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| (内容には関係ないのですが、先日夏の名残で食べて美味しかったジェラートです。) |
子どもの頃、学校の授業中に指名されて黒板にチョークで書いた字が、歪ながらも自分の字だなと認識できることを不思議に思いました。
字を書く、という経験のほとんどを鉛筆でノートに書くことで積み上げてきて、チョークで黒板に書く経験は数回しかしていないのに、それでも筆跡というのは一貫しているのかと。結局自分の中にある「この字はこんな形、こういうふうに書きたい」という価値基準が一貫しているからかと納得しました。
そう考えると、持っている価値基準と、それを出力できる能力の間には、多かれ少なかれギャップがあるんだろうなと思われて、言うなれば、トップクラスの演奏家などは、価値基準そのもの(芸術性)とそれを安定して体現する技術と精神力を極めた人たちかと思います。
そのようなレベルではないながら、自分もピアノと共に人生を歩んでくることができて「こう弾きたい」という価値基準はそれなりにあるのだけれど、それを100%体現できているわけでもないのだよな、と思いつつ、人生もそうかなとも思います。
色々な人との出会いや経験の中で「こういう人になりたい。こういう人でありたい。」という価値観を更新しながら、だんだん上手になったり、調子が悪い日にはそう振る舞えなかったり。そういうことを繰り返して、その人が「こんな人だった」という軌跡が残っていくのかなと。
ヒット曲、"9 to 5"の作者としても有名なドリー・パートン(偉大なシンガーソングライターであると同時に、多大な音楽収益を人々に還元した人道支援家)が先日亡くなったのですが、追悼で様々な名言が取り上げられる中、雑誌『ピープル』(People)のインタビューの中で "I'm a very professional Dolly Parton."と語っているのを聞いて、彼女の見事な生き様も合わせて、自分も自分の専門家として人生を重ねて行きたいと思いを新たにしています。








