2026年6月12日金曜日

Knicks in 5!

昨晩NBAのファイナルでNew York KnicksがSan Antonio Spursを相手に29点差をひっくり返す劇的な逆転勝利を納め、街が湧いています。

”Knicks in 5"という掛け声は、全7試合のうち4試合勝ったチームが優勝というルールの中、現在3-1でKnicksが相手チームのSpursをリードしていて、”五戦目で優勝”という意味で、仕事先でもメディアでも、今日はあちこちで聞かれました。

という詳細は今調べて知ったことで、Knicksがこのように大活躍をするまで知りませんでした。そもそもKnicksといえば、もう何十年もずっと負け続けていて、ニューヨーカーは愛を込めてジョークにしているイメージ(レイトショーでもよくネタに使われていたような。。。)だったので、「そんなに強いチームだったの?」「そもそもみんな揃ってそんなにバスケ好きだった?」とようやく興味を持ち始めたところです。

スラムダンク世代なので、バスケへの憧れはありますが、スポーツでここまで街全体が盛り上がるのを見るのは日本〜アメリカでの経験で初めてで(街を歩けば、老若男女問わず10人に一人はKnicksのTシャツを着ているイメージ)、なんだか好ましいなと見ています。友達に連れていってもらって、これまでになんとかバスケ、アイスホッケー、野球の試合は見にいったことがあるのですが、あらためてその経験を振り返って、そもそもアメリカでは地元チームへの愛が基本的に大きいのかもしれません。

ニューヨークを代表するBlack & White Cookiesも、チームカラーのBlue & Orange Cookiesとして売り出されていて、お祝いムードを盛り上げています。 

ちなみに芸術においては、物語を構築することが創作で、物語が生まれる状況を作り出すのが即興かと思いますが、スポーツは後者なんだなあとあらためて思いました。どういう結末になるか誰もわからない中で、キャラクター達とその命運に皆が心を動かされ、一所懸命応援している。そう思うと、人がスポーツに夢中になる気持ちが腑に落ちた気がしました。生まれ方はちがっても、やはり「物語」は人が生きるために必要なものなのだと思います。

チケット代の高さや、Watch Partyが政治的理由でキャンセルされたり、Watch Partyの後に逮捕者が出たり、現実的な問題もありますが、市長のサポートもあり、なんとか多くの人々が一緒になって、工夫をこらしてこの一大イベントを楽んでいるのはとても良いなと思います。

今の政治状況で、苦境に立たされている人たちの日常に複雑な気持ちで思いを馳せつつ、同じような気持ちを抱えて生きている人たちが、今こうして隣人と共に何かに夢中になれている状況は応援したいという気持ちです。

次の試合は土曜日、Knicks in 5が達成なるかどうか。見守りたいと思います。

2026年6月8日月曜日

夢のお惣菜屋さん

仕事場所によって、生活圏以外の場所に行けるのもフリーランスミュージシャンの特典の一つだなと思います。

先日は、オルガニストのサブとして、近年お世話になっているニュージャージーの教会に行ってきました。Korea Townの近くなので、色々と楽しそうなお店があるなとは思っていたのですが、バスを二つ乗り継いで行くのでさっさと帰ってしまうことも多く、そこまで近辺を散策できていませんでした。先日は軽食を持たずに出かけてしまったので(早朝に家を出るので、サービスの直前にとてもお腹が空きます)、サービス前に準備とセットアップをすませて、急遽近辺のお餅屋さんに行きました。

ここは、以前に来たことがあって、早朝でも開いていて助かったのですが、買いたかった小ぶりのお餅は小売はしていないということで、つまみやすそうな小さなお餅の詰め合わせを買ったところ、おまけをつけてくれました(上に載っている小さなお菓子、ぎゅっと凝縮したサータアンダギーのようなお味でした)。小さな親切はありがたいものです。

帰りに、バスの時間を気にしつつも、せっかくだからキムチは買って帰りたいと、少し足を伸ばしてみると、大きなお惣菜屋さんがあり、さまざまなお惣菜がリーズナブルな値段でずらりとならんでいる夢のような状況に嬉しくなりました。マンハッタンだとこの量ではなかなか売っていない上に、倍ぐらいの値段がするだろうなと思うと、ついついキムチ以外にもいくつか買ってしまいました。まだお昼前だったからかお店も混雑しておらず、この落ち着いた雰囲気の中でじっくり選べるのもまた、夢の中で豪遊している時のような(?)感覚を思い起こされる所以です。

ここへのアクセスはバスの難易度が高いので(時刻表も降車ボタンもない民間バスか、スケジュールがあってないような公営バス)、仕事がない時にあえて行く気にはなかなかなれないのですが、行った時には、予定の許す限りもう少し散策してみたいと思いました。

2026年5月19日火曜日

散文:五月の夜

小さなピンチの応酬に
静かに我を失いそうな時
それでも何でもないような顔をして
約束を果たそうとする
その自分を虚ろな目で観察している

そんな時
安心して話せる人との会話に
全力で気持ちを傾ける
ここではない場所に住む
友達からの優しいメッセージに
心を込めて返信する

そのことで
どれだけ助けられたのか
本人達は知る由もないだろうけれど
私はきっと忘れない

*****

フリーランスのありがたいことは、仕事が選べることと、色々な経験ができること、そして常に人との出会いがあることだと思っています。ただ、特に単発で入る仕事はタイミングが読めず、重なる時は自分の作曲活動とも相まって、畳み掛けられるような気分になるのは、未だに慣れないと思ってしまう今日この頃です。

気分の切り替えに苦労していたところ、信頼している人とのやり取りの中で全力で元気をもらっていることに気づきました。仕事での疲れの大半は、人への期待と実際に受け取る反応とのギャップ、そして自分が責任を果たせるかどうかの不安と力の及ばなかった時の申し訳なさ、のような気がします。そしてそこから掬い上げてくれるのもまた、人との関わりなのだなあ、と感じ入りました。(写真はお昼ですが、先日の仕事の合間の一休みの景色です)

2026年4月12日日曜日

散文:深まってゆくもの



友達の顔に、かつてはなかった目尻の皺を認めた。
そのことを愛しく思った。

このような長い付き合いができるとは。
出会った頃には助けてもらうばかりだった関係が、
自分も力になれるようになった。

お互いの人生を付かず離れず見守りながら、
一緒に年を重ねていけるとは。

前よりも更に柔和になった笑顔を見つめながら
そんなことを思ったのは秘密。

*******

自分に対しても、自分の身近な人に対しても、歳を重ねることに切なさを感じることがあります。でもそれは、お互い元気にやっていて、比べる過去があるほど長い期間に渡って関係を築いてこられたからなのだ。そう気づいた途端、とても愛しく誇らしい気持ちになりました。

2026年4月10日金曜日

「人間だもの」

他者の自分に対する対応は、必ずしも自分の振る舞いや意図への妥当な評価とは限らない、とは分かっていても、やはり人に冷たくされれば堪え、優しくされればほろりとなるのが「人間だもの」と思います。

先日友人のミュージカルのリーディングを観に行って、そこで隣り合わせた人との一期一会に後者を実感しました。

会場はニューヨークのミッドタウンのディナーシアターで、テーブル席が所狭しと並んでいる奥にステージのあるキャバレークラブでした。四人がけの丸テーブルに、チケットと到着時間によって順に案内されるので、一人で行くと自然と相席になります。(誰かと誘い合わせて行けば良いのですが、思いついたら割と一人で行ってしまいます。)相席になったのは感じの良い女性二人で、席についてそれぞれメニューを見たりして雰囲気を探っていると、どうやら二人は共通の知り合いがいるようで、会話が弾み始めました。そういうことならと、あえて気を遣わせないように黙々と注文したお料理を食べたりして開演前の時間を過ごしていました。いざショーが始まるとなった時に、演出の一環で、直前に各テーブルに配られていた飴を観客全員で食べる、という瞬間がありました。状況が完全には把握できずに躊躇っていた私に、すっと隣の女性がテーブル上の飴を一個私の方に差し出してくれました。思いがけない親切にありがとうと見上げると、なんてことないといった穏やかな笑顔で応えてくれました。おかげで私もその遊び心溢れる瞬間に参加することができて、飴の美味しさと、その人の優しさをしみじみと感じながら、会場と一体となってショーを楽しむことができました。気にしていないつもりでしたが、アウェーな場所で一瞬不安になった時に、誰かが気にかけて輪に招き入れてくれたことが深く心に沁みました。

冒頭の話に戻ると、今回傾けてもらった親切は私の存在への評価ではなく、あきらかに彼女の人徳です。それでいて、それに触れた私は大いに癒されました。そういう、さりげなく大きなインパクトのある親切は、とても尊いものだと思います。自分もそういう風に人に接することができるようになりたいものです。