2018年1月29日月曜日

「聴くこと」について


あっという間に一月ももう残り数日ということで、今年も早々に時間の経つ速さを実感しています。

このところ「聴くこと」について考えるところがあったので、少し書いてみたいと思います。

というのも最近、プロとして精力的に活動している弦楽四重奏のメンバーである友人と話す機会があり、カルテットの活動について色々話を聞けてとても興味深かったのですが、なかでも印象に残ったのがまさに「聴くこと」の大切さでした。

なんでもある時、ピッチや強弱や緩急、フレージングなど、曲の表現としてそれぞれやるべきことをやっているのに何かしっくり来ないと感じることがあったそうです。その時、普段一番寡黙なメンバーが話し合いを提案して「お互いに聴き合っていない」ことを指摘し、皆でハッとしたというのです。

彼らほど才能もあり経験もある人たちが、お互いを「聴き合っていない」なんてことがあるのだろうか?とはじめは思いましたが、そのことを考えながら過ごしていると、なるほどと私自身実感する出来事がありました。

教会のミサの為にソリストとリハーサルをしていた時のことなのですが、初めて合わせる曲で、一度通した後にソリストから「ちなみにここはritを多めにかけてちょっと溜めをつけたい」と言われ、「(さっきもそうやっていたんだけどなあ)」と思いながらもう一度同じように弾いて合わせると、「そうそう!そんな感じで」と言われて、なるほどと思いました。

彼はプロではなく趣味で音楽を楽しんでいる人なので、経験が少ない事はもちろんあると思いますが、「ここはこうするって伝えなきゃ」というアイディアは演奏後に思い出され、すなわち実際に弾きながら私がどう弾いていたかは認識されていなかったのではないかと思いました。

おそらくは、音楽を演奏するということが様々な情報を並行して処理していくことであるだけに、何か特定の事だけに気をとられると他のことは「自動運転」状態になり、演奏は続いているけれどその時実際に何が起こっていたかは認識されないまま通過してしまう、ということが様々なレベルで起こり得るのだと思います。

そう考えると、本当に「聴き」ながら「弾く」ということ、特にアンサンブルの場合はそうして相手のあり方に合わせるということはむしろ大変難しいことなのだと思いました。自分のこれまでの演奏経験を振り返っても、「自動運転」で合わせられている気になっていたことがきっと多くあったのだろうと思い、精進せねばと思いました。