクルスでもちそうです。
ところで今日は駅で旅行者らしき人に電車について聞かれて、頭の中で言おうとしていることを組み立てるのに時間がかかっているとまだ答え終わっていないのに「英語しゃべらないの?」と聞かれて、むっとして「I speak English.」と言ってなんとか適当に答えました。ありがとうも言われず、そばにいると余計むかむかしそうだったので離れました。
留学のことを考えずに日本にいた時に英語で話しかけられたら「I can't speak English well.」と答えていただろうと思いながら、今はそう答えているのが自分でもなんだか滑稽でした。
2か月ここに住んで学校に通って、できないなりになんとか英語で勉強しようとしているのに、旅行者にそんな風に言われて、やっぱり客観的に見るとそれだけ喋れていないんだなというのを感じてちょっと気持ちがざわつきました。
とはいえ、今日は初めてピアニストに伴奏をしてもらって、作曲者の先生も立ち会って下さってのオペラの練習があり、なかなか期待が高まってきました。曲を歌っていて、曲自体に対して、指揮者の指導、伴奏ピアニストの演奏や話し合われることについても今の自分からはとても遠いところにあるように感じてなんとも言えない気持も感じましたが…。
いずれにしても、「なんで勉強するのか考えているうちに、1問解ける。」とよく受験勉強で言われるように、凹んでいる暇に少しでも前に進まねばと思います。
2009年10月10日土曜日
英語とサッカー
プラクティスセンターの帰りに地下鉄に乗ろうとしたら、メンテナンスのために付近の5.6駅には今日は電車が止まらないとの張り紙があって地下に降りることすらできませんでした。毎週末このような感じで、地下鉄は何かしらメンテナンスのために停まる電車が変わったり、普段停まる駅に止まらなかったりします。いつか、設備が万全になる日がくるのでしょうか…。
そういうわけで、バスに乗ればいいものの今日はやけにたくさん歩いてしまいましたが、お天気がよかったのでそんなに悪い気はしませんでした。
ところで、英語が喋れない時には大学時代に部活でサッカーを始めた時の事を思い出します(サッカーは大学から始めて、約3年で引退したのであまり上達しないままでしたが、何かにつけてそこでの経験を思い出します)。
練習の中で、ドリブルやフェイントを練習することがありました。何でも形から入るのが好きなのでその練習は好きだったのですが、試合の中で相手を前に実際にできたことはほとんどなく、結局何のアイディアもなく相手に対峙してボールを取られてしまうことがしばしばでした。練習の中で動作自体はできるようになっても、試合中に瞬時に状況判断をしてうまくできるまでには随分大きなステップがあるように思いました。
英語でも、文章を書く時には気持ちにも時間にも余裕があり見直すこともできるので、知っている単語や文法は使うことができるように思います。しかし、会話の中では相手を「待たせてはいけない」とか、「ものすごく片言になっている」と焦ったりで、後になってこう言えばよかったのに何で思いつかなかったのだろうと思うことがしばしばです。
もっと積極的に人に話しかけて喋る機会を見つけないと、と思います…。
2009年9月20日日曜日
Reの発音
今日は日曜日ということで朝起きてスカイプを開き、一週間分の食料の買い出しに近くのスーパーまで行き、帰ってきたらスーツメイトが台所を掃除してくれていたので一緒に小掃除をして、その後プラクティスセンターに出かけました。
そして、帰って来て玉ねぎを冷凍すべく解体している(非常に大きいので)と目に滲みて、泣きながら切っていると「どうしたの!?」と言われ、「なんで玉ねぎ切ってるの!?」と言われ、「いや冷凍するから…」と言いつつ夕食を作り…。荒唐無稽な感じですが、なんとなく休日の過ごし方が定まってきました。
プラクティスセンターでは主に、Keyboard、Ear Training、Piano classの課題を練習するのと、曲の構想を練ったりしているのですが3時間があっという間に過ぎてしまいます。
ところで、Ear Trainingではスコアリーディングとソルフェージュや視唱をするのですが、その際「ドレミファソラシ」の発音で意外に苦労するところがあります。「レ」と「ラ」の発音が違うので…。日本語ではラ行としてその違いを意識したこともなかったのですが、そういえば「レ」は"Re"で「ラ」は"La"と書きます。「シ」のことは「スィ」と思っていましたが、 問題は"Re"です。Rの発音にすると、ずいぶん「レ」が丸くなるというか、手間をかけた響きになるように思います。一方「ラ」もより薄っぺらい印象になります。つまり二つの音の印象がだいぶ違うのですが、時々区別がつかなくなります。発音の仕方よりも音を正しく読める方が明らかに大切なのですが、時々気にしてしまいます。
そして、帰って来て玉ねぎを冷凍すべく解体している(非常に大きいので)と目に滲みて、泣きながら切っていると「どうしたの!?」と言われ、「なんで玉ねぎ切ってるの!?」と言われ、「いや冷凍するから…」と言いつつ夕食を作り…。荒唐無稽な感じですが、なんとなく休日の過ごし方が定まってきました。
プラクティスセンターでは主に、Keyboard、Ear Training、Piano classの課題を練習するのと、曲の構想を練ったりしているのですが3時間があっという間に過ぎてしまいます。
ところで、Ear Trainingではスコアリーディングとソルフェージュや視唱をするのですが、その際「ドレミファソラシ」の発音で意外に苦労するところがあります。「レ」と「ラ」の発音が違うので…。日本語ではラ行としてその違いを意識したこともなかったのですが、そういえば「レ」は"Re"で「ラ」は"La"と書きます。「シ」のことは「スィ」と思っていましたが、 問題は"Re"です。Rの発音にすると、ずいぶん「レ」が丸くなるというか、手間をかけた響きになるように思います。一方「ラ」もより薄っぺらい印象になります。つまり二つの音の印象がだいぶ違うのですが、時々区別がつかなくなります。発音の仕方よりも音を正しく読める方が明らかに大切なのですが、時々気にしてしまいます。
2009年9月8日火曜日
英語
今日は1時間目がESLのConversationで、まずは握手の仕方から始まりました。
がっちり手を合わせて、割と強めに握手する。そうでないと自信がないと思われるんだそうです。
こういうことは、生活の中では必要なことだけれども、英会話教室に行ってもこういうことはなかなか敢えて教えてもらえないんじゃないかなと思いました。
今日は特に人に質問する文章の作り方がメインでした。つい、日常の中で文章の最後を上げるだけで疑問文を作ってしまうことが多いです。何か聞こうと思って、そうそう、動詞を前に出してひっくり返すんだったと思っても、それをAre、Do、Did、Have、Wouldのどれで聞けばいいのか???と混乱してしまうことも多いです。
今ちょうどESLのwritingの方でも時制を勉強しているので、自制と疑問文がちゃんと理解して使えるようになれば、もう少し話すのが楽になるのではと希望を持ってがんばりたいと思います。
ともかくいつも何かに取り掛かっているようにはしているのですが、全然処理が追いつきません。もっと処理量をあげていかないと、さらにいろいろ積み上がっていきそうです…。
がっちり手を合わせて、割と強めに握手する。そうでないと自信がないと思われるんだそうです。
こういうことは、生活の中では必要なことだけれども、英会話教室に行ってもこういうことはなかなか敢えて教えてもらえないんじゃないかなと思いました。
今日は特に人に質問する文章の作り方がメインでした。つい、日常の中で文章の最後を上げるだけで疑問文を作ってしまうことが多いです。何か聞こうと思って、そうそう、動詞を前に出してひっくり返すんだったと思っても、それをAre、Do、Did、Have、Wouldのどれで聞けばいいのか???と混乱してしまうことも多いです。
今ちょうどESLのwritingの方でも時制を勉強しているので、自制と疑問文がちゃんと理解して使えるようになれば、もう少し話すのが楽になるのではと希望を持ってがんばりたいと思います。
ともかくいつも何かに取り掛かっているようにはしているのですが、全然処理が追いつきません。もっと処理量をあげていかないと、さらにいろいろ積み上がっていきそうです…。
2009年7月18日土曜日
2009年5月16日土曜日
英語
昨日とは打って変って今日は雨です。一日違いが大違いというか、昨日晴れでよかったとしみじみ思います。
ところで今日は英会話の日で、始めに「時間がある時は家の中では何をするか/外では何をするか」というトピックでフリートークがありました。パートナーとそれについて話してから、全体に話してくれる人は?ということだったので少し躊躇してから手をあげて自分の話をしました。
最近片付けに凝っているという話をしたのですが、ゴミをたくさん出してすっきりしたとか、重いゴミ袋をたくさん出してゴミ収集の人に申し訳ないと思ったとか、本の良い捨て方はないか、など語彙は動きと雰囲気で補いながらなんとか今までよりは話せたと思いました。
これはかえって日本語だったらできないなと思いました。人前で自分の経験について話すとか、自分がメインになって話をするのは友達の前でもあんまりできない気がします。
それで中学の頃に通っていた英語塾の先生が「英語でしゃべっている時の自分のテンションは、ちょっと気取ってしまっている気がする。」と仰っていたのを思い出しました。その時、もう英語を数年にわたって使いこなしている先生でもそういう感覚があるのかと思いました。
英語だと、その喋り方とか話している内容がどんな印象を相手に与えるのかいまいちわからないところがあるので、かえって大胆になってしまうところが(よくも悪くも)あるのだろうと思います。
日本語だと、イントネーションが標準語と関西弁でかなり印象が違うのを考えると、わからないからといってずいぶん失礼な調子で英語をしゃべっていそうで恐いです。
ところで今日は英会話の日で、始めに「時間がある時は家の中では何をするか/外では何をするか」というトピックでフリートークがありました。パートナーとそれについて話してから、全体に話してくれる人は?ということだったので少し躊躇してから手をあげて自分の話をしました。
最近片付けに凝っているという話をしたのですが、ゴミをたくさん出してすっきりしたとか、重いゴミ袋をたくさん出してゴミ収集の人に申し訳ないと思ったとか、本の良い捨て方はないか、など語彙は動きと雰囲気で補いながらなんとか今までよりは話せたと思いました。
これはかえって日本語だったらできないなと思いました。人前で自分の経験について話すとか、自分がメインになって話をするのは友達の前でもあんまりできない気がします。
それで中学の頃に通っていた英語塾の先生が「英語でしゃべっている時の自分のテンションは、ちょっと気取ってしまっている気がする。」と仰っていたのを思い出しました。その時、もう英語を数年にわたって使いこなしている先生でもそういう感覚があるのかと思いました。
英語だと、その喋り方とか話している内容がどんな印象を相手に与えるのかいまいちわからないところがあるので、かえって大胆になってしまうところが(よくも悪くも)あるのだろうと思います。
日本語だと、イントネーションが標準語と関西弁でかなり印象が違うのを考えると、わからないからといってずいぶん失礼な調子で英語をしゃべっていそうで恐いです。
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