2016年9月15日木曜日

雑感:創造について


実物そっくりの、恐竜のパペットを作っている会社の紹介クリップを見た。夜中に作業場に入ったら、動き出しそうだ。いや、動いている様子を見るともう本物にしか見えない。森で見たら間違いなく本物だと思うだろう。もちろん作った人は、骨格、筋肉や皮膚に当たる部分が何でできているのか知っていて、何を動力にどうやって動いているかも知っている。けれど、それでも自分が作ったものが恐ろしくなることってないのだろうか?

それとは別に、粘土でリアルな人の像を作る芸術家の紹介クリップを見たときにも思った。はじめはあきらかに粘土の塊なのだけれど、どんどん形作られて、完成間際の少女の唇を整えている時なんか本当の人間に触れているかのようだった。

明らかな無機物に命が宿ったのではないかと思うところまで行ったら、それこそ芸術の真骨頂だろうけれど、それは神にも近づく行為というか、少し恐ろしいぐらいのことなのかもしれないな。

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雑感が続きます。。最近はSNSの広がりのおかげで、世界の色々な人々や新たなアイディアに触れる機会も増えたように思います。上記の雑感も、そんなふうに最近見た二つのクリップから来ています。

音楽に関しては、自然にあるものを描写するというより、自然から抽出したものを組み合わせて並べ、人が聴いてどのように感じるのかを追求する営みだと思っているので、目指すところが上記の芸術とは異なる気がしますが、だからこそ益々そういうものにも憧れるというか畏れの念をも感じます。

2016年9月14日水曜日

雑感:ファーストフード店にて


ファーストフード店は、「とりあえず幸せ」な人たちで満ちている。

本当はもっと他に食べたいものがあるのかもしれない。けれど、ひとまず割と安価なメニューの中で、自分の食べたいものを選んで、飲み物やハンバーガー、ポテトを前にして、好きなようにケチャップをかけて黙々と食べている姿は、「とりあえず幸せ」そうに見える。

それは深い意味での幸せではないかもしれないが、そうやってとりあえず自分を幸せにすることもまた、大切な事だと思うのだ。そして、そういうことが可能な場所は社会に必要だと思う。

もちろん、体にいい食べ物や習慣が拡がった方がいい。より良い経営方針のお店が残った方がいい。けれど、高いものだけ、良いものだけでは、万人をすくいきれない状況があると思うのだ。

世の中には完璧でないものもあっていい。むしろそういうものに助けられてこそ、なんとか回っているのじゃないかと、そんなことを思った。

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ピアノティーチングの合間に空き時間ができてしまった際に、立ち寄るファーストフード店があるのですが、先日ポテトをつまみながらお店を見渡して持った雑感です。

わりとローカルなファーストフード店なので、すごく混んでいるということもなく、お店の人たちもリラックスしていて、お客さんも気ままに食事しているので、その中でぼんやりとそんなことを考えました。

2016年9月5日月曜日

散文:水と命


コップにたっぷり注いだ水はいつまでも
そこに湛えられていると思ってしまう

本当は今その瞬間にも少しずつ蒸発している
水というものは、この地に永遠に留まることはできない

命もまたそうなのかもしれない
どんなに元気な魂もいずれは天に帰る

けれどそれは消えてしまったわけではない
水が水蒸気に姿を変えて大気に漂っているように
きっと少し違った形になってそこにある

そして空から雨が降ってくるように
命もまた、いつかこの地に帰ってくる

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台風の被害の報に心を痛めています。これ以上被害が広がらないことを願っています。

今日の散文は、ニュースなどで訃報に触れるたびに感じていたことと、洗濯をしながら思ったことがリンクして持った感想です。

ある時、出かける直前で時間がなくて、洗濯をした後の乾燥機を普段より少し短めの時間で回したところ、やはり生乾きになってしまったのです。急いでいるのに中途半端なことをしてしまった。。と焦りながら、しんなりした洗濯物を部屋中に広げていたのですが、でもこの洗濯物もいつかは乾くのだよな。と思いました。逆に、自然にしておいて水を引き止めておくことはできないのだ。と思いました。

訃報に触れるたびに、自分の中でその人の存在をこの地から彼の地に送る作業をする思いです。行くものを引きとどめておくことはできない。でも、消えてしまったわけではない。そう思うことが救いになるように思っています。