2014年12月30日火曜日

散文:年末の想い


一年を振り返るとき、様々な想い出と共に「今年もまた一つ歳を取ってしまったなあ」と、少しの悲しみも感じます。

そしてまた、「いやいや、自分が思っていたほど大人になっていない事が不安なのだ!」という気持ちも主張します。

けれども同時に、自分の周りの人が歳を取っていく事もまた、同じように悲しいのだということに気がつきます。

実際の所、彼らは昔より素敵になって、昔よりも幸せそうになっていたりするのに、それでもなんだか少し悲しいのです。

おそらく、かつていた場所から離れていくことは、今いる場所の素晴らしさに関わらず、大なり小なり悲しいもので、そしていつかたどり着く場所に近づいていくことの不安は、大人になれば消えるというものでもないのでしょう。

それなら、しんしん悲しみを感じながら、不安だ不安だと言いながら、いつでも目一杯に生きてやろうではありませんか。いつかは心安らかに来た道を振り返れる時も来るかもしれません。

今年もお疲れさまでした。来年も良い年になりますように。

***********
久しぶりの散文です。いつもぼんやりと歳をとる事の切なさや、年齢に対する焦りの本質は何なのだろうと思っていたのですが、年末の片付けなどしながら、対象を自分から少し外して考えてみると「そういうことなのかな」と思えました。

一年の速さには驚きますが、それでも今年も無事に暮らせたこと、その中で成し遂げられたことなどに対してはありがたい気持ちで一杯です。色々な想い出がありますが、中でもこの夏の一時帰国の際に、大学時代に制作したミュージカル「銀河鉄道の夜」の10周年同窓会をできたことがとても嬉しかったです。私の原点を作ってくれた仲間と再会できて、それぞれの10年を感じて、前向きな力をもらいました。これからの10年も良い時間にしていきたいと思います。

今年もブログを読んで下さって本当にありがとうございました。
みなさまどうぞ良いお年をお迎えください!

2014年12月23日火曜日

植松努氏「思いは招く」


TEDxTalksに素晴らしいプレゼンテーションがあったのでシェアさせてもらいます。

植松電機の創設者の植松努さんの「思いは招く」の講演です。

20分ほどありますが、個人的には「とにかく皆一度は見るべき!」と思っている、素晴らしいお話です。特に夢を前にして進めなくなっている人に対しては、何が問題なのか整理して、背中を押してくれるような、そんなお話ではないかと思います。


私は特に、「自信をとりもどすには、新しいことに挑戦することだ。」というところに共感しました。できるかできないかわからないことに挑戦した結果「できた」という実感を積み重ねると、かといって見るからに「自信満々」になるわけではないのですが、次にできるかできないかわからないことに出会った時に「やってみようかな」という気持ちになりやすくなり、積み重ねるほどにどんどん色々なことに挑みやすくなる気がします。

植松さんの推進されている「だったらこうしてみたら」が、ぜひ流行って欲しいと願っています。


2014年12月21日日曜日

コミュニケーションの機能



昨日ユニオン・スクエアのグリーンマーケットを通りがかったのですが、中にはリースのお店も出ていました。もうあと数日でクリスマスなのだなあと思いながら、個人的にはなんとなく年末の気分の方が勝っている今日この頃です。

ここ数週間は、様々な人と会って話す機会がありました。それまでは楽譜を作ったりなどしてあまり人と会わずに過ごすことが多かったので、色々な刺激をもらってありがたかったです。

ところでその日々の中、コミュニケーションには色んな機能があるんだなと気づくところがありました。大きく分けると、「承認」、「気分の交換」、「情報交換」、「意見交換」、「カウンセリング」、の5つになるかなと思います。小論文のようにになってしまい恐縮ですが…、シェアさせてください。

まず、「承認」と「気分の交換」のコミュニケーションの端的な例は挨拶だなと思います。お互いの存在を認めて敬意や好意を表すと同時に、その時の気分やエネルギーも伝えあいます。

その次の「情報交換」は事務連絡や、軽い世間話などにあたり、これが日常のコミュニケーションの大部分を占めるのではないかと思います。

そして最後の「意見交換」と「カウンセリング」ですが、これは共通する経験や興味、近い価値観を持つ人同士がざっくばらんに話した際などに、様々な物事に対して情報だけでなく意見も交換したくなり、話が盛り上がるというような状況です。またその中でさりげなく悩みごとなども相談したりできれば、カウンセリングの効果もあると思います。

例と組み合わせて区切って考察してしまいましたが、実際の会話の中では相手との相性や関係によって、それらのコミュニケーションの機能が様々なバランスで存在しているのだと思います。食物の栄養素のように、どのコミュニケーションも大切だと思いますが、やはり「意見交換」や「カウンセリング」ができることは少なく、そのような会話が出来た時には本当に有り難いなあと満たされた思いがします。様々なご縁に想いを馳せながら、丁寧なコミュニケーションを心がけていきたいなと思います。

2014年12月12日金曜日

マグノリア・ベーカリー

昨日は友達と待ち合わせがあり、マグノリア・ベーカリーに行きました。


マグノリア・ベーカリーは1996年にNYで開店した焼き菓子屋さんなのですが、今はアメリカはもちろん世界中に支店があるそうです(東京にもあるのですね)。


マネス大の近くにもお店がありクラスメートには人気だったのですが、いつも込み合っているイメージもあり、なんとなく一度も来店したことがありませんでした。(おみやげにもらったりして食べたことはありました)


そんなわけで昨日が初めての来店だったのですが、入ってみると評判通りとても良い雰囲気で、お店の中にいるだけでうきうきとした気分になりました。(とくにこのサンタさんに!)


ニューヨークでの生活が長くなってきましたが、まだまだ「初めて」のことは多いなと思い、あらためて日々「知っている事」や「できること」を増やしていきたいと思いました。

2014年12月9日火曜日

Dear Kitten: Regarding The Dog(親愛なる子猫くん:犬に関して)


今日はちょっと、最近見つけてとても気に入ったネコビデオをシェアさせて下さい。

「ネコだいすきフリスキー」でおなじみの、フリスキーのコマーシャルシリーズなのですが、ネコが犬や人間に対して考えていそうなことを絶妙にとらえていて、ストーリー展開も素晴らしく、コマーシャルとしてもよくできていて、本当に名作だと思います。全編英語なのですが下に訳をつけさせていただきました。(拙訳のため、もし間違いがありましたらすみません!)どうぞお楽しみ下さい。


(訳)

親愛なる子猫くん

君も既に気づいていると思うが、
家の中に新しい、あれがいる。

それは犬と呼ばれるものだ。

私がなぜこのことを知っているかというと、
君が来る前にピーナッツという親友がいたからなのだ。

安らかに眠れ。

私はてっきりピーナッツはただ単に
とても醜い猫なのだと思っていた。

彼なりにチャーミングではあったが、
ひどい口臭だった。すさまじかった。

そういうわけなので子猫くん。

いくつか君が知っておくべきことを
伝えようと思う。


親愛なる子猫くん、

まず猫を想像したまえ。

そしてそこから独立性と、
清潔さと、聡明さを取り除くのだ。

そして残ったものが
基本的に犬というものだ。

例をあげよう。

昨日のことだが、私は犬が尻餅をついたまま、
前足を使ってにじり歩いているのを見た。

そして彼は私の方を見て、何と言ったと思う?

こう言ったんだ、 
「見てみて!僕二本足で歩いているよ。まるで人間たちがするみたいに!」

うーん…。
つまり、これだけで、我々の直面している問題の深刻さがわかるというものだろう。


親愛なる子猫くん、

君は私が時々その、まるで忍者に憑かれたかのようになっているのを
見た事があるかもしれない。

ほらあの、
「あちょ〜!」「こぉ〜!」
というあれだ。

慌てる必要はない。
私はただ、上下関係を示しているだけだ。

というのも…、おっと、それは違う。
君はあんまり上手じゃないな。

ううむ。今のはもっとひどかった。

それじゃまるで、背骨がくしゃみしたみたいじゃないか。

やれやれ。


親愛なる子猫くん、

君も「犬は人間の親友である」という言い回しを
聞いたことがあるかもしれない。

それは、正直なところ、
犬側の驚くべきマーケティングと言う他ない。

どうやってやってのけたのか見当もつかない。

ただ、新聞広告を出したりしていないのは確かだ。

君は彼らが新聞で何をするか見た事があるかね?

信じられないかもしれないが、それは読むのとは正反対だ、
これでわかってくれればいいんだが。

つまりその、うんちをするのだ。


親愛なる子猫くん、

犬というのは、
それを口に入れるべきかどうか、
口に入れることで判断するような生き物だ。

そのレベルの意思決定が延々と続く。

彼らは基本的に何でも食べる。
ちり紙がそのいい例だ。

彼らは人間がくれる、あの変な、茶色い、
乾燥した種みたいな固まりすら食べる。

だが腹を立てることはない。

犬に我々のドライフードを全部食べさせてやるのだ。

そしてもしそれが人間に見つかったら、
やつは牢屋に入れられる。

そうすれば、われわれはしっとりとした
あのおいしい缶詰を心置きなく楽しむことができるのだ。

これも作戦だ。


親愛なる子猫くん、

君も、犬が「パペー」と称されるのを
聞いたことがあるかもしれない。

それは何かしらフランス語で言う所の
「パペット」のことだと思うのだが、

そう考えれば人間達が彼に時々ひもをかけるのも納得がいく。

ものすごく下手な操り人形と言わざるを得ないが。

ただ、私が何を言いたいのかというと、
もしも人間達が君にもひもをかけようとしたら、

ともかく固まってじっと動かないことだ。

悪い事は言わない。
ショービジネスに入ってろくなことはないんだ。


親愛なる子猫くん、

確かに、犬というのは時としてかわいいものだ。

というのも、今日のことなのだが
彼が私のところに来て耳の中を嘗め始めた。

変な感じがしたかって?まあそうだ。

だがどちらかというと心地よかった。
見かけで判断しちゃあいけない。

彼らがハッピーになったときには、
正面にいることだ。

なぜならそんな時彼らのしっぽは
変な毛皮の霊剣みたいになって危ないのだ。

実際、それが赤ん坊の足をすくって
ひっくり返してしまったのを見た事がある。


親愛なる子猫くん、

我々の生活は
少々やりにくくなってしまった。

そして一人の時間を見つけるのは難しくなるだろう。

だが少なくとも、我々のお昼寝タイムに
人間があまり寂しい思いをしなくてすむ
ということだけは確かそうだ。

そしておそらく、それで十分だろう。

「あちょ〜!」

そうだ、わんちゃん。

ひれ伏すがいい。


サブタイトル参考 
http://www.amara.org/en/videos/TvvOE0i0aaUZ/en/821843/

2014年12月6日土曜日

コーヒーショップでの雑感



時々楽譜を作るお仕事をさせてもらうことがあるのですが、その間はかなり家に籠りきりになります。作業に区切りがつかず数日家を出ずにいたこともあり、そんな時は焦ってとりあえずお散歩に出かけたり、コーヒーショップに行って作業したりします。

コーヒーショップで人々の中に身を置くと、不思議とエネルギーをもらうような気がして、作業が一段と捗ります。ただ、一方では人々がコーヒーを片手に楽しそうに会話する姿などを横目に、時々真顔で内心人恋しくなったりもして(汗)、そんな時に店員さんが気さくに声をかけてくれたりすると、とても嬉しい気持ちになります。

それでふと思ったのですが、自分のよく行く場所の人々と仲良くなる、良い関係を築くというのは、自分の生活を快適なものにするためには大切なことかもしれないな、と感じました。

今年は図書館にも定期的に通っているのですが、最近は職員さんが私の顔を覚えてくれて、お互い笑顔で挨拶を交わせるようになったのがとても心地よいのです。

深い話はしなくても、顔を見て笑顔になれる相手を行く先々に見つけられたら、毎日はとても明るくなるのじゃないか、そしてそれもまた、自分を支えてくれる大切な人間関係なんじゃないかと、そんなことを思いました。

2014年11月26日水曜日

「フランシーンみたいな友達」、「そばにいるよ」


また少し間が開いてしまいました。今日はニューヨーク市に今年初の雪(どちらかというとみぞれ)が降り、冷たい一日でした。それでも明日はサンクスギビングなので、街には買い物の人出が多かったです。

ところでつい先日、以前こちらのブログにも書いた"Musical Speed Dating"のビデオをYoutubeに載せてもらったので、その中から私の曲2曲をご紹介させて頂きます。


こちらは、「フランシーンみたいな友達」というタイトルの曲で、"Clybourne park"というお芝居に対して書いたコメディーソングです。このシーンの舞台は1959年のアメリカで、白人ばかりが住む団地に初めて黒人の一家が引っ越してくることになり、コミュニティーではその事をどう阻止するか、いや受け入れるべきだ、という論争が巻き起こります。この歌では、平和主義者のベブという主婦が、なんとか皆の論争を鎮めようと、黒人で彼女の家のメイドのフランシーンと自分との”友情”のエピソードを語って皆を説得しようと試みます。マイペースな彼女の必死の説得はどうも少し強引で、また彼女自身の無意識の差別心も時々見え隠れする。。という歌です。ベブ役の女優さんの名演もさることながら、フランシーン役の女優さんの何とも言えないリアクションが絶妙です。


変わってこちらは、昨年のBMIワークショップの最終課題として書いた”6語以下で”という、小説家のアーネスト・ヘミングウェイと父親との関係を題材にした10分間のオリジナル・ミュージカルから、「そばにいるよ」という曲です。物語は、主人公のアーネストが父親を亡くした直後に自分と父親との関係を振り返る過程を描いています。この曲は、アーネストが生まれる直前に、母親からアーネストを身籠った事を知らされた父親が「この子の為に何でもしてやるんだ!」と喜びに満ちて歌う曲です。これはアーネストの想像によるシーンなのですが、結局彼はこの時こそ父親は最も幸せだったと考え、自分が生まれない方がよかったのではないかと結論づける悲しいラストにつながるのですが、それだけにこの曲は幸せに満ちたものになるよう書き上げるのに腐心しました。

聴いて頂ければ幸いです!

2014年11月16日日曜日

ホリデー・アンダー・スター


ここ数日、NYもめっきり寒くなりました。まだ一桁台の温度はありますが、これからもっと寒くなるのだと思うとよけい寒く感じてしまいます。

寒くなると同時に、街中のイルミネーションも増えてきました。昨日はコロンバス・サークルのタイムワーナー・センターに立ち寄ったのですが、ここのショッピング・モールの冬の風物詩、ホリデー・アンダー・スターが始まっていました。

吹き抜けの天井から下げられた星形のランプはその姿だけでもきれいですが、午後5時から夜12時までの間には、館内に流れるクリスマス・ミュージックに合わせて光が踊ります。曲ごとに、あらかじめ光の振り付けがされているのだそうです。

明るい光を見て、クリスマスの音楽を聴くと、外は寒いながらも気持ちはどこかほっと温かくなるような気がしました。そこでふと、冬にイルミネーションが増えるのはもしかして「夏には怖い話をして暑さを凌ごう」という日本の発想と、根本的には同じようなものなのかなと思いました(とはいえアメリカのお化け屋敷はハロウィーンに合わせて秋が盛況です)。

〈おまけ〉 
夜のカーネギー・ホールです。
ライトアップされた姿もまた美しいです。
少し京都の南座を思い出しました。

2014年11月12日水曜日

キャバレー


昨日無事"Musical Speed Dating"が終わりました。

キャバレーなので、丸テーブルを囲んでお酒を飲みながら歌を楽しむ、というスタイルのコンサートだったのですが、小さな会場ながら、昨日は駆けつけたお客さんが会場を満席にしてくれました。

Musical Speed Datingというタイトルは、BMIのクラスの様子を聞いた企画者が「まるでSpeed Dating(お見合いパーティー)みたい!」と思ってつけてくれたものです。というのも、BMIワークショップの一年目は、課題毎に作詞家と作曲家のペアが発表されて毎回違う相手と組んで曲を書いていたのですが、二年目は自分たちでライティング・パートナーを選んでペアを組んで書いて行く、というのがカリキュラムなのです。

昨日はその一年目のクラスで書いた曲が演奏されました。昨年のクラス内の発表では、クラスメートでお互いの曲を演奏し合っていたのですが(とはいえ俳優出身の人も多いので、皆かなりうまいのです)、実際の舞台で、役に合った俳優さんに歌ってもらうと、その曲がどういう風に仕上がっているのかがよりよく見えました。そして曲についての予備知識のないお客さんの反応からも、勉強させてもらいました。

個人的な課題としては、「限られたリハーサルの時間の中で何をどう伝えるか」だなあと思いました。というのも、リハーサルでテンポについて微調整をお願いしたつもりだったのですが、本番はかなり顕著に変わってしまっていて、意図が伝わっていなかったのだなあと反省した場面がありまして…。リハーサルの時間の使い方と、意図の伝わる音楽・楽譜の書き方は本当に勉強だなあと思います。

2014年11月8日土曜日

"Musical Speed Dating"


来週月曜日にもう一つコンサートがあります。"Musical Speed Dating"という、BMIのミュージカル・ライティングのワークショップの去年のクラスで書いた曲を特集したキャバレーで、私も2曲ほど演奏してもらいます。

去年のクラスでは、課題(「欲望という名の列車」、「素晴らしき哉、人生!」、「セールスマンの死」等)に対して約10曲ほど書いたのですが、せっかく書いたものの一般的なキャバレーでは発表する場がないということで、クラスの有志で立ち上げたコンサートです。

企画を担当してくれることになった俳優さんが、自身もブロードウェイ・プロダクションに出演経験のある人なのですが、今回ブロードウェイの舞台に現役で出演している俳優さんとディレクターさんを集めてくれて、小規模ながら本格的な舞台となりそうで嬉しいです。

先日リハーサルに顔を出して来たのですが、俳優さん達はやはり声量、表現力ともに素晴らしく、クラスメイトと「なんか良い曲書いたみたいな気がするねえ。」と喜んでいました。

またこちらにもレポートを書かせてもらいたいと思います。

2014年11月5日水曜日

スケートリンク


先日ブライアント・パークの近くを通りかかったので少しのぞいてみると、もうスケートリンクが開いていました。ついこの前まで広々とした芝生だったように思ったので(調べてみたら今年のスケートリンクは10月中旬から2月いっぱいまでだそうです)、季節の移り変わりの早さを感じます。

きらきらした光景に目を奪われました。(写真右下のカップルは意図して入れたわけではなかったのですが、よりロマンチックな光景になってしまいました 汗)

2014年11月2日日曜日

Masquerade


昨日は、お世話になっているチェリストの友人の主催するコンサートシリーズ、Listen Closelyのハロウィーン・コンサートがあり、弦楽四重奏第一番を演奏してもらいました。

今回のコンサートのタイトルは「Maequerade(仮面舞踏会)」で、NYC在住の若手作曲家6人による7曲が、地元の劇団関係者によるエドガー・アラン・ポーの作品の朗読と組み合わせて演奏されました。演奏会の前にはマスク・コンテストも行われ、とても素敵な雰囲気のコンサートでした。(写真は演奏会後の作曲家と演奏家の集合写真です)

演奏してもらった弦楽四重奏第一番は、2009年にアメリカに来て書いた最初の曲で、その後2013年にリサイタルをした際に改訂を加えて今の形になり、今回は友人からこの曲でとのリクエストでプログラムに加えてもらいました。

今回演奏してもらって嬉しい感動がありました。というのは、この曲は私の曲の中でも特に機能和声的な曲なので、新作を特集したコンサートの中で浮いてしまうのではと思っていたのですが、結果的にはその機能和声的な響きが、様々な新しい響きを聴いた後の耳には「箸休め」的な役割を果たしたようで、後で演奏者やお客さんから「この曲を聴いてほっとして、次の曲もまた新たな気持ちで楽しめた。」と感想をもらえました。

そこにいるお客さんを楽しませること、演奏会全体の満足感に貢献できることは、本当に嬉しいです。機能和声が好きで、なかなかそこから離れた音楽を書けないことが作曲家としての葛藤でもありますが、好きなものを書いた結果、その曲にコンサート・ミュージックとしての居場所を見つけられればこれ以上幸せなことはないなと思います。

初演から5年も経ってようやく、客観的に演奏を楽しみながら聴けたことも嬉しかったです。


〜お知らせ〜
すみません、最近スパム・コメントが相次いだので、しばらくコメント欄はお休みさせて頂きます。また時期を見て再開させてもらいたいと思います。

2014年10月29日水曜日

一緒に歩く




またまた少し忙しい日が続き、間があいてしまいました。気がつけばもう11月が目の前ですね。今日は空き時間があったので、久しぶりにリバーサイドパークに寄りました。曇り空のためやや物悲しげな雰囲気ですが、風は穏やかで、お散歩の人出も多かったです。

少しベンチに座ってほっとしていると、小型犬のワンちゃんを大切そうに抱えた飼い主さんが通って行きました。何となく気になって見ていると、どうもそのワンちゃんは足が不自由なようでした。それでも歩くのが嬉しそうで、飼い主さんにそっと地面に下ろしてもらうと、よろよろとしながら一生懸命に歩いていて、飼い主さんもその様子を嬉しそうに見守りながらゆっくりお散歩されていました。

ちょっと切なくも、しみじみと幸せな光景でした。

2014年10月12日日曜日

セサミ・ストリート


時々NY市立のPerforming Artsの図書館に楽譜など借りに行くのですが、ちょっと前からセサミストリートのイベントが開催されています。特別展示のコーナーだけでなく、館内が全体的にセサミストリートで満たされていてかわいいです(写真が小さいですが、ウェルカム・デスクにクッキーモンスターが座っています)。



ライブラリー・カフェの窓にも色んなキャラクターがいて、和みます。

2014年10月8日水曜日

秋晴れ


ここしばらく少し忙しく、ご無沙汰してしまいました。

数週間の間に秋が深まり、気がつけばすっかり秋晴れが心地よい季節になっていました。そこで昨日は、家での用事も細々とあったのですが、思い切って久しぶりにセントラルパークに行ってきました。ベンチに座ってラップトップを広げ、今年の振り返りなどしていると、去年の今頃のことが意外なほど身近に思い出され、一年の早さをあらためて感じました。

昨冬は本当に寒かったので、この穏やかな秋がもう少し続いてくれることを願うばかりです。

2014年9月14日日曜日

英語について思う事(〜記号的〜)


作曲や編曲をしていて、楽譜に「こう演奏して欲しい」という指示を言葉で書くことがあるのですが、ほぼ記号化されているイタリア語  (Moderatoなどの発想記号やrit.やAccelなど速度記号など)以外に、もう少し具体的に書きたい時には英語で書くようにしています。

英語で書いておくと多くの人に理解してもらいやすい、ということが大きいのですが、大学院の作曲のレッスンでは、「演奏してもらう人が明らかに日本人だとわかっている場合や、日本語でしか表せないニュアンスがある場合であれば、指示を日本語(母語)で書いても良い」というアドバイスをもらったこともありました。しかしそれでもどうにも照れくさく、まだ日本語で書いた事はありません。


しかしなぜ照れくさいのだろう?と考えてみました。

思ったのですが、計算式に例えると

英語で何かを表すのは 1 + 1 = 2

であるのに対して

日本語では 「一足す一は二。」

と言葉で表すような違いがあるのではないかと思いました。


記号を使って事実を表している1+1=2に対して、「一足す一は二。」と言葉で表すとなると、他にも「一と一を足せば二になる。」や「一に一を足すと二になります。」など、言い方にバリエーションが考えられます。そうすると、どの言い方を取るにせよ、それを選んだ「自分」というパーソナルな存在がそこに見え隠れするように感じて、それで照れくさいのかなあと思いました。

それを英語と日本語にあらためて置き換えてみると、たとえば、英語で "I like cat." と言う場合には、誰が話し手であっても多くの場合 "I like cat." だと思うのですが、それを日常的な日本語で表すとすると、話し手の年齢、性別、職業、生きている時代、出身地、そして話している相手等によって「わたしはネコが好きです。」であったり「ぼくネコ好きなんだよなあ。」であったり「うちネコ好きやねん。」であったり色んな言い方があるのだと思います。

日本語にはそういう風に、人称や、敬語、方言などを含めて言葉のそれぞれのパーツにおいて様々なバリエーションがあるわけなので、そもそも何かを言葉にして表すという時点である程度個人的にならざるを得ない言語なのかなあと思います。対して英語は一般的、もしくは記号的なところがあるために、事実をそのまま伝えたり指示をシンプルに与えたりしやすく、また受け取りやすい言語でもあるのかもしれないなと思いました。


《おまけ》
おしゃれめなスーパーのサラダバーの上にディスプレイされていた紙製の立体恐竜です。顔が必要以上に怖めな気はしますが…、よくできているなあと思いました。

2014年9月8日月曜日

USオープン

近頃は楽譜制作の為家で黙々と作業する日々なのですが、今日は少し一段落したタイミングに、思い切ってUSオープンの錦織選手の決勝戦を観に行ってきました。

会場までの道のりには、すでに観戦に向かう人々の浮き浮きとした雰囲気が漂っています。駅から10分くらい歩きます。

お天気はというと、曇り空で少し肌寒いぐらいの気温でした。

荷物検査等のため行列に並びながら周りを見渡すと、やはり日本人を多く見かけました。観戦の為にニューヨークに来た人や、観光で訪れている人もさることながら、ニューヨーク在住の日本人が駆けつけている感じかなと思いました。

スタジアム内のチケットはそもそも断念していたのですが、入場券を購入して会場に入ることができました。会場内にはいくつかスタジアムがあるのですが、その他様々な協賛企業のブースやお土産物屋さん、食べ物屋さんがあってそれだけで楽しめそうな賑やかさです。

 スタジアムの入り口の真上に電光掲示板があり、インタビューや試合の様子が放送されています。さらに会場内では無料のラジオ中継イヤホンを配ってくれているので、スタジアムの外でも試合の臨場感を楽しめました。


錦織選手の活躍なくして私が今日この場所に来る事もなかっただろうなあと思い、初のUSオープン観戦(スタジアム外ですが。。)に感慨深い満足感がありました。

 健闘を讃えつつ、私もがんばろうと思います。


2014年9月4日木曜日

錦織選手


オンラインのニュースで読んで、錦織選手の全米オープンでの準決勝進出という快挙を知ったのですが、今日のニューヨーク・タイムズには大きく記事が載っているとのことで、駅に向かう道中売店で買ってしまいました。

彼が10代だった頃にテレビの特集を見て以来密かなファンなのですが、当時インタビューで「英語で友達や選手仲間と臆さずにコミュニケーションがとれるようになるのには3年かかった。」ということを答える彼を見て、当時は「やっぱりそんなにかかるのかー」と思った記憶がありますが、今となっては3年でそれは非常に素晴らしい話だと思います。

ケガのニュースを聞くたびに、どんなに心が折れそうになったろうと思っていましたが、立ち止まる事なく挑み続け、世界の期待を受け続け、そして今回、過酷なスケジュールの中長期戦を制しての快挙。本当にすばらしいです。

次の試合は土曜日ということで、良い試合になることを願っています。


〈おまけ〉


街中で見つけた「スポンジ・ボブ」ポストです。
・・・形的にとてもしっくりきますね。

2014年8月31日日曜日

秋の記憶


つい数日前になりますが、外に出たとたんに「運動会の日の空気だなあ」と感じました。光の具合や空気の温度や香り、落ち着いた中にも期待感のあるこの感じは「運動会」の記憶と重なります。

駅に向かって歩きながら、子どもの頃を少し思い出しました。決して学校が大好きというわけではなかったのに、どうして今でも運動会にいい印象を持っているのだろうかと考えながら。結局単純ですが、体育が好きだったのである程度燃えていた、ということかと思います…。

過去の記憶を思い出す度に、様々な自分に出会って驚きます。その時々の今の生活に対応する為に、きっと色々なことを忘れて来たのだと思います。生きる為に忘れてきたというか、忘れる事で生きて来たというか。。。だからこそ、大切なことは何度でも思い出さなければとも感じます。大人になるほどに記念日などを大切にしたいなと思いました。

2014年8月27日水曜日

ポスト


アメリカに来た当初は、ポストの形がゴミ箱に似ているとしか思えず、こんなところに手紙を入れて大丈夫だろうかと不安でした。

写真は家の近くのポストですが、いつか車にでもぶつかられたのか、足がくぴっと曲がっています(見ていてかわいそうやら若干いとおしいやら…)。ますます、こんな所に手紙を入れて大丈夫なのかと思います。

それでもここに出した手紙が州を越えて、国を越えて先方に届いたという知らせをもらうと、この場所も世界とつながっているのだと思えてとても感動します。

インターネットのおかげでEmailも電話もすぐにできる時代ですが、手紙が届くというのは特別な嬉しさがあります。少し時間がかかるからなのか、人の手を借りて運ばれるからか、現物が届くからなのか。

つい先日事務的な手紙ながら、ポストに投函しに行ってそんなことを思いました。

2014年8月19日火曜日

5周年


今日になって気づいたのですが、実は昨日がアメリカに来てちょうど5年目の記念日でした。(昨日ブログも書いていたのに、すっかり頭がまわらず 汗)

しみじみと、5年もここにいられるとは思わなかったなと、あらためてありがたく思いました。そして、5年経ってできるようになったことと未だに取組中のこと、音楽はもちろん生活面や人としてこうなりたい、という目標にも想いを馳せました。

ニューヨークに来て以来、当時と今とでは景色の見え方や空気の感じ方が少し違ってきたように思います。未だに新しい経験が多く慣れることはありませんが、ようやく自分の活動場所と感じられるようになってきた思いがします。

今まで取り組んでこなかったことも含めて、これからもっとできることを増やしていけるように、日々歩んでいきたいと思います。

2014年8月18日月曜日

オルガニスト・サブ


またまた間があいてしまいました。

8月に入って前述のミュージカル制作のリサーチを進めているのですが、調べれば調べるほどさらに調べるべきことが見つかって、情報の整理と収集に明け暮れていました。今も作業は続いているのですが、少しだけ全体が見渡せてきたのでほっとしています。

また先月から一ヶ月間、夏の間不在の友人に代わって教会のオルガニストのサブをつとめさせてもらっていたのですが、昨日のミサで頼まれていた日程をすべて終える事ができました。

教会や宗派によってミサの様子も様々だと思うのですが、この教会では、週がわりの賛美歌や固定の儀式曲等を含めて毎回およそ11曲を伴奏しました。そのうち3曲ほどは教会の有志がソロをつとめるのですが(普段はコーラスなのですが、夏の間のみソロなのだそうです)、毎回様々な人が様々な曲を持って来て一緒に合わせるのは面白かったです。賛美歌を歌う人もあればバイオリンを演奏する人もいて、皆自分の持っている音楽を奉納するという感じでした。音楽的背景は人によって様々でしたが、こちらとしてはどの曲も最大限気持ちよく演奏してもらえるように伴奏しなければと気合いを入れつつ、いろんな人とのアンサンブルを楽しみました。

ちなみにオルガンは、ペダルは断念して鍵盤のみ弾いていました。。。

2014年8月3日日曜日

暑中お見舞い


暑中お見舞い申し上げます。

日本のみなさまにおかれましては猛暑や台風で過酷な夏をお過ごしかと思います。どうかお身体大事にしてください。

NYはこの間の極寒の冬の延長なのか、例年まれに見る冷夏で、日差し以外はむしろ春に近いような気温の日々が続いています。

この間は友人と、初めてセントラルパーク内の池のボートに乗ってきました。今まで外から見ていた時には「気持ち良さそうだなあ」ぐらいに思っていたのですが、実際乗ってみるとオールで方向転換したり船を漕いだり、時間内(1ボートにつき1時間15ドル)に船着き場に戻らなければいけなかったりと、意外に気ぜわしかったですが、池の中に浮かんでセントラルパークやその周りの街を見渡すと、とても晴れ晴れとした気分になりました。


9月からBMIの2年目のクラスがスタートするのですが、来年は一年間かけて一人のパートナーと一つの作品作りに取り組みます。そしてその作品の企画書を8/1までに提出しなければならなかったため、7月末は連日ライティング・パートナーとの打ち合わせに取り組んでいました。今はこれでついに自分たちの作品を書いて行くのだとわくわくしています。

8月はその準備と、そして今までに学んだミュージカルの作り方について自分なりにまとめることを優先して活動していきたいと思っています。こちらのブログでも今後何回かにわけてじっくりミュージカルについて書いていければと思っていますので、どうかおつき合い頂ければ幸いです。

2014年7月23日水曜日

NYMF Songwriting Workshop

また少し間が空いてしまいました。先週一週間はミュージカルのソングライティング短期集中ワークショップに参加していました。

このワークショップは、NYMFという今年で開催10年目になるNYのミュージカルフェスティバル(近々このフェスティバルについても詳しく書きたいと思います)主催のもので、昨年秋から参加しているBMIのワークショップとはまた別のものなのですが興味があり参加しました。

内容は、1〜2日目にミュージカルソングの書き方の基礎知識とコラボレーションの進め方を学び、3日目以降は課題に対して各自コラボレーションを進め、最後の2日で曲の発表と公開レッスン、というぎゅっとつまったの導入編、という感じでした。

課題は2曲あり、1曲目は「セレクトされた映画の1シーン」に対して、2曲目は「誰もが知っている有名人」に対して曲を書くというもので、私は一曲目は映画「スクリーム」の冒頭のシーン、2曲目はブラッド・ピットについて書くことになりました。

映画のシーンについてはあらかじめ選ばれたシーンの中からパートナーと相談して第四希望まで出せたのですが、その中からまさか「スクリーム」にが当たるとは思いもせず、家に帰ってあらためて映画を見てみるとやはり恐くて大変でしたが、取り組んでみると「ホラー」という題材も面白いものだなと思いました。

1週間でそれぞれ別のパートナーと2曲を並行して書き上げるというのは少々ハラハラでしたが、ひとまずなんとか発表までこぎ着けられたので良かったです。夏の間はBMIのワークショップがお休みなので、ちょうど良い時期にこちらのワークショップにも参加できてよかったと思います。

ちなみに、こちらはBMIのワークショップで書いたコメディー・ソング(「クライボーン・パーク」というお芝居が題材)なのですが、この曲を一緒に書いた作詞家の友人のミュージカルが今年のNYMFで取りあげられています。他にも続々とクラスメートが自分の作品を発表し始めていて、私もがんばらねばと思います。


2014年7月12日土曜日

The Light Princess Suite (2014)




以前こちらのブログでも紹介させて頂いた、The Light Princess(ふんわり王女)の組曲の音源がようやくアップロードできましたのでご紹介させて頂きます。(音源はラジオ放送の為に収録してもらったものなので、かなり音質が良く嬉しいです。)

組曲は三楽章構成で、各楽章のタイトルはこのような感じです。
I. She Laughs Too Much(彼女は笑いすぎる)
II. Look at the Moon(月を見上げて)
III. This is Very Kind of You(まあご親切に)

一楽章は物語の導入として、ふんわり王女の様子を吟遊詩人が面白おかしく語って聴かせるイメージで書きました。二楽章は、夜の湖で王子が物思いに浸りながら独唱するシーンから始まり(王子は物語中しばしば詩を詠みます)、二人が湖で戯れながら絆を深めてゆく一方、その湖の底では魔女が次なる呪いを画策しているというところで終わります。三楽章は、湖を救う為に人柱となって沈み行く王子と、一旦はその姿を「まあご親切に」と見送った王女がはたと我に返り、必死となって彼を助けようと奮闘する様子とその結末を描きました。

お楽しみ頂ければ幸いです。

2014年7月10日木曜日

ごぶさたしています

大変ご無沙汰してしまいました。皆さん夏はいかがお過ごしでしょうか?

私も元気にしていたのですが、ワークショップの課題に追われるうちにあっという間に時間が過ぎ、夏の一時帰国を経まして、つい先日NYに戻って来ました。

今回はばたばたとした一時帰国だったもので、あまり連絡をとることができず、たくさんの人に会えずに残念でしたが、今年は大学時代の仲間との念願の同窓会を実現することができて感無量でした。これから夏本番、暑いNYで益々がんばって参りたいと思います。

来週はNYMF(The New York Musical Theatre Festival)のミュージカルライティングのワークショップに参加します。1週間という短期講座ですが、BMI以外のワークショップがどのような感じなのか少しわくわくしています。

これからまたできるだけこまめに更新していこうと思いますので、時々覗いて頂けると嬉しいです!

2014年5月2日金曜日

Listen Closely



以前こちらでご紹介したThe Light Princessのお話を元にしたチェロとピアノの為の組曲が、来週土曜日のコンサートで取りあげてもらえる事になりました。"All Things Wild And Wonderful"というテーマのコンサートなので、他の曲とともに演奏を聴くのがとても楽しみです。また近々音源をもらえたらぜひあらためてご紹介させてもらいたいと思っています。

2014年4月24日木曜日

言語について


BMI Musical Theatre Writing Workshopの今年度のクラスも残すところ約一ヶ月となり、出される課題の規模も大きくなってきました。今は戯曲「セールスマンの死」のラストシーンをミュージカル化する課題に取り組んでいて、これまでは一曲ずつの課題だったところ、今回初めて「シーン」を構成することにチャレンジしています。

その過程で、作詞家とも今までより込み入った概念をやり取りする機会が増え、そして音楽を書く対象としても英語に向かい合う時間が増えてきました。英語に関しては、会話の中で瞬時に的確に反応することには未だに文法と語彙の面からも残念ながら不自由を感じますし、歌詞そのものが持つリズムについては作詞家に音読して助けてもらっています。しかしそれでいて、「英語」という言語でこそ表現できるニュアンスや、伝え方の効率の良さ、韻を踏める楽しさ、などにも益々魅かれるようになってきました。

そこで考えたのですが、他言語の習得の大変さを差し引いて考えると、もしかすると自分の表したい事柄に対して、母国語が必ずしも最も適したツールとは限らないのではないか、という思いがけない考えが頭をよぎりました。もちろん母国語は間違いなく一番感覚的に使えるツールで、自分の存在と決して切り離せないものですが、言語を客観的に比べてみた場合、表せる概念の方向性が様々であることは想像に難くないと思いました。

しかしそこから更に拡げて考えると、むしろ言語や会話という形態によって端的に表せることそのものに限りがあるのではないかと思いました。特に「自分はどう考え、何を美しいと思い、何を信じているか。」というような本質的なことは、ある人は絵を書く事で、ある人はビジネスのやり取りで、ある人は作物を育てる事で、またある人は国を動かす事で、黙々と、または時間の流れの中でじっくりと語っているのではないかと思いました。

まとまらずに恐縮ですが、会話や言葉でのコミュニケーションが不得手だと感じるからこそ、もっと多くを音楽で語れるようになりたいと思いました。

2014年4月18日金曜日

イースター卵

今度の日曜日がイースターなもので、近頃街中では色々な卵の飾りやモニュメントを見かけました。


静かな佇まいの巨大卵

お花屋さんのディスプレイの飾り卵

変わり卵


おまけ
何かを待機中の騎馬警官の後ろ姿。

お行儀の良い二頭のおしりに眼を奪われてしまいました・・・。

2014年4月13日日曜日

マグノリアの花

今日も良いお天気でした。

最近は春になって嬉しいということもあり、どんなところでも行った先々で見た景色をあらためて写真に納めてみています。だいぶ見慣れたと思っていた景色も写真にして見てみると新鮮に見え、初心を思い出し、もっとがんばるぞという気になります。

今日はダウンタウンに用事があったのですが、満開のマグノリアの花をたくさん見かけました。

ガンジーさんの像の背景にも

教会の敷地内にも

街中で春を感じているようでした。

2014年4月12日土曜日

散文:春になった日


今日、風が変わった

穏やかに頬を撫でるその風に
もう厳しい冬の面影はない

ずっと抗ってきた存在の消失
その予期せぬ落ち着かなさに
戸惑いながらも感じる

今日、春になった

************

先日NYの四季について書いたばかりなのですが、昨日今年の春の訪れを実感しました。この冬の終わりは何度も寒さが戻ったので、ようやく安定して暖かくなった最近ですら実はまだ春を信じられずにいました。しかし、昨日は少し曇り空で、暖かい風の中にしっとりとした雨の気配を感じました。日差しの変化、そして植物の芽吹きや開花は先んじて春を知らせてくれますが、自分で確かに季節の到来を感じられるのは、毎年こういう穏やかな風の日だったなと思いました。今日からはコートを着ずに出かけようと思います。

2014年4月9日水曜日

四季



今日はとても良いお天気でした。
まだ風は強いものの、ついにNYにも待ちに待った春が来たようです。

それでふと、NYの四季は主に気温の変化とお天気で感じているなあと思いました。NYの冬は寒さが厳しく曇りがちで、大量の雪が降ります。転じて夏は晴れの日が多いものの、うだるような暑さです。こうして冬と夏の気温差が激しいので、「過ごしやすい気温とお天気」を何より感じて生活している気がします。

一方で、京都で生活していた頃には「過ごしやすさ」以外に、春は桜、夏は新緑、蝉の声、蚊取り線香の香り、秋はキンモクセイの香り、紅葉、そして冬は時々雪・・・など、「色や音、香り」といった様々な季節感を感じていたなと思い出しました。

どちらも良いと思います。できれば季節間の寒暖差があまりない方が助かりますし、京都の四季を懐かしく思うことも多々あるのですが、淡々と四季が過ぎていくNYでは時間が均等に過ぎていくようで、個人的に季節の移ろいを感じると少々感傷的になってしまう私としては、これもこれで良いところがあるかもしれないなと思ったりもします。

あ、そういえばNYにも季節の風物詩がありました!天井がオープンになっている観光バスが市内を走り始めたり、Mister Softeeという移動アイスクリーム屋さんが独特の音楽をならしながら街中を走り始めると「ああ、気の早い夏が来たな。」と思います。

ようやく訪れた春を、目一杯感じながら過ごしたいなと思います。

2014年4月7日月曜日

作曲考

ご縁があって、ピアノ科の学生さんから「演奏してみたい」とリクエストをもらったので、昨日は以前に書いたピアノ曲の楽譜の直しをしていました。

2010年、マネス大で作曲の勉強を始めて4曲目に書いた曲で、ピアノで作れる「面白い響き」を模索して書いたことを覚えています。

こちらがその音源です。
https://soundcloud.com/ayumiokada/suite-for-piano-solo-the-days

今回は改訂には踏み込まず、レイアウトをより読みやすくしようと見直しをしたのですが、見る程に「今だったらこういう曲は書かないなあ」と実感し、しかしそれと同時に今の書き方とも通じるところもあるなと思いました。


この曲のタイトルは『子ども時代の日々』といいまして、楽章ごとに「登校中、道草を食ってなかなか学校に辿り着かない子ども達」、「クラス内でのうわさ話」、「静まり返った放課後の学校」など場面を設定して書きました。

なるほど、これまでも物語を設定して曲を書いて来たのだったなあと思いました。ただ、当時は曲の展開の方向性を定める目的で「物語」という背景をあえて作っていたのですが、今は「物語」そのものを「音楽で語る」ことの方に興味があると感じます。結果的に音楽は更にシンプルになり、現状のコンサート・ミュージックからは益々離れていってしまうだろうかとは思うのですが。。。

しかし、どうにも「物語」というものが好きでして、最近ミュージカルの作曲を学ぶ過程でも、音楽で物語る事に益々魅せられていくのを感じます。

そういうこともあり、器楽曲の作曲家としての方向性を模索しているのですが、ぼんやりと、器楽音楽の中にも、文学や既存の物語の力を借りながら最終的には音楽だけで物語る「絵本」や「童話」にあたるジャンルがあってもいいのではないか、と考えたりしています。今後、色々な物語に音楽を書いてみたいと思いっています。

2014年4月1日火曜日

The Light Princessのお話

今日は先日の投稿の続きで、"The Light Princess"のご紹介をしたいと思います。
かなりまとまった長さのあるお話なのですが、Wikiの英語版の粗筋がよくまとまっているので、そちらをざっと訳す形でご紹介させてもらいます。(それでも長めですが、お付き合い頂ければと思います)

*******
「軽いお姫様」

ある国の王様と王妃様の間に姫が生まれました。
待望の姫の誕生を喜んだ王様は、上機嫌で皆を姫の洗礼式に招待しましたが、意地悪で気難しい実の姉だけは呼びませんでした。その扱いに激怒した姉は、洗礼式の日に招待状なしでやって来て、皆の前で呪いをかけて姫から重力を奪ってしまいました。それ以来重さをなくしてしまった姫は、持ち上げられれば連れ下ろされるまで地上に戻れず、風にすら簡単に運ばれてしまう始末でした。姫は成長しますが、その「軽さ」の為に一度も泣いた事がなく、何かに対して真剣になるということもありませんでした。

しかし、姫が1つだけ夢中になったものがありました。それは湖で「泳ぐ」ことでした。そして水の中にいる間は、不思議なことに姫は重力を取り戻しているようなのでした。このことから、もしも姫が涙を流すことがあれば、ひょっとして重力が戻るのではないかという説が持ち上がりましたが、どんなに悲しいお話も、王様のお怒りも、彼女を泣かせることは出来ませんでした。

ある日、別の国から王子がやってきました。王妃候補を探すために旅に出た王子でしたが、未だに理想の姫に出会う事が出来ずにいました。そして「軽いお姫様」については何も知らず森に迷いこみ、偶然湖で姫と出会いました。てっきり誰かが溺れていると思った王子は姫を湖から助け上げますが、陸に上がった途端に彼女は宙に浮かんでしまい、しかも姫から「なんてひどいことをするの!」と怒られてしまいました。しかし王子は一目で恋に落ち、彼女の言う通りに姫を湖に戻すと、二人はいつまでも一緒に泳ぎました。そうして時間を重ねるうちに、王子は姫の様子が湖の中と地上では大きく違う事を悟りました。そして彼女を愛していながらも、地上での彼女とこのままでは結婚できないと考えるようにもなりました。

一方その頃、姫が湖で幸せな日々を送っていると知って腹を立てた例の王様の意地悪な姉は、今度は湖を干上がらせる呪いをかけてしまいました。その結果、湖は日を追う毎に水位を失い、噴水は止まり、雨も降らなくなりました。国中の赤ちゃんすら泣くのをやめてしまったのです。

そしてある日、干上がって行く湖の中から不思議な文書が発見されました。それによると、この惨状を止める方法はただ1つ、生きた男が命がけで湖の底の穴を塞ぐしかないということでした。それを受けて王様は国中におふれを出して志願者を募り、王子は迷わずその役目に志願しました。その時彼が王様に対して出した条件はただ1つ、彼が穴を塞いで沈んで行くのを姫に最後まで見届けて欲しい、というものでした。

ついに湖は、姫に見守られた王子の献身的な犠牲によって満たされて行きました。そして王子がいよいよ完全に水に沈んでしまうと思われたまさにその時、姫は弾かれたように我に返り、必死となって王子を湖から助け上げ、一目散に信頼している賢い女中の元へと向かいました。祈るような思いで姫と女中は夜通し王子を看病し、そしてついに長い夜が明けた時、日の出と共に王子は目を覚ましました。それを見た姫は安堵のあまり床にへたり込んでしまい、生まれて初めての大泣きをしました。姫がついに重力を取り戻したのです。それと同時に窓の外でも空から温かな雨が降り注ぎ、赤ちゃん達の頬にも涙が戻りました。

姫が上手に歩けるようになるのを待って、王子と姫は結婚しました。王様の意地悪な姉は、湖が水を取り戻した時に家が水没して亡くなったそうです。その後「軽いお姫様」と王子は沢山の子宝に恵まれ、そしてそのうちの誰も重力を失いはしなかったということです。
********

というお話です(お付き合いありがとうございました!)。かなり直訳調になってしまいましたが、しかし実際はとてもダイナミックなお話です。「重力を失ったお姫様」というあっと驚く状況設定から、「水」を鍵としてドラマチックな展開をし、そして姫を想う王子の献身、それに応えて自らの力で呪いを解くお姫様の姿に感動しました。

曲の方では3楽章構成にし、1楽章目でふわふわと浮かぶお姫様、2楽章目で夜の湖での姫と王子〜意地悪な姉の悪巧み、3楽章目で沈み行く王子様と必死に助けようとする姫〜ラストまで、を描きました。いずれこちらのブログでも音源をご紹介できると良いなと思っております。

2014年3月28日金曜日

嬉しい知らせ

まだ少々咳と鼻水が残りますが、随分と体力が回復してきました。自然治癒力というものは本当にありがたいものですね。ところで先日は少し嬉しい知らせが入りました。

コンサート・ツアー中のチェリストの友人からだったのですが、以前彼のデュオが委嘱してくれた新曲(先日ヒップホップミュージカルの音楽監督をしながら同時進行で書いていた、メルフェンな曲です)について、彼らが今各地でその曲を弾いてくれていて、お客さんにもなかなか好評だとのことでした。そして今週末にはラジオの収録があるので、曲を演奏してもいいかと確認の連絡をくれたのでした。

こういう知らせをもらうと、大変元気が出ます。

この曲は、チェリストが特に「この物語を発想の元にして曲を書いてみて」とお題をくれて、わくわくしながら書いたものです。

"The Light Princess"

という物語なのですが、Lightは「光」の方ではなく、なんと「軽い」の方のLightです。このお話がまた非常に素晴らしくて、曲を書き始める前にのめり込んでしまいました。

また次回の投稿でストーリーについてご紹介したいと思います。

2014年3月24日月曜日

散文:卒業


まだ幼い君たち、

まぶしいほどのその笑顔、
こぼれ出す無邪気な言葉の数々を、
一番誰に見せ、聞かせてあげたいと思う?

大人になった時の君たちだよ。

こんなにも軽やかに生きていた日々があったこと、
きっと伝えてあげよう。

************

少し間があいてしまいました。ワークショップの発表などあり慌ただしくしていたのが一段落したところで、5年ぶりにインフルエンザに倒れてしまい、ようやく今週から復活して参りました。その間に、アメリカに来る間に非常勤講師として小学校で関わらせてもらった子ども達が卒業式を迎えました。当時一年生だった彼らがついに小学校を卒業・・・。現場ではじめて深く関わった子ども達だったので思い入れも強く、お祝いに電報を贈らせてもらいました。散文は、彼らと関わっていた当時にメモしていたものです。いつか再会できたら良いななどと思ったりしてしまいます。

2014年3月13日木曜日

無事のご報告

昨日ニューヨーク、マンハッタンのイーストハーレムで、爆発によってビルが倒壊する事故があったのですが、私は現場から離れたところにいて無事でした。心配して下さった皆さま、ありがとうございます。

事故のことは出先で領事館からの緊急連絡メールを受け取って知ったのですが、先日東日本大震災から3年を迎えて思いを馳せていたところ、また身近な場所で、予期せぬ出来事で人が亡くなってしまったという事態にショックを受けました。亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、行方不明の方々が救助されることを願います。


震災、事件、事故、病気、トラブルなどの不幸は、自分の力でコントロールできないところで起こることが多いにもかかわらず、時に人生をかけて対応しなければならなかったり、命そのものを奪われてしまうということが今更ながら、理不尽に思えて仕方がないことがあります。

それでも、そういう時はいつもこの言葉を思い出します。「世の中には色んな不幸がある。あなたに起こった不幸と共にあなたは生きていかなければならないけれど、他の不幸は他の人が引き受けてくれているのよ。」マネス大でのピアノのグループ・レッスンで(以前こちらのブログにも書いたかもしれないのですが)、ある日自分に学習障害があるとわかって落ち込んでやってきた生徒に向けて、先生がかけた言葉でした。

大なり小なりみんな不幸を抱えていて、そしてたとえ直接の関わりはなくても、きっとどこかで自分のかわりに不幸を背負ってくれた誰かのおかげで今日も生かされている。そう思って、日々がんばりたいと思います。

2014年3月9日日曜日

散文:野菜選手権 - 玉ねぎ


玉ねぎは強い。

包丁で切ろうとすると、つるつるすべる。
切ったら切ったで、気化した成分で目が痛くなる。
そして涙でぼやけて手元があやしくなる。
もしもその手で目を擦ったらさらに大変。
あげくのはてには、その手がしばらく玉ねぎくさい。

ただでは食べられない、
玉ねぎはかなり強い。

************************
常々、よく食べる割に実は調理の時大変な野菜だなあとは思っていたのですが、先日みじん切りをしていて涙が止まらず、ついに散文にしてしまいました。

ところでアメリカでは今日からデイライト・セービング(またはサマー・タイム)のため、時計が一時間進みました。今日一日は一時間損してしまったような気分ですが、季節の移り変わりを知らせる出来事の1つに、ようやく春が近いのだと実感が湧いてきました。

2014年3月5日水曜日

4分33秒


先週末立て続けに友達の仕事の代行が入り、子どものコーラス、子どものミュージカルでの伴奏をする機会がありました。いずれも小学校低学年〜中学年の子ども達で、担当の先生方が子ども達を静かに課題に取り組ませるのに苦心しておられるのを見て、小学校で非常勤講師として過ごした日々を思い出しました。それと同時に頭に浮かんだのがジョン・ケージの『4分33秒』という曲でした。

これは1950年代初頭に偶然性の音楽を創始し活躍したアメリカ人作曲家、ジョン・ケージの代表作で、三楽章にわたるこの曲の"演奏中"、演奏者は1つも音を発さないという画期的な作品で、「無音」の音楽とも称される曲です。

教育大時代に初めてこの曲の存在を知ったとき、一体その作曲の意図はなんだろうと、とても衝撃を受けました。ケージによると

"The piece is not actually silent (there will never be silence until death comes which never comes); it is full of sound, but sounds which I did not think of beforehand, which I hear for the first time the same time others hear." (Quote from the letter from John Cage to Helen Wolff, Christian Wolff's mother.)

ということで、訳すとこんな感じになるかと思います。

「この曲は実のところ静寂ではなく(死が訪れるまで本当の静寂というものは訪れず、そのような死が訪れること自体があり得ない);沢山の音に溢れている。ただその音というのは私があらかじめ考えたものではなく、私自身もまた、他者がこの曲を聴く時まさに同じく初めて聴くのである。」(親交のあった作曲家クリスチャン・ウォルフの母親に宛てた手紙からの引用)

つまり、完全な無音はあり得ないとした上で、あえて音を発しない状態で大勢の人間が集まって耳を澄ました時に聴こえる全ての音がこの曲そのもの、ということのようです。

そこで思ったのですが、この曲を子どもの初等音楽教育の教材として取りあげることはできないだろうかと空想しました。鑑賞教材としてではなく、演奏教材としてです。

子ども達は音楽と言えば「音を出す事で作るもの」だと習慣的に捉えていると思うのですが、「静寂を作り出す事」もまた音楽なのだという概念を得たら、どうだろうかと思うのです。

小さな子どもたちが集まると、まるで鈴が鳴るように楽しいおしゃべりが広がります。そんな彼らは学校等の授業中等に「静かにしなさい!」と言われますが、どうすれば「静寂」を作り出せるかということを具体的に教えられることはあまりないように思います。そして誰もまったくしゃべらないという時間を3分以上全員で経験し、それを皆で耳を澄まして聴く事も稀なのではと思います。

先生も子どもも、「音を出すこと、出した音を聴く事」にのみ意識が向いているように感じます。

ケージが指摘したように、確かに生物の身体は生きている限り無意識に音を出し続けますが、「静寂」を作り出すことは、自らの意志で出す音を最大限コントロールすることであり、それは音をコントロールすることで奏でる「音楽」の一番シンプルな形態なのではないかと思います。(楽譜が読める必要も、楽器の奏法の習得も必要ないので)

そういう経験や積極的に作り出す「静寂」という概念の獲得を通して、理想的には彼らが「先生に注意されるから」ではなく、1つの授業を1つの曲と捉えて、音を出す場面だけでなく、静寂の役割も主体的に果たし皆が授業を通してその「演奏」に参加できるようになると良いなと思います。

現場の先生方で読んで下さっている方がおられたら無責任な空想をご披露して恐縮で、またすでにこのような試みがなされていたら研究不足でお恥ずかしい限りなのですが。。ただ先日の伴奏の経験で、静かに待っていられない子ども達と、それを大声で注意する先生という構図を見て、なんとかこれをポジティブに変えられないものだろうかと思い、そしてそこから発して音楽とは改めてなんなのだろうと考えるきっかけになりました。

2014年2月26日水曜日

コメディー・ソング

今年度からアメリカの著作権協会の1つであるBMIの主催するミュージカル・ライティングのワークショップに参加しているのですが、一年目はミュージカル・ライティングの基礎を色んな側面から勉強するために、次々に出される課題に沿って作詞家とコラボレーションをしながら次々に歌を書いています。

ワークショップには特に教科書というものはなく、毎回課題ごとに作詞家と作曲家のペアが発表され、約2〜3週間のコラボレーションを経て、クラス内で自演で発表し、それに対して参加者とコーディネーターが感想や講評をフィードバックする中で、学んでいくというカリキュラムです。

課題は今までのところ、映画や舞台など(ミュージカル化されていないもの)を題材に、特定のシーンや特定のキャラクターに、特定の性格の曲を書くというもので、今回の課題は、舞台「クライボーン・パーク」(人種差別をテーマにしたブラック・コメディー)の中のキャラクターにコメディー・ソングを書くというものでした。

差別問題を扱った舞台にコメディー・ソングを書くということで、繊細な問題だけに難しさも感じましたが、「何に対して人は思わず笑ってしまうのだろう?」と考えながらパートナーと練上げるのはやりがいがありました。そして書けば書く程「これは絶対面白いと思う!」と盛り上がり、結果的に発表でもよく笑ってもらえました。

しみじみ思ったのは、人を笑わせるのは柔道で人を見事に投げるようなもので、その前の「つり込み」が大切なのだなと思いました。つまり、時間をかけてパターンを構築して「予期」させ、その上でタイミング良く「びっくり」を持って来るというような・・・。日常生活では、絶妙な間のボケや、思いがけない一発ギャグに抱腹絶倒してしまうこともありますが、計画的に人を笑わせようと思うと、そういう仕掛けが必要なように思いました。

毎回コラボレーションの過程は、二人の相性や思考のパターンの組み合わせと、そして言葉と音楽の相互作用の中でなんとかペアの着地点を探って行くような感覚で、はらはらしますがとても勉強になります。今後の課題についてもまたこちらで報告できればと思います。

2014年2月18日火曜日

散文:書道


時間軸の中に生きる者にとって、
触れることができる時間は「今」だけであり
その軌跡が後に「歴史」と呼ばれるのだと思う


それは「書道」ととてもよく似ている

墨を含んだ筆が紙に触れている瞬間が「今」であり
書かれた文字は筆によって描かれた「今」の軌跡

一端筆を紙に下ろしたら
その場で立ち止まって考えたり
後から消して上から書き直したりはできない

常に「今」描いている筆先に集中して
新たな文字を書き続けなければならない


生きるということは
そうして「歴史」が決定されていく瞬間に立ち会うということ


いつも存分に「今」に生きていたいと思う

***********************


昨日は、私がミュージカルを志すようになったきっかけにもなった、憧れのミュージカル作曲家 Maury Yestonのコンサートを聴きに行ってきました。コンサートが終わり、ロビーに降りていくとなんとご本人がそこにおられました!まさかご本人に会えるとは予期していなかったのでとてもどぎまぎして、いつものパターンだと遠目に観ながら結局そのまま帰り、後になって後悔することが多いのですが、昨日は少し考えました。「後になったら負け惜しみしか言えないが、今ならまだそうなる「歴史」を変えられるぞ!」(おおげさながら)と思い直し、挨拶客の列に並びタイミングを見はからって声をかけ、挨拶できました。とても気さくな方でした。大変興奮して帰りました。


2014年2月16日日曜日

終幕


昨晩をもって、The Sevenの全5公演が無事終了しました。最終公演は残念ながらスケジュールの都合で観にいけず、その前回の公演を観たのですがとても感無量でした。

身近となった物語に益々感情移入するのと同時に、リハーサル期間にキャストやスタッフと交わしたやりとりなども思い出し、これまでの道のりに思いをはせる刹那がありました。

今まで「アシスタント」として小規模ながらいくつかの公演に関わってきましたが、今回初めて「ディレクター」として参加し、そのポジションの責任とやりがいを垣間見た気がします。

実は仕事をオファーされた時には、自分がヒップホップを指導している様子も、仕事の進め方も具体的に想像できず、よほど断ろうかと迷いました。それでもその時の決断の先にこのような世界と経験が広がっていたのだと思うと、よくぞオファーしてもらった、受けさせてもらってよかったとしみじみ思います。

最終公演が終わり名残惜しい気持ちもありますが、舞台が無事に終わってくれたので、ようやく肩の荷を下ろせた思いです。新たな気持ちで次に進みたいと思います。

2014年2月13日木曜日

公演初日


昨日、無事"The Seven"が公演初日を迎えました。写真は完成したセットに照明が入った様子です。

ここ一週間は毎日シアターに通ってのリハーサルで、限られた時間の中で如何に調整していくかの怒濤の日々だったので、昨日の初日でようやく初めてメモをとらず楽譜を追わず顔を上げて全ショーを見たのですが、こんなに緊張するものとは思いませんでした。。

というのもキャストがちゃんと歌ってくれるかが心配というのではなく、照明や音響との段取りの難しさを逐一知っているもので、「あのエントランスはうまく行くだろうか。。」ということが終始気になって、なかなか震えが納まりませんでした。

そんな中、リハーサル最終日に監督がキャストに向けて贈った言葉を思い出しました。彼は初日の前にはいつもそうするらしいのですが、ある演劇に関する本(タイトルを覚えていないのですが。。)からの引用で、内容はこんな感じでした。

「人がどういう時にどれほどの恐怖を感じるか、ということを調査した統計がある。それによると、人は「死に際した時」感じるのと同じかそれ以上の恐怖を、「人前に出て話す」という時に感じる。緊張のあまり『人前でしゃべるくらいなら死んだ方がましだ!』という人がいるのもあながち大げさではない。戦地に向かう兵士は国から表彰されるが、俳優は誰からも表彰されることはない。けれども、君たちがやっていることはそれ以上に勇ましく、尊く、意味があることだ。君たちが舞台で演じる事で、人々に共感する体験をもたらし、君たちもまたそこから「賞賛」以上に素晴らしい体験を得るのだ。」

初日の舞台では、いくつか小さなトラブルはありましたが、キャストとスタッフ達が調整しあって舞台は無事勢いを失う事なく終演を迎えました。客席での私の不安や祈りをよそに、舞台上で生き生きと演じられる本番を見とどけ、ようやくほっとして喝采の拍手を贈る事ができました。

2014年2月6日木曜日

散文:休憩時間


タバコの煙を吐きながら、
人はため息をついているんじゃないかと思う。

紅茶やコーヒーを飲みながら、
人は香りに口づけをしているんじゃないかと思う。

やりきれない思いや寂しさを、
素知らぬ顔してやり過ごし、
さあこれからもう一仕事。

哀しいけれども頼もしい。
今日もそれぞれ、人はがんばる。

********************

自身は吸わないのですが、以前タバコの煙を吐いている人を見て、ふと「あれは本当はため息なんじゃないかな。」と思ったことがあります。何気ない休憩の習慣が、実は自分を励ます為の、ある種の「強がり」だったりするのではと想像した途端、皆がんばっているのだなあと妙にほっとしたのを覚えています。

2014年2月5日水曜日

再びの雪


日本でもたくさん雪が降ったそうですが、皆さま大丈夫だったでしょうか?
こちらも一昨日、今年に入って3回目のスノーストームに見舞われました。今年は本当に多いです。近頃はようやく前回のスノーストームで積もった雪が溶けて道を歩きやすくなったと喜んでいたところ、ほんの一日で銀世界に逆戻りしてしまいました。今は一軒家に間借りして住ませてもらっているのですが、通用扉までの通路を確保するために人生初の雪かきをしてみたところ(結構楽しかったのですが)、翌日覿面に筋肉痛になりました。。

2014年1月31日金曜日

地下鉄の風景

こちらの地下鉄では親子連れが乗りこんでくると、さっと近くの誰かが席を譲るのは日常的な風景なのですが、この間は私が車両に乗り込むと、目の前に座っていた親子連れのお父さんが私に気付いて、隣に座らせていた小さな娘さんをちょこんと膝に乗せて「どうぞ」と席を譲ってくれました。

若干うまくいかなかったリハーサルの帰りだったので、親子の優しさが身に染みました。たった一瞬交わった人生の中で、見知らぬ人からもらった親切は、実に純粋に励みになるものだなあと思いました。

リハーサルの方は昨日から実際のシアターに稽古場を移しまして、二週間後の本番に向けて更に盛り上がってきました。セット制作も同時に進行していくので、リハーサルに行く度舞台の様子が変わっていて完成が楽しみです。


2014年1月28日火曜日

Website

Ayumi Okada Official Site

この度ウェブサイトをリニューアルしました。このサイトの開設からずっとお世話になっている、notnil creative、およびconcrete5 japan Inc.の菱川拓郎氏に大感謝です。今回"Composition"というページで、これまでの音源やビデオを更に聴いて頂きやすくまとめられたのが特に嬉しいです。今の所ほぼ英語の表記だけで恐縮ですが、いずれ日本語のページも作りたいと思っています。できるだけこまめに更新していきたいと思いますので、こちらのブログとともに時々のぞいて頂ければ幸いです。

2014年1月25日土曜日

通し稽古


今日は初の荒通しでした。歌稽古が間に合っていない曲もあった中、振りや段取りもしながら皆暗譜で歌ってくれていて感銘を受けました。課題はたくさんですが、舞台稽古に入るまでの限られたリハを大切に取り組んでいきたいと思います。(写真はある日の歌稽古の様子です。)

2014年1月24日金曜日

散文:山に登る


人生は戦いの連続。

大げさなようだけれど、生き甲斐のため、生活のため、生命の維持のため、

いつも皆何かと戦っている。

しかしそういった戦いは必ずしも全て、他者と利害が衝突するものばかりではない。

そうでないものは、さしずめ山に登るようなもの。

登られても山は何も変わらない。ただ登った人が「やりきれた。」と思うだけ。

一対一で拳を交えるボクサーだって、きっと相手の中に山を見ている。

それもまた、生きるということだと思う。

*****************************
大きな事を書いてしまいましたが。。。先日作曲が終わってリハーサルに出かけようとした時のことですが、ドアを開けて外の冷たい空気を全身に感じ、そして一呼吸して一歩踏み出した瞬間、何か「戦っているなあ」という実感がありました(実際本当に寒かったので。。)。しかしそれと同時に「でも何と?」という疑問も湧き、こんな事を考えました。

2014年1月22日水曜日

雪の夜


またまた間が開いてしまいました。

昨日ようやく作曲中だった曲を書き上げ、もう一踏ん張り!と夕方ミュージカルのリハーサルに出かけたのですが、外に出てみると雪の降りしきる銀世界でした。極寒の中ふうふういいながら電車に乗り、乗り換え待ちにメールをチェックすると「雪のため今日のリハーサルはキャンセルです。」というお知らせが。。。ちいん。

昨晩は今年に入って二度目のスノーストームでした。写真は今日のお昼の家の近所の様子です。気温はマイナス10℃前後と低いままですが、そのせいでまだ雪が溶けていないのか、路面が凍っていないのは助かります。

2014年1月13日月曜日

ラップできる人

昨日初めてがっつりとラップの曲の指導をしたのですが、英語のネイティブスピーカー(中でも特にラップできる人)の能力に感激しました。

ノン・ネイティブとはいえ、練習すれば私もリズムと言葉を習得する事はできて、なんとか曲を教えることはできるとわかったのですが、それと同時にある程度の速さ以上になるともう口がついていかないことも実感しました。具体的には、昨日取り組んだ曲はテンポが♩=140だったのですが、私はもう♩=110を越えたあたりで限界になって口がもつれはじめました。しかし指導した彼女を見ていると、「テンポがあがる=難易度が上がる」ということではないらしく、車のギアを変えるように速いテンポに対応して、速くなればなるほど逆に快適そうにやっていて、最終的に難なく140まで行ってしまいました。真顔で内心、ノン・ネイティブとして越えられない壁を感じてしまいましたが、ともかく一応「教える」という任務は果たせたので一曲一曲やっていきたいと思います。

作曲の方は、「楽譜を渡す時までに、まともな曲になっていればいいから(泣)」と言い聞かせながら、とにもかくにも音を楽譜に置いて、見方を変えては見直して置き直すことを繰り返しています。モーツァルトのようにはじめから完成した曲が書ければよかったのですが…、この徐々に叩き上げるやり方のハラハラ感には未だに慣れません(いつも時間が押しているからという説もありますが)。

2014年1月11日土曜日

"The Seven"

今日は一日中しっとりと雨模様でしたが、気温が10℃ほどもあり過ごしやすかったです。とはいえ一週間の中で最高気温の差が最大20℃もあるのはどうかと思いますが・・・。

最近、来月に本番のあるコロンビア大学のシアタープログラムの卒業制作ショーの音楽監督を引き受けたのですが、今週からリハーサルが始まりました。

内容は、ギリシャ悲劇の「オイディプス王」(予言された運命に抗おうとしながら、結局は予言通り父を殺し、母と結婚してしまったオイディプス王の悲劇)の続編にあたる物語で、"The Seven"というタイトルの、オイディプス王の2人の息子が主人公のお話です。

このショーでは、人名や地名はそのままながら、全編がヒップホップやR&B、ラップで語られ、ギリシャ悲劇の題材を通して現代における「呪い」とは何かということを問いかけます。

上演に際しては、このショーが前回上演された時に使われた音素材、トラックそのものを使用させてもらえるそうなので、本番もバンドはなく、役者さんは録音に乗って歌います。

今までの経験からするとアメリカで小規模なミュージカルを上演する場合には、音楽監督がリハーサルでも本番でもピアノで全曲伴奏するのが一般的なのですが、今回は「伴奏」というものもないので、どちらかというと歌唱指導といった感じで役者さんに曲を教えるのがメインの仕事です。

準備にかけられる時間が限られている中でそれは助かるのですが、課題は全編通して大半がラップだということです・・・。ラップに経験がない上に、英語で!?というだけで怖じ気づいて、当初は「コーラスやメロディーのある曲の指導に専念する」ということで仕事を受けさせてもらったのですが、結局リハーサルの場面になると役者さんに「リズムがどうなってるかだけ教えてくれればいいから☆」と言われてしまい、そうなるとやはりある程度自分で歌えなければならないわけで、幸い楽譜があるので現在特訓中です・・・。

同時に並行して、前から友人に頼まれていた曲を作曲中なのですが、その曲がかなりメルヒェンな感じなので、ヒップホップの世界とのギャップが大きく、二つの世界を行ったり来たり、なかなかシュールな日々を過ごしております。いずれもチャレンジングな状況ですががんばりたいと思います。

2014年1月7日火曜日

"Change the World - a cabaret night"

ご挨拶が遅くなってしまいまいましたが、新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。 

皆様年末年始のお疲れなど出ておられないでしょうか。NYは年明けから寒波に見舞われており、今日の最高気温は-11℃、最低気温は-14℃というなんともいえない寒さでございます。 

昨年のことになりますが、キャバレー・ショウの伴奏をさせてもらった時のダイジェストビデオがアップロードされましたのでご紹介させて頂きます。ダイジェストとはいえ、約20分ほどもあるのでちょこちょことでも見て頂ければ幸いです。

21曲ほど伴奏させてもらったのですが、本番でこの曲数は自己最多で、準備期間も思うようにとれなかったこともあり、本番は非常になり振り構わず黙々と弾いております。反省も多々ありますが、良い経験をさせてもらい、そして最後の曲を弾き切った時にはなんとも言えない達成感があり「報われたなあ」と思えた本番でした。ご覧頂けたら嬉しいです。
す。
Digest Video of "Change the World - a cabaret night" (MuSE SOAF2013) from MuSE Video on Vimeo.