2016年3月31日木曜日

散文:霧の山


ぱっと見て解法が思いつかない問題、取り組んだことのない仕事に取り掛かるのは、きっと中腹から上に霧のかかった山に登るようなもの。

上の方がどうなっているのか、どんなに険しく、どんなに高いのかが見渡せないから、登るのに尻込みしてしまう。そしてその不安はどんなに下調べしたところで解消できない。山の高さや地形がわかっていても、自分の体力と技術で登り果せるかどうかは実際に登ってみるまでわからないから。

だからこそ、そういう課題に取り組むときは気持ちのデフォルトを「まあ、なんとかなるでしょう。」にしておく。そうすると「そう?じゃあ、登ってみるか。」という気になる。

実際のところは何の保証もないのだから、少し自分を騙すようなものだけど、そうして登ってみて実際に難題に直面したところで、もうその段階ではなんとか解決して前に進むしかない。だから結局は登りきれる。

そしたら「ほらね、登れたでしょ。」「確かに。」ということで、自分もなんとなく納得。それが少し難しい課題に取り組むコツのように思います。(実際の山は、お天気が悪い時には登ってはいけないと思います。)

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この間Tedtalksでのトークをご紹介させて頂いたTim Urbanさんも、ブログの記事で「何事もとりかかるのが一番難しい。」と書かれているのですが、なぜそうなのか、どうすれば少しでも早く自分を課題に取り掛からせることができるのか。先日急ぎで楽譜を作る仕事を頂いたので、まさにそんなことを考えながら取り組んでいました。そして今の所、私にとってはこの考えが一番ピンと来るかなと思っています。

2016年3月29日火曜日

散文:春の日




春の暖かい空気に落ち着かないのは、
快適すぎて、優しすぎて、
ひょっとして浄土の空気もこうなんじゃないかと思うから。

寒かったり、暑かったり、
抗わないと負けてしまいそうな厳しい気候の中では
生きている実感を持ちやすい。

それがふっと優しくなった時、
ほんとにこの世のことだろうかと不安になるのかもしれない。
そんな春の日。

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毎年春にはこんなことを感じ、そんな散文を書いてしまっている気がします。そういう季節もあっという間にすぎてしまうのですが、特に暖かい空気の中に雨の気配を感じる時が好きです。

2016年3月17日木曜日

"procrastinator" (後回しにする人)


英語にあって日本語にぴったりの訳語がないものに、"procrastinator"という言葉があります。"procrastinate"が「後回しにする」という意味なので、「後回しにする人」ということになるのですが、この言葉の持つ独特の「私それなんだよね。やっちゃうんだよね。」といったニュアンスがうまく出ずに残念です。

その「後回しにする人」がなぜ後回しにしてしまうのかについて、とても面白く、かつ見事にそのメカニズムを説明したTed Talksがあったのでご紹介したいと思います。まだ日本語の字幕がついていないので、そのままお楽しみいただけないのが残念ですが、概要をかいつまんで説明させてもらいたいと思います。

話し手はTim Urbanさんで、自身の「後回し」にしてしまう傾向に向き合い続け、経験とその分析から導き出した理論をブログで発表したところ、多方面から共感が寄せられたそうです。


彼の理論によると、後回しにしてしまう人とそうで無い人の頭の中は若干違うそうです。どちらにも頭の中に「理性的な判断をする者」がいて、人生の舵を切ろうとするのは同じなのですが、後回しにしてしまう人の頭の中には彼に加えて「すぐに楽をしたがるお猿」も住んでいるそうで、仕事に取り掛かろうとすると、そのお猿が船の舵を奪って現実逃避へと向かわせてしまうのだそうです。「理性的な判断をする者」は理性的な判断をするのは得意なのですが、お猿を止める術は知らないので、唖然としながら状況が悪くなっていくのを見守ることしかできません。そしていよいよ仕事の締め切りが間近に迫ったところで、もう一人のキャラクターが登場します。「パニック・モンスター」と呼ばれるこのキャラクターは、登場するなり文字通りパニックを起こします。すると、後の二人もつられてパニックになり、お猿の方は木の上へと一目散に逃げてしまいます。そうしてようやく「理性的な判断をする者」が舵を取り戻すことができ、なんとか無理を重ねて締め切りに間に合わせる。ということが起こっているそうです。

しかし、ブログに寄せられる感想を読む中で、「後回し」という現象もさらに2種類に分かれることがわかったそうです。一つは上記の状態なのですが、もう一つは締め切りのない目標に対する「後回し」だそうです。締め切りがないということは、「パニック・モンスター」が登場しないので、結局達成されることがなく、より後悔が深いそうです。

そして、 Urbanさんは締めくくりに、スクリーンに小さな四角がびっしりと並んだ図を見せてくれます。一つの四角が1週間を表し、90年分のそれを一つの画面の中に並べたものだそうです。確かに一つ一つの四角は小さいですが、全部を見渡すとそれほど多くもありません。そして、実際はもうそのうちのかなりの量を使ってしまっているので、これを見たらやろうと思って後回しにしていることを、そろそろやらねばという気にもなりますよね!ということでtalkが終わります。

誰もが経験のあることを、面白おかしく、かつ的を得たキャラクターに置き換えて、よくぞここまで明快に解明してくれたなあと思います。彼のブログを見ると、さらに詳しく説明されているので、よろしければぜひチェックしてみてください。

私なりに思ったことですが、「後回し」や「現実逃避」の結果、時に役に立つ雑学が身につくこともある(このtalkも現実逃避の中で見つけたものなので。。。)と思うと、完全に無駄なことはないかもしれないなとは思いたいのですが、目標に向かって進んで行くためには、やはり可能な限りお猿に舵を取らせないようにせねばと思います。。

2016年3月15日火曜日

ショートショート:西方見聞録(近代編・前)


「わあ、あなたずいぶん『徳ポイント』貯まってますねえ。どうされます?」

「とくポイント?」

「徳の高い行いをした時に貯まるポイントのことですよ。徳のポイントだから『徳ポイント』。」

「はあ…。いやでも僕、そんな徳の高い行いなんてしたことないと思うんですけど。」

「いやそこがミソでね。本人には殆ど自覚がないもんなんですよ。」

「はあ。」

「それに別に徳が高い行いっていうのは、大それたことに限らないんですよ。たとえば自分より疲れてそうだなって人に電車で席を譲るのだって、立派に徳ポイントになります。」

「へえ。」

「意外だったみたいですね。でもあなたも思いませんでしたか?人に思いがけず親切にしてもらったりしたら『この人に徳ポイント100ポイントっ!』って。」

「え、いや、そういうポイントがあるって知らなかったもので…。でも、『なんていい人なんだろう、この人に幸あれ』とは思いました。あっ。」

「そう、それなんですよ。その瞬間、こちらで管理している徳ポイントカードにポイントが貯まるって仕組みです。」

「へええ。」

「もともとね、そちらの世界では理不尽なことが多いじゃないですか。良い人が必ずしも報われるわけじゃないし、良いことをしても感謝さえされないこともある。」

「そうですね。」

「でもそれじゃあんまりじゃないか。せめてこちらでは全てちゃんと見ていて、徳の高い行いについては逐一ポイントとして本人に代わって貯めておいてあげよう、とまあそういうことで始まった制度なんです。」

「なんだか優しいですね。」

「で、どうされます?」

「どう、と言いますと?」

「何と交換されます?」

「あ、そうか。ほんとに普通のポイント制と同じなんですね。」

「そうですよ。」

「何と交換できるんですか?」

「それも実はあなた次第なんですけどね。たとえば、何か心残りなことってあります?」

「えっ。」

「いや、そりゃもちろんあると思うんですよ、色々とね。ただ、あなたはこちら側に来てしまったわけですから、基本的にはもう向こうの世界に対して働きかけられないわけです。」

「ええ…、それは心得ています。」

「でもね、なんせあなたには徳ポイントが貯まっていますから、もしどうしてもこれだけはと思うことがあれば、ポイント次第で可能な場合があるんです。」

「本当にっ?」

「ええ。ちなみに最も多いリクエストは『家族や友人の幸せ』ですね。」

「はいっ!」

「いや、ただなんせポイント制なんで、実際そこまでざっくりとはいかないんですよ。ちょっとお手間かけちゃうんですけど、一個一個事例を選んでもらわなくちゃいけなくて。」

「はあ…。」

「つまりですね。例えばあなた、そちらの世界にいた時にご自身でも体験されたことありませんでした?ものすごいピンチになった時になぜか切り抜けられた事とか、すごく悩んでいた時にまるで導きのような出来事があったり。」

「ええ、何度もありました。」

「それ、実は誰かの徳ポイントだったんですよ。」

「ええっ!?」

「あなたの親しい人たちがこちらに来て同じようにポイントを交換した時に、あなたのために使うことを選んだんです。まあそちらの世界においては、それらの現象はただ単に『奇跡』として理解されてたかと思いますが。」

「そ、そうだったんですか…!?」

「ええ。ちなみに徳ポイントを使ってもらった本人にもその半分のポイントが溜まるんですけどね。ポイントを使ってもらうぐらい日頃の行いが良かったで賞ということで。」

「…。」

「オホンっ!ともかくですね、こちらに全ての人の人生を記した閻魔帳がありますから、あなたが徳ポイントを使いたいと思う人の名前を挙げてくれれば、その人の人生をざっと見渡すことができます。そしてその中で起こるどのピンチに対してポイントを使いたいか言ってもらえれば、こちらで出来る限りのことをしたいと思います。どうですか?」

「ぜひお願いしますっ!それではまず…」

…かくして無事に徳ポイントの交換を終えた僕は、次の体重検査場へと向かうことになった(何をするのかは見当もつかないが、まあまた機会があれば誰かに聞いてみることにしよう)。

それにしても『徳ポイント』。そんな制度があったなんて驚きだった。僕が知らない間に貯まっていたポイントで、残してきた皆のためにまだできることがあったなんて本当にありがたい。そして今までは知らなかったけれど、そうやって先に行った親しい人たちが僕の人生をこんな風に支えてくれていたんだと知って胸が熱くなった。この先、彼らとこちらの世界でも再会できると良いのだが。

さて、まずは次の体重検査場に向かうとするか!

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少しアイデアが貯まったので、以前に書いたショートショートの前編を書いてみました。実際のところどうなっているかはもちろんわからないのですが、徳ポイントについては前々からそういう制度があったらいいのになと思っていまして、また徳が高いなと思う人については「あの人相当貯まっているだろうな」と思ったりしています。

2016年3月13日日曜日

「この世は舞台、人はみな役者」



”All the world's a stage
And all the men and women merely players."

シェイクスピアの『お気に召すまま』からのセリフで、その考え方は世界劇場(Theatrum Mundi)と呼ばれる思想だそうなのですが、いつからかとても好きなセリフです。

人生が舞台だと考えると色々なことが当てはまるなと想像が膨らんでしまうのですが、今特に思うのは、もしも先に舞台を降りた親しい人たちが、今は客席からこちらを観ていてくれるのだと考えると、その人たちに伝えるためにも、大切なことは思っているだけではいけないなということです。

残された人々がよりよく生きられるよう努力していくこと、そして先に行った人々への想いもまた常に携えていること。その両方を、この世界で行動し、誰かに伝えていくことがひいては客席の皆さんに伝える方法でもあるのでは、と思えてしまうのです。

3月11日の日に思いを新たにしたことでした。

2016年3月7日月曜日

散文:コーヒーブレイク


体の大きな男の人が、大事そうに小さなコーヒーカップを手のひらに抱えていた。
コーヒー、それは人生の様々の達成に比べればいかにも儚いもの。
淹れられ、飲み干され、また淹れられる。
それでいて、その一杯を欲するどんな人をも励まし、癒す。
手のひらに抱えたくなるぐらい大切なもの。
そういう小さな存在に助けられ、また世界へと立ち向かって行く。

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先日少し大きなコンサートの裏方のお手伝いで、軽食の用意された休憩所の管理をしていたのですが、その際もやはりコーヒーが人気でした。ペットボトルのお茶も、お湯もあったのですが、やはりコーヒーの減りが一番早く、たいしたもんだなと思いました。

寒さの続いたニューヨークも、今日あたりからようやく少し暖かくなってくるようで、春が待ち遠しいです。

2016年3月3日木曜日

散文:今という時間


誰かの見られなかった未来、
将来の自分が戻りたいと思うような過去、
今とはそういう時間でもある。

そういうつもりで毎日を生きる。

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大変ご無沙汰しています。年明けから少々ばたばたとしていて、更新が随分久しぶりになってしまいました。

比較的暖かい今年のNYの冬ですが、今日の外気は日中まだ2℃くらい、無防備な格好でゴミ出しに外に出ると少々機嫌が悪くなるぐらいの寒さです。

これからまたぼちぼちと、散文、考えていること、活動のご報告など更新していきたいと思います。あらためまして今年もどうぞよろしくお願いします。