今日は友人が用事があるというので時間を交代し、早朝にレッスンを受けてきました。先々週からピアノトリオに取り組んでいます。
レッスンを終えてロビーに座っていると、ホールからピアノトリオが聴こえてきました。朝からコンサートがあったっけ?と思い掲示を見ると、「マスタークラス(学内外の先生による公開レッスン)」でした。
次の授業まで20分くらいしかなかったのですが、見学自由ということだったので立ち寄りました。
曲目はブラームスのPiano Trio No. 1 in B major, Op. 8の一楽章で、一回目の演奏を終えてもうレッスンに入っていましたが、とぎれとぎれに演奏されるそれを聴いていてとても素敵だなと思いました。
曲がりなりにも音楽を学ぼうとしているからには、音楽に対してただ享受するだけでなく、作る側として責任をもって批判的に見られるようにならねばと感じています。
ただ、今日ブラームスを聴いていて無責任に感じたことは、アンサンブルを演奏している人たちがまるでその瞬間音楽に魂を預けているようだということでした。
今まさにその音楽を生み出しているのは彼らですが、また同時に彼らもその音楽の流れの中にいて、そしてその流れの中では彼ら自身の人生に対してではなく、音楽そのものに自分を捧げているように感じました。そのことがとても崇高に思えて、演奏及び何かを演じる人にはとても惹かれます。