2013年12月31日火曜日

散文:大晦日


踏みしめて歩く

未だ解決しきれない思いも

これからへの決意も胸に秘め

一歩一歩

この地を踏みしめて歩く

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気持ちは足取りに出るといいますか、歩けば歩くほどに気持ちも前に進めるような気がします。今年もついに大晦日となり、今年も一年を過ごせてありがたい気持ちです。来年も一歩一歩進んでいけますように。皆様よいお年をお迎えください☆



2013年12月24日火曜日

"Starcatcher" for Cello and Marimba



メリークリスマスです!!
皆様いかがおすごしでしょうか。またしばらく間が開いてしまいましたが、おかげさまで元気に師走を過ごしております。先日審査員として参加させてもらった18歳以下の作曲家のコンペティション・コンサートで発表させてもらった新作のビデオが公開されましたので、ご紹介させて頂きます。

タイトルは"Starcatcher"といいまして、「星を捕る人」というイメージです。
この曲にこめたストーリーは、5歳くらいの男の子がベッドの中でうとうととしていると、星が「ほら、つかまえにおいでよ!」と誘いに来て、夢の中で星捕りの冒険に出かける、というメルヒェンなものです。(若い作曲家のコンペティションだからといって、自分まで童心にかえる必要はなかったのですが・・・、マリンバの音色が星がきらめきのように思えて今回はこのようになりました。)

男の子は星をつかまえることができたのか、そしてストーリーにどういうオチがついたのかは、曲からなんとなく察して頂けたら幸いです!


2013年12月15日日曜日

タイトルたち


前回の投稿でご紹介させて頂いた曲に、演奏会当日お客さまから頂いた全タイトルをご紹介させて頂きたいと思います。

それぞれのタイトルは全てユニークなもので、分類させて頂くのも恐縮なのですが、曲に対して全体的にどういう印象を持ってもらえたのかその傾向から読み取れて非常に興味深かったので、失礼してカテゴリ別に載せさせて頂きたいと思います。

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《全タイトル》

・自然(水、雨、雪、川、湖、海、星、月)に関するもの
遠い海、月と河、白鳥の湖、水、雪どけ、雲の憂鬱、雨つぶの旅、森の生き物と川の流れ、月に捧ぐ海の心、星と滝、光と水と風のたわむれ、水としずく、月に読む物語、夜空に瞬く星、深海の影、雨と風と空そして…、雨の日に晴れの日を想う、新しい惑星を見つけました、Going Down the Mississippi River、雨だれ・虹、水の旅、澄み色の滴り、新しいうちゅう

・時間に関するもの
夕ぐれ、朝の窓辺、夜のカンティレーナ、午後の光の中で、未来へ、悠久、静寂から未来へ

・思い出に関するもの
追憶、あの頃に、memories、青春の断章、これまでの思いをこめて、あの日キミと感じた風

・秋に関するもの
秋のあばれ川、私の小さな秋、たそがれの秋、晩秋、枯葉、秋の山道

・京都に関するもの
古都を忍んで、永観堂錦秋、京都・雨、奥山の谷川の風景音、山紫水明

・四季に関するもの
四季と生きる、賀茂川の四季、四季と雪解け(四季を生きる)

・郷愁に関するもの
異郷、望郷、ノスタルジア

・恋に関するもの
慕情、恋

・旅に関するもの
道の途中、秋の帰路

・楽器に関するもの
チェロとピアノの好きな曲、Melody for Cello & Piano

・その他
シンシンシン、万物流転、大呼吸、流線、ハナクモ、悲しく透明な音と戯れ、調和、無我、定め、決断の時、孤高、生きとし生ける者への哀歌、平安の心、かくご、ここより始まる - 時を越えて

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「自然」に関するタイトルが多かったのや、「京都」に関するタイトルを頂いたことは嬉しい驚きでした。また、作曲の際に「旅」というイメージを持っていたので、その一端が伝わったような気もしてこれもまた嬉しかったです。

当日、タイトルに加えて曲の感想も書いて頂いたのですが、そちらも幾節か抜粋してご紹介させて頂きたいと思います。タイトルといい感想といい、演奏会という限られた時間の中で、曲に対して皆様が様々に心に残る言葉を紡いで下さって感激でした。

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《感想より抜粋》

   * チェロの音色が秋の雰囲気で物悲しい印象をうけ、家に帰る道を示しているようだった
   * 下がったり上がったりする所が迷いのある時の感情に似ていると思いました。
   * 悲しい雨が降っているがやがて明るくなる様な
   * 懐かしく、遠い日の思い出にふれた時の様な。あの日から自分の人生が(前向きに)変わった、そんな風景がみえました
   * 誰もいない晩秋の湖を思い浮かべました。静かに枯葉が落ち、突風の中で枯葉は水中に沈み、ねじれ、また湖面に浮かび、また静かにただよう…。枯葉を通して、私たちの人生の不確かさを感じるといった印象をもちました
   * 哀しみを秘めた美しいメロディーですね。旅の車窓に思い出が流れて行くようなイメージです
   * ほっとするがまだ先があるかんじ
   * もの悲しさの中に、いかんともしがたい決然さを感じたので
   * 旅の終わりをふり返るような、消えない記憶を回想するような、時間の移ろいをおもいました
   * 人生は想い出で出来ていると感じた曲でした

2013年12月13日金曜日

コンサート「タイトルをつけてみよう!」より 



またまた間があいてしまいましたが、先月京都で参加させて頂いた「タイトルをつけてみよう!」のコンサートでの演奏ビデオが公開できましたのでご紹介させて頂きます。

もう一ヶ月も前のことになるのだなと思うと、本当に月日が経つのがあっという間ですが、ビデオを見ると、作曲の過程、演奏者とのリハーサル、そして当日会場に駆けつけてくださった友人、恩師、知人との再会、などなど温かい思い出が甦ります。

また、このコンサートは若手作曲家による書き下ろしの新曲に、演奏会当日お客様からタイトルを投票して頂いて決定するという趣向をこらしたものでした。当日はお客様の積極的なご参加のおかげで100案近くのタイトルを頂いて、結果的には1つに絞らせて頂いたわけなのですが、どれも貴重なタイトルなので次回の投稿にてあらためてご紹介させて頂きたいと思います。

2013年11月28日木曜日

散文:これあげる


「これあげる!」

私が落ち込んでいたのを知っていたのか知らなかったのか、
その子が差し出したのは美味しそうなクッキー。

「あ、ありがとう!」

何も聞かず何も言わない。
それでいてとても励まされた。

" 元気出して。"

今度しょんぼりしている友達を見かけたら、
私もきっと何か美味しいものをあげよう。

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大分前のことになりますが、在学中に学内オケに曲を演奏してもらえることになった時、初回のリハーサルで時間が押して、私の曲だけリハをしてもらえなかったことがありました。しかし当時オーケストラ・ライブラリアンのバイトもしていたので、やりきれない気持ちながらオケが使った椅子や譜面台を片付けていると、不本意にも涙がちょちょ切れそうになりました。その時、後ろから仲がよかったビオラの子に呼び止められて何かなと思って行ってみると、上の散文のような感じで何の説明もなくクッキーをくれました。

今日はサンクスギビング・ホリデー(アメリカ人にとって家族で過ごす休日、日本のお正月のような雰囲気です)だったのですが、友人との約束も色々とタイミングが合わず最近忙しかったこともあって、結局無理せず一人で過ごすことにしました。色々とたまっていた事務作業を片付けたり、日記を書いたり、ゆっくり過ごせて「こういうのもいいじゃないか」と思ってお好み焼きなど作って食べていたのですが、ついさっき思いがけず大家さんがお裾分けにとターキーのプレートを持って来てくれました。あまりに美味しそうだったのでさっそく頂くと、やはりとてもホリデーな気分になってありがたくて、ふと「美味しいものの力」をしみじみと思い出しました(ちなみにお好み焼きもなかなかふっくらと出来ました)。

2013年11月26日火曜日

散文:朝ご飯

朝起きるたびに新記録更新。

「やった!今日も生きてる!」

何歳であっても毎朝お祝いしたいぐらい素敵な出来事。

せっかくですから朝ご飯は盛大に食べましょうか。

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日曜日に無事伴奏の本番が終わりました。一時帰国中から戻って以来その練習とリハーサルに明け暮れていたので、ようやく日常を取り戻した気分です。。。今回はスケジュールがかなりタイトで気分的に少々追い込まれたのですが、どうやらきつかったのは準備の段階だったようで、いざ本番を迎えてみるとやはり人と演奏するのは楽しく、「あ〜、報われたなあ。」としみじみ思いました。

散文はちょっと大げさなようですが時々思う事です。特に一時帰国の度に長時間飛行機に乗るので「無事着けるかなあ。」と多少思います。そして目的地について2、3日してからはたと、「あ、無事だった!」と気づいてありがたいと思う感じです。朝も起きてすぐには気づかないのですが、家を出て駅に向かって歩いている時なんかにふと思います。

2013年11月22日金曜日

一時帰国から戻って来ました。

先週末まで約2週間日本に一時帰国していまして、だいぶ間があいてしまいました。

今回は大使館でのビザ面接と「タイトルをつけてみよう!」のコンサートという、二つの大きな予定が入っていたので、いつもにも増して気が引き締まる一方で、たくさんの懐かしい皆さんに会っていただけてとてもリラックスできた一時帰国でもありました。

そしておかげさまでついにビザも頂く事ができ、コンサートも沢山の家族、友人、恩師にご見守って頂いて無事に終わり、とても充実した気分でNYに戻って参りました。

しかし帰るなり今週末はキャバレー・ショウの伴奏の本番が入っているのでばたばたしていますが(汗)、落ち着いたらゆっくり「タイトルをつけてみよう!」のコンサートのご報告をさせてもらいたいと思っています。

皆様どうぞよい週末を。

2013年10月27日日曜日

"Songs for Hope"

Charlie from MuSE Video on Vimeo.

9月に伴奏で出演させてもらった"Songs for Hope"というキャバレー・スタイルのコンサートのビデオがアップされたので、一曲ご紹介させてもらいます。

この曲は"Charlie"というタイトルで、Charlieという名前の犬にまつわるお話です。

主人公の男の子が子どもの頃お父さんと一緒にシェルターからもらってきて以来、掛け替えのない家族として一緒に過ごしてきたCharlieですが、時を経てついに亡くなってしまいます。それ以来ぽっかりと心に穴があいたまま大人になった男の子は、ある時あてもなくつけていたテレビから、ハリケーンや台風で沢山のペット達が家を失ったというニュースを知ります。一念発起してシェルターに向かった彼は、沢山の犬の中から一匹を選ぶことができずに、遂に引き取れる限り全ての犬を家に連れて帰る、というストーリーです。

実際のところ犬を引き取る時はもっと現実的に慎重に検討するべきだと思うのですが。。。しかし、とても前向きで微笑ましい歌だなあと思い、演奏していて楽しかったです。お楽しみ頂けたら嬉しいです。

2013年10月26日土曜日

ハロウィーン


NYもここ数日すっかり寒くなり、季節の変化を感じます。とはいえまだ10月、そしてハロウィーン直前とあって街はあちこち様々に飾り付けられています。

写真は今日通りがかったお家のデコレーションです。このように、アーティスティックでかぼちゃベースのものは見ていて「良いなあ」と思うのですが、おばけや骸骨等、オドロオドロしいものが飾られていることも多いです。そして、飾りとわかっていても、さすがに夜にそういう家の前を通るのは若干ひやっとします。それを友達に話すと「それ、その家の人からしたら大成功だよ。」と笑われてしまいました。。。

2013年10月25日金曜日

地下鉄にて

地下鉄に乗っていて、とてもギラギラしたスニーカーを履いている人を見かけました。

どうギラギラかというと、テカテカの生地に光が反射して表面が虹色に見えるようになっている上に、片方ずつにそれぞれ大きな翼が付いていて、足を揃えると一対の翼になるという具合です。

それを見て、この人はきっと「この靴、いい!」と思って履いているんだろうなあと思いました。それと同時に、でもこの靴を作ったのは別の人なんだよなあとも思いました。デザインを考えた人、企画を通した人、仕入れた人・・・。沢山の人に「この靴、いい!」と思われなければ、この人の手にも渡らずに、私が目にする事もなかったんだと思うと、商品が市場に出るのは大変なことだなあと思いました。

音楽も、作曲で生計をたてること等を抜きにして考えると、やはり出会ったこともないような沢山の人が気軽にipodに入れて持ち歩いて聴いてくれるようになったら、それは究極的に嬉しいことのように思います。

*ちなみに、こういうカバンを持っている人も見かけました。カバンといってもぴらっぴらの薄い布バッグなのですが、表に「My another bag is Chanel(私のもう一個のバッグはシャネルなんです!)」というコピーが書いてあって、「うまい。。」と感激してしまいました。

2013年10月20日日曜日

毎日新聞


11/10(日)の「タイトルをつけてみよう!」のコンサートの記事が、17日の毎日新聞朝刊に掲載されました。(電子版はコチラです)

段々とコンサートが近づいて来て、楽しみな気持ちとそわそわする気持ちを両方感じています。良いコンサートになるようにがんばりたいと思います。

どうぞ、たくさんの皆様にお越し頂ければ幸いです!

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聴衆参加型 現代音楽コンサート「タイトルをつけてみよう!」
2013年11月10日(日) 15:00開演(14:30開場)
京都コンサートホール(アンサンブルホールムラタ)
チケット:前売2,000円、当日2,500円 全席自由
http://www.kyoto-ongeibun.jp/kyotoconcerthall/

2013年10月14日月曜日

散文:思い出

人は場所に思い出を置いていくの 

そこで見たもの、風や香り、光なんかがみんなして
思い出そのまま包み込んでおいてくれるから
まかせてまた新しい場所へと向かえるの 

たとえ景色が変わっても
もう訪れることがなくても大丈夫 

思い出置いて行ったあなたの中には
きっといつまでもその場所が息づいているわ 

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少々久しぶりの散文です。引越前に前のアパートを離れるにあたって、また一緒にNYで頑張って来た友達が新しいステップを踏み出す為に旅立つにあたって、名残惜しみながら思ったことです。心に残る会話も、小さな悟りや郷愁も、その時見たものや居た場所に投影されて記憶に残って行く気がします。

2013年10月12日土曜日

"Jasmin Flower (Mo Li Hua)"



今年夏にバイオリニストの友人の依頼で、中国でのリサイタルの為に中国民謡のJasmin Flowerの編曲をさせてもらったのですが、先日コンサートのビデオがyoutubeにアップされました!ご覧頂ければ嬉しいです。

民謡のしみじみとした美しさを味わいながら、新しい和声づけはできないかと楽しく編曲させてもらいました。カウンターテナーの声の透明さもとても曲のイメージにマッチしていて、きれいに演奏してもらって嬉しいです。

2013年10月8日火曜日

BMIミュージカル・ライティング・ワークショップ

ご報告が遅くなってしまいましたが、先日オーディションを受けたBMIのミュージカルワークショップに合格し、先月末からプログラムがはじまりました。

このプログラムの参加者は一学年につき30人強で(2年まであります)、作詞家と作曲家が半々です。定期的に出される課題ごとにペアも割り当てられて、作詞家と作曲家のコラボレートを経験しながらミュージカルにおける歌のあり方や書き方を学んでいきます。

1つ目の課題は「悲しいこんにちは/嬉しいさようなら」についての曲を自由に書くというもので、私のペアは「引越を機会に色んな物を手放してすっきりする!」という実体験に基づいた発想を元に曲を書いて、昨日発表してきました。

発表の後には他の参加者からの曲に対する感想やコメントをもらう時間があって、そこで曲の改善点などの発想をもらいます。ペアの間では「練上げた!」と思っていたのですが、人に客観的に聞いてもらうといくらでも改善の余地はあるのだなと目から鱗でした。ひとまず最初の発表が終わって少しほっとしました。

2013年10月6日日曜日

引越

しばらく間があいてしまいました。

先日のVisaの認可を受けまして、それ以来手続き等にばたばたとしておりました。先週末には2年間住ませてもらったアパートを引き払って引っ越しました。

引越自体は前々から予定していたのですが時期は結果待ちだったので、決まってから急きょ引っ越し業者をお願いし、引越前日に丸一日かけて荷造りして、次の日には早々に荷解きというスピード引越でした。しかしその後インターネットが繋がるまで一週間かかってしまい、Wifiが使える一番近場のスタバ(徒歩20分)まで通う日々を経て、最近ようやく落ち着いてきました。

引越の数日前には、前の家からよく通ったコーヒーショップや、銀行、洗濯屋さんの店員さん、そしていつも荷物を届けてくれた郵便局のおじさんなどに挨拶したのですが、みんなGood luckと言ってくれてなんだかしんみりしてしまいました。

アメリカに来てからこれで4個目の家になります。引越にも慣れてきましたが、住む場所というのは、家自体の広さや使いやすさと、その周りの地域の治安や便利さと両方大切だなと今更実感します。今回の家は交通の便は若干良くないですが、物価が少し安く、周りが静かなので黙々と仕事に打ち込めそうです。

2013年9月26日木曜日

作曲考

昨日は尊敬する作曲の先生のリサイタルがあったので、久しぶりに新曲ばかりのコンサートを聴きに行ってきました。

どの曲も素晴らしくてとても刺激になったと同時に、作曲ということについてもまた改めて考えるきっかけになりました。

思ったのですが、曲が演奏される直前、お客さんの中にはこれからどんな音楽が始まるのかまったくわかりません。演奏者がステージに上がってから弾き始めるまでの間、この楽器編成で一体どんな曲を聴かせてくれるのだろうとわくわくします。

作曲家が編成を書き始めるときも、少しそれに似ているなと思います。作曲家自身にも、一体これから書こうとしている曲がどうなるのか、まだはっきりとはわかりません。何もないところから人を楽しませる何かを作り出す、その過程に時差はあってもとても似ていて、いずれも期待と緊張の入り交じるタイミングだなと思います。

もう1つ聴いていて思ったのは、アイディアが浮かんだとして、それを説得力をもったエンターテインメントに仕上げるには、作り手側に大きなキャパシティーが必要なんだなということでした。

変な例えですが、「綱渡りをして見せたら、みんな喜ぶかなあ。」と思ったとして、実際やってみて無事に綱を渡りきれるかどうかは別問題ですし、事故を起こしてしまっては自分もお客さんも困ります。ちなみに昨日の先生の場合は、綱の上を巧みに歩きながら尚かつ華麗にジャグリングまでされておられ(るように感じられ)ました。

精進したいと思います。

2013年9月22日日曜日

ご報告

先日ついに移民局から、申請していたビザの許可が下りたと連絡をもらいました。これから一時帰国をして大使館での面接があるので気は抜けませんが、ひとまずアメリカの移民局に認めてもらった事がとても嬉しくほっとしています。

今まで、こんなにたくさんの人に力を貸してもらって何かを成し遂げたことはなく、あらためて感謝の気持ち一杯です。これからNYでの活動を通して、少しずつでも恩返しして行きたいと思っています。

ブログを通して応援して頂いた皆様も、本当にありがとうございました。
日本での面接に向けて気を引き締めて参りたいと思います!

2013年9月17日火曜日

"タイトルをつけてみよう!"


コンサートのお知らせをさせて下さい。11月10日(日)に京都コンサートホール(ムラタ)で開催される、若手作曲家による作品演奏会に出品させて頂けることになりました。コンサートのでの作品初演の後、お客さんにタイトルをつけてもらおうという意欲的な企画です。

私自身渡米後初の日本でのコンサートとなりますのでとても楽しみで、帰国の時期はまだはっきりしていませんがコンサートには参加したいと考えています。

まだ手持ちのチケット等はないのですが、またわかり次第ご案内させて頂きたいと思います。たくさんの皆様にお越し頂ければ幸いです。

音楽の仕事

昨日は教会のオルガニストのサブ、今日は故人の方を偲ぶ会でのピアノ演奏の仕事に行ってきました。現状では楽譜を作るよりも演奏の仕事の方が機会が多いので、できる限り受けさせてもらうようにしています。

音楽の仕事についてはよく考えるのですが、音楽家を相手にする仕事と、一般の人を相手にする仕事の二つがあるなと思います。前者はオーケストラの中で弾くとか、ピアニストとして歌手のコーチングをするとか、最終的にはお客さんやクライアントにプロダクトとしての音楽を届けるとしても、リハーサルの段階では音楽家同士でやりとりをします。それによって緊張感があったり、学ぶ事があったりします。一方後者は教会やイベント等で一般の人と直接やりとりをして音楽を提供するというもので、こちらも自分が音楽家を代表しているような緊張感があります。

アメリカ(とくにNYかもしれませんが)では、後者の仕事が多いおかげで音楽で仕事をしていける可能性が大きいと感じます。教会はたくさんありますし、儀式には音楽がかかせません。何かイベントをしようとなった時に、一般の人も知合いをたどれば1人や2人は音楽家が見つかるもので、「じゃあ頼もう」と気軽に雇ってくれます。生の音楽も、音楽家もこちらでは生活の中で身近なんだなあと思います。

ただその一方で、音楽家も技術職であるにも関わらず、アーティストなら発表する機会自体が本人のメリットにもなるだろうと、技術料や労働時間に対する適正な対価が払われにくいということが問題にされるようになってきました。音楽(エンターテインメント)が医療や法律のようには生活や人生に対する優先順位が高くないので難しいですが、仕事として成り立って行くように社会に少しでも働きかけていきたいなどと思うと、一般の人を相手にする後者の仕事をする時にはより気を遣う気もします。

*固い文章になってしまいました。。。そして台風18号で被害を受けられたみなさま、お見舞いもうしあげます。

2013年9月12日木曜日

レコーディング・セッション

以前音楽助手をさせてもらったThe Sweethearts of Swingが、プロモーション用のデモ録音をするにあたって私も再び助手に雇ってもらえたので、ここ数日レコーディング・セッションに立ち会ってきました。

今日はビッグバンドの曲中のソロ部分の録音があったのですが、圧巻でした。作曲家のイメージの注文に即座に反応して、何パターンでも違う魅力的なソロを決めてゆくブラスプレーヤー達・・・。

気の遠くなるような場数を踏んで来たプロのプレーヤーの身体の中には、もう音楽が揺るぎなく入っているんだなと思いました。

大きなプレッシャーのかかる本番でベストな演奏をするという面では同じながら、楽譜がないところでこそ音楽家としての真価が問われるジャズと、楽譜を如何に的確に読めるかで問われるクラシックの方向性の違いは面白いなあと思いました。

2013年9月7日土曜日

近況

ここ数日で色々と仕事が一段落し、ちょっとほっとした気分で近況のご報告をさせてもらいます。

一昨日、ようやく新しいビザへの申請手続きを完了できました。2月上旬から本格的に準備をはじめ、ここまで来るのに半年以上かかりました。たくさんの人に様々に助けてもらって応募することができて感謝の気持ち一杯です。そしてようやく少しほっとした気分です。1ヶ月以内をめどに結果が通知される予定です。

昨日、BMIの主催する「ミュージカル作詞家/作曲家の為のワークショップ」のオーディションに行ってきました。友人の歌手の助けを借りて、6人の審査員の前で三曲ほど演奏したのですが、カジュアルな雰囲気だったので気負うことなくプレゼンできました。日本では面接やオーディションというと「プレッシャーの中でどこまで本領を発揮できるか」を見るというイメージがあるのですが、アメリカでは「最大限力を発揮できた場合どれぐらいできるのか」を見よう、という雰囲気があるのかなと思いました。

今日は、Songs for Hopeという9.11を追悼するコンサートでミュージカルソングのピアノ伴奏を弾いて来ました。9.11を題材に書かれた歌や、NYについて歌った歌等、演奏していて色々感じ入るところもありました。ミュージカル曲の伴奏では、かなりテンポを自由に揺らす曲や、逆にドラム等リズムが入って終始安定している曲など、クラシックの伴奏とちょっと違うなと思うところもあります。本職のピアニストではないですが、積極的にピアノスキルを磨いて、機会がある限り役立てていきたいなと思います。

今晩はそういう気分だったので、少しお祝いに1人ダイナー(ファミレスのような気軽なレストランです)に行って来ました。チップもかかるので普段一人では行きませんが、コンサートが終わったり何かの区切りを祝うときだけは良いことにしています。とてもリラックスしました。

2013年9月3日火曜日

散文:親友


おれはおまえのために何でもしてやりたい

おまえはおれがつらいとき
何も言わないでも気がついて
手を差し伸べて救ってくれた

おれはそこまで大人じゃないが

いつかおまえのために何でもしてやりたい

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9月早々「漢(おとこ)」調の散文になってしまいましたが(実は若干の照れ隠しです)。。。いつも支えてくれる友達に感謝の気持ちを込めて書きました。

ようやくビザの手続きの方も後一息というところまで来て、今月こそは色々と変化の月になるかなと思っています。気を引き締めつつ大事に進んでいきたいと思います!

2013年8月25日日曜日

観劇記:Murder for Two

今日はオフ・ブロードウェイのミュージカル・コメディー、Murder for Twoを観に行って来ました。(劇場はアッパー・ウェストサイドにあります。)

小さな劇場という事もありますが、連日ほぼ全ての公演が完売というすごい人気ぶりで、一度はラッシュチケットを逃して今日はなんとか観る事ができました。皆どこから噂を聞きつけてくるのか、お客さんの年齢層も様々で、面白いものには人は集まるものなのだなあと思いました。

感想はといいますと、ほんとに素晴らしかったです。

ストーリーは、とある田舎で起こった殺人事件に若手の刑事が派遣され、次々に登場する怪しい関係者に翻弄されながらもなんとか事情聴取を重ね、最後には犯人を見つけ出すというものです。

2人芝居なのですが、1人が警官役を、そしてもう1人はその他の全ての13役を演じます。そしてその2人ともが俳優兼音楽家で、演じる、歌う、踊る、伴奏する、という舞台上での4つの役割を入れ替わり立ち代わり分担するという超人的な舞台で、ただただ圧倒されながら大笑いの90分でした。

2人芝居であることの限界を逆手にとった様々なエンターテイメントはラーメンズのコントを彷彿とさせ、そしてそこに「俳優自身によるピアノ伴奏」という要素が加えられて、ミュージカルにおける俳優と音楽家の境界線をも取り払うという感嘆の舞台でした。

2013年8月22日木曜日

ショートショート:西方見聞録(近代編)

そこにあったのは1つの体重計だった。

あっけにとられている僕に向かって閻魔様は言った。
「さあさ、ほれそこの体重計に乗りなさい。いやいや、靴は脱がなくてもいいから。」
僕は何がなんだかわからなかったが、ともかく言われた通りにした。体重計の針がわずかに振れてぴたりと止まった。一体その目盛りが何を示すのか、僕には皆目検討がつかなかった。なんせ僕にはもう身体の重さなんてないはずなんだから・・・。
「ほほう、おぬしなかなか絞って参ったな。うむよかろう。体重審査合格により、天国行きを許可する!」
ええっ!思わず僕はうろたえた。もちろん天国行きに不服なんてなかったけれど、こんな簡単な決め方でいいんだろうか・・・。
「ふむ、ちょうどもうじき三途の川の渡し船が戻って来る時間じゃ。あちらの船着き場でちょっとばかり待ってなさい。はい、次の者!!」
一礼してからそそくさと僕は示された方向へ向かった。

船着き場の待合所は広々としていて、先に来ていた人々が思い思いにくつろいでいた。僕はこちらの世界に来てから初めてほっとして、胸一杯に息を吸い込んで深呼吸した。そうして少し平静を取り戻してみると、ふとどうしても気になってきたので、つい先ほど切符を切ってくれた船着き場の職員さんにあらためて声をかけた。

「あの、すみません。ちょっとお聞きしてもいいですか?」
「はい、なんでしょう。」
その人がとても穏やな笑顔で応えてくれたので、僕はやはり聞いてみようと思った。
「あの、僕さっき閻魔様に体重測定をされたんですけど、もしかしてあれがかの有名な死者の審理だったんでしょうか?」
「ははは、そうですよ。思っていたのと違ったでしょう。」
「ええ、それはもう・・・。」
「そうですよねえ。このシステムはつい先頃導入されたばかりですから。そちらの世界にまでまだ噂が届いていないのも、いかにも仕方がありません。」
「はあ・・・。」
未だに釈然としない様子の僕に、彼は噛み砕いて説明してくれた。

どうやら一昔前までは僕が昔話やなんかで知っていたように、閻魔様がその人の人生を記したファイル、すなわち閻魔帳を見ながら1つ1つの行いを検証するほかに、魂の天国・地獄行きを決める公平な審査方法がなかったのだが、こちらの世界でもテクノロジーの進歩は日進月歩だそうで、ついに「魂の重さ」を計ることのできる体重計が発明されて以来、審査が画期的に効率化されたのだそうだ。

「でも、魂の重さってそんなに重要なことなんですか?」
「もちろんですよ。いいですか、生きるという事はとにもかくにも『足し算』なのです。生きれば生きる程、罪、すなわち魂の重みは増えて行くわけです。しかしまあ生きる長さというのは、人それぞれ様々に割り当てられていますから、罪の量だけでそれぞれの人生を公平に比べるなどということはとてもできないのです。」
なるほど、確かに100歳まで生きた人と、1歳を待たずに亡くなった人では、生涯犯した罪の数なんてまるで違うだろうな。
「そこでですね、生きれば生きる程にもう1つ増えていくものがあるのですが、なんだと思います?」
「ええと、幸せですか?」
「はは、残念ですがその反対です。悲しみですよ。まあ幸せと悲しみは背中合わせですから、あながちそれも間違いではないのですが。」
「はあ・・・。」
またまたわからなくなってきた。

「つまりですね、生きれば生きる程罪も増えるが、同時に悲しい事にもどんどん出会うわけです。その時に人はどうするかというとですね、泣くのです。実際に涙を流さない事もあるが、心からその悲しみに向き合って感動した時、魂から涙があふれ出るのです。そしてその分だけ魂が軽くなる。これがすなわち生きる上での唯一の『引き算』です。」
まさかそんな・・・。
「ですから、一生懸命生きてきた人というのはだいたい足し算と引き算が清算されていて、こちらに来た時点でもう既に体重がとても軽いのです。あなたのようにね。渡し船に乗るには制限体重というものがありますから、さきほどの体重測定はそれを審査するためのものだったのです。」
「はあ・・・、そういうことだったんですね。でも、それじゃあ逆に、体重審査を通過できなかった魂はどうなるんですか?やっぱり地獄に落とされて、あの手この手でいじめられて泣かされたりするんでしょうか・・・。」
「ははは、なかなか面白い発想です。懐かしの地獄絵ですね。ですがそうではありません。魂を浮かび上がらせるのは本人が心から流した涙だけですから。そして地獄といっても、昨今は別に暑くも恐ろしくもありません。さしずめ、そちらの世で言う図書館みたいなものです。そこには審査で差し戻された全ての魂の閻魔帳が所蔵されていて、皆そこで自分の帳面を借り出して黙々と振り返るのです。そうしてあらためて人生に感動して、たくさん泣いて、魂を制限体重まで減量できたら、そこでようやく乗船許可がもらえます。」
「それじゃあ、どんな魂も皆いつかは天国に行けるっていうことですか!」
なぜだかわからないけど、僕は全ての魂を代表した気分で思わず叫んでしまった。
「そういうことです。でもまあ天国といっても、もしも『永遠の楽園』のようなものを想像されているとしたら大分違うのですが・・・。こちらはですね、そうだなあ、まあいわゆる空港みたいなものです。ここで魂は今度の人生へのチケットを受け取って、誕生に備える様々な手続きをすませてから、新たな人生へと送り出されていきます。」
なんとまあ・・・。
「要するにそうやって魂は常に循環していて、こちらの世にもそちらの世にもどこにも留まってはいないということです。それこそが全ての物事を動かしている真理ですからね。」
僕は、一生かかって解けなかった人生の謎を一瞬にして解き明かされた気分で、とても深く納得してしまった。
「さあ、ちょうどいい具合に渡し船が到着しましたよ。どうぞこちらのゲートから乗って下さい。足下に気をつけて。それでは、どうか次の人生も力一杯に生きて下さいね。」

船はすぐに出発して、船着き場がどんどん遠のいていく。見えなくなるまで手を振って見送ってくれたその人に、僕は深々と頭をさげた。この会話をずっと覚えていたいと思ったけれど、多分今回ばかりは僕の想像通り、次の人生が始まった途端に忘れてしまうんだろう。あの世がこんな風になっていること、魂が留まることなく巡っていて、悲しみも罪も生きることそのものだって知っていたら、もっと違った生き方ができるんじゃないかとも思ったけど、きっとそうじゃないんだな。生まれ変わる度にまっさらになって、魂をかけて人生を学んでいく。だからこそ毎回一生懸命生きられるんだ。

だんだん近づいてきた『空港』を前にして、僕は胸の中にすっかり新しい人生へと向かう気力が充実してくるのを感じていた。

********
昨晩どうにも寝付きにくかったので、お恥ずかしながら散文のアイデアを少し発展させてショートショートを書いてみました。すみません、どうも最近こんなことばっかり書いておりまして(汗)素人ながら言葉を書き始めるとのめり込んでしまい(音楽もこういう風に書ければと時々思うのですが)、昨日は結局益々眠れなくなってしまいました。。。

作曲コンクール(18歳以下対象)


今度、18歳以下の作曲家を対象としたコンクールの審査員を務めさせてもらうことになりました。楽器編成はチェロと打楽器のデュオ、9/16が締切で、応募費は$45、11/24にNYにて受賞作品の初演コンサートが開かれます。18歳以下であれば国籍に関わらず、どなたでも応募して頂けます。コンサートに出席できなくても大丈夫です。お知り合いでご興味のありそうな若い作曲家をご存知でしたら、どうぞお知らせ頂ければ幸いです。応募要項等は英語なのですが、こちらからダウンロードして頂けます。MuSE 2nd Young Composers Competition

2013年8月18日日曜日

記念日

今日は教会でのオルガニスト代行の日で、初めてミサでオルガンを弾いてきました。歌に合わせてテンポを落としすぎてしまったところは反省ですが、全体的には好評をもらえてほっとしました。夏には時々こういった代行のギグ(バイト)が入る事があり助かります。

そして今日はまた、私自身の渡米記念日でもありました。2009年の今日、留学生活をスタートしました。明日から5年目に入ります。本当にあっという間に感じますが、一日一日重ねてこられたこと、サポートしてくださった人々に感謝の気持ちでいっぱいです。

明日からもまた新たな気持ちで日々進んでいきたいと思います。

2013年8月17日土曜日

散文:送り火


生きるほどに、たくさんの悲しみに出会う
時を経ても悲しみは褪せない

誰かに癒され、少しずつ許し、
それを抱えて生きる術を身につけるだけ

人生は悲しい


そしてきっと美しい

****************
ここのところ散文続きで恐縮なのですが。。。京都での五山の送り火の様子を母から聞いて、送り火とともに帰っていった彼の国の家族の魂に思いを馳せました。

2013年8月12日月曜日

幸せになると決めた日

大げさなタイトルで始めてしまいましたが。。。ちょっと閃いた気分なのでお付き合い頂ければありがたいです。

最近はビザの手続きや立て続いたプロジェクトが一段落したのと同時に、まだ秋以降の身の振り方が決まらないこともあって、家計簿の集計や、昨年の活動の記録をまとめたり、自己分析をしたりとメンテナンス作業に多めに時間を費やしています。

そこで今更なのですが、「幸せ」とは「状況」ではなくて「状態」なんだなあと思いました。

教育大大学院時代に受講した「児童心理」関係のクラスで、子どもが迷子になった時を例にとって「『不安』とは、心身の危険な状況を自ら打破する為に必要な作用だ。」と教わって、なるほどと思ったことがあります。

確かに今までを振り返っても、度々「不安」な状況に陥っては、その辛い状態をなんとかしようと四苦八苦して乗り越えてきたなと思います。ただ、その過程で必要以上に心配したり、落ち込んだり、自分を責めてきたこともあるような気もします。

「幸せ」が「状況」のことではないと気づいてみると、それは「いつかなるもの」でも、「誰かにしてもらうもの」でもなく、「体調管理」と同じようにある程度自分でコントロールできるものなのではないかと思いました。

気をつけていても体調を崩してしまうこともあるように、どうしても落ち込むときはあるにしても、自律した大人としてできるだけいつも「幸せ」でいられるように、日々心がけていきたいなあと思います。

2013年8月8日木曜日

散文:お花のブーケ


大切な人の嬉しい時、悲しい時
側にいられない私の心を乗せて

大切な人に想いを伝えたい時
言葉にならない私の心をこめて

贈ります

贈られた人の気持ちに寄り添ったら
そっと静かに散ってゆく

いのちをかけて伝えてくれる
お花は心の分身です

***********************

お花を贈ったり頂いたりする度にこんなことを思います。お花は頂いたときが一番美しく、散ってゆくのが悲しくて、どこか苦手だったところもありました。しかしだんだんと散ってゆくからこそ良いのだなあとも思うようになりました。贈り物というのも難しいものですが、多分一番良いのは「一緒に時間を過ごす事」。お花はそのような「時間」を伝えてくれるのだなあと思います。

2013年8月7日水曜日

オルガン

今度、代行を頼まれて教会のミサの為にオルガンを弾くことになったのですが、先日教会で練習させてもらい、初めてオルガンを弾きました。

軽いタッチの鍵盤を押さえる感じは電子キーボードと変わらないなと安心しましたが(足のペダルは今回は見送りました。。)、弾いた音が広がって教会中に音が響き渡るという経験は初めてでとても興奮しました。

ミサの初めにプレリュードとポストルードとして何かオルガン用の小品を弾くのですが、バッハのプレリュードやインベンションでいいそうなので、あらためて練習しています。

自分が今まで勉強の為に弾いてきた曲を、今は仕事として弾くのだと思うと、音楽を奉納するという気がして気持ちが引き締まります。

2013年7月31日水曜日

やる気を出す秘訣2

向上心というのは「これがしたい、ああなりたい。」という、「欲」が原動力になっていると思うのですが、その過程であまり自分の思うようにがんばれないことが続くと、やる気そのものが出なくなってしまい、しかも何をしたら気分転換になるのかもわからないという時があります。

そういう時にはどうやら、簡単な欲を取り戻すことが立ち直る近道になるようです。

先日まさにそういう状況に陥ってしまい一体どうすればいいのだーとなった時、ひとまず近所のスーパーに行ってみました。家にいても別にお腹は減っていないし、食べたいものもないと思っていたのですが、実際にスーパーに並んでいるおいしそうなものを見るうちに、「今これを食べたらちょっと幸せかも。」と食欲が戻ってきました。

そうしてちょこっと買って来たおかしなどを食べ終わった頃には、さっきまでの憂鬱な気分がうそのように晴れていてびっくりしました。

気分というのは難しいようでいて、ときどき意外に単純でもあるようです。

2013年7月28日日曜日

ポートフォリオ

すこし間が空いてしまいました。ここ数日はNYも不思議に涼しく、過ごしやすい日が続いています。昨日はようやくビザ申請の為に作ってきたポートフォリオを弁護士さんにお預けしてきました。


このような厚めのフォルダーで、中身はこのように


新聞記事やウェブサイト、雑誌等に載せてもらったページのコピーとその英訳、名前の載っているコンサートプログラムや出版してもらった楽譜の写しなど、これまでの音楽活動の記録を詰め込んでいます。

実際の申請にあたってはこの他に、推薦状や仕事の依頼書、今後三年間の仕事計画書、演奏記録、雑誌記事リスト等を合わせて提出します。

まだこれからいくつかの手続きを控えていて、実際に申請するまでにはまだ少し時間がかかりますが、自分で準備できるところは一段落したなと思って少し落ち着いた気分です。

ここにいたるまで、弁護士さんやスポンサーさんをはじめ、手紙を書いてもらったり、コンサート等の機会をもらったり、英訳を手伝ってもらったり、本当に数えきれない人に親切に助けて頂いて、どのお助けがなくてもここまで辿り着かなかったなと心からありがたく思います。もしこちらにもう少し残れることになったら、少しずつでも恩返ししていきたいと思うのですが。。。

ともかく今は、目の前にある目標に黙々と取り組みながら申請の準備を進めたいと思います。

2013年7月19日金曜日

散文:カプチーノ


カプチーノは一人で飲む
背中を丸めてしみじみと

その味わいとの対話に
気を張る必要はなく

何口かすすっては
ふうとため息をつく

************************

ビザの申請の為に過去のプログラム等をポートフォリオにまとめたりもしているのですが、すごい量のコピー作業を伴います。今は大分落ち着いてきたのですが、先々週あたりは毎日コピー屋さんに通って、一番長い時で3時間印刷し続けた日もありました。そしてその近くにちょっと美味しいコーヒー屋さんがあるために、帰りには「ごほうび。。。」とばかりに時々寄っては、散文のように思い切り肩を落としてカプチーノを堪能しておりました。
がしかし、今週というのはもうとてもホットのカプチーノを楽しめる気候ではなく、NYは茹だっております。。。これはもう「麦茶」「グリーンティー」「カルピス」で乗り切る他はなく、今日は日本系のスーパーに行ってカルピスを買ってきました。帰ってさっそく冷たい水で割って飲むと、おいしい。。。この暑さ、乗り切れそうです。

2013年7月18日木曜日

公演

ミュージカルのリーディングが昨日無事に終わりました。俳優組合の規定で、今回の舞台の公演条件では最大29時間しか俳優さんを拘束できないために、集合日から本番までが一週間以内に起こるというすごいスケジュールでしたが、素晴らしい公演になりました。

見ていて胸が張り裂けそうになるシーンも含めて、キャストからは「伝えなければ」という使命感が感じられ、残酷な悪役、壮絶な最後を遂げる若者、悲しみに打ちひしがれながら立ち上がる女達。全員がそれぞれの感情を最大限に演じていました。一方同じく舞台上でバンドとして演奏するミュージシャン達は、細やかにそのドラマに寄り添いながらも終始冷静に音楽で支えました。公演が終わると、製作陣は観劇していた関係者に対応し、stage managerと私は舞台に駆け上がり撤収準備に奔走しました。舞台制作とは本当に役割分担だなと思います。

助手の仕事もまだ手探りのことが多く毎回凹みますが、本番を迎えるといつも誇らしく、やはり舞台が大好きで、そしてそれを裏方として支えることにやりがいを感じるなあと思います。作曲家、編曲家、音楽監督、稽古ピアノ、ミュージシャン、写譜屋さん。。ミュージカルに関わる様々な音楽の部門の中で、自分が最終的にどこに向かおうとしているのかと模索しつつも、機会を頂けるごとに成長していきたいです。

2013年7月15日月曜日

"The Sweethearts of Swing"

現在Music Assistantをさせてもらっているミュージカルですが、タイトルはThe Sweethearts of Swingといって、1940年頃に実際に存在した非白人女性による初のジャズ・スウィング・バンドを題材に、そのバンドに唯一参加した白人のトランぺッターを主軸に、当時の理不尽な人種差別の時代の中で、生きるために耐えようとした人々と、自分の情熱に生きる為に抗った人々のぶつかりあいが、それぞれの壮絶な生き様を通して描かれます。

台本を読みながら、女性にとって音楽を仕事にするということが家族や命まで犠牲にしなければならないほど、こんなにも難しい時代があったのだと感極まりました。

キャストも、バンドメンバーも人種によってキャスティングされているので、自分たちの物語だという重みを感じます。私も、日本人としてアメリカにいる自分について改めて考えさせられました。

火曜日にstaged readingの本番がありますが、これからますます大きくなっていって欲しいミュージカルです。

2013年7月13日土曜日

"音で奏でる世界旅行"


東京でとても素敵なコンサートがあるそうなのでお知らせさせて下さい。
ジュリアード音楽院の卒業生による、世界各国の曲を取りあげたコンサートです。私がNYでお世話になっている方も多数出演されています。東京にお住まいでお時間があられる方はぜひお運びになってみてください。詳しい情報はこちら↓です。

音で奏でる世界旅行 from New York to Tokyo 第3弾
ジュリアード音楽院卒業生が贈るクラシック音楽の旅

東京 サントリーホール(ブルーローズ・小ホール)
7月23日(火)18:30 開場 19:00 開演
チケット:一般 3,000円、学生 2,000円
ホームページ

2013年7月12日金曜日

やる気を出す秘訣

一人暮らしの場合、そのひとつは「家事」だなあと思います。

様々な理由で現実逃避してしまっているとき、そして忙しさの為に生活が犠牲になっているとき、どちらも「なにか攻め込まれている。。」という気持ちになります。

そういう時はなかなか防戦一方で攻めに転じにくいのですが、後になってどうやって抜け出せたか考えると、どんなに小さなことでも自分自身に「自分、負けてないぞ!」という姿を見せられたことがきっかけのような気がします。

特に床掃除、お皿洗い、洗濯等の、とりかかりさえすればやりとげられる家事をこなす事で、「こんなにホコリがとれた!」「お皿を全部かたづけた!」「大量の洗濯物を畳み切った!」等という小さな達成感を味わうことができて、それが転じて自分のやるべきことや目標に対して「攻め上がる」ための第一歩になることが多い気がします。

家事が滞ると生活が荒む反面、家事をこなすことによって元気を取り戻せるというのは、なかなかの自家発電というか、よくできているなあと思います。

今日はソファーカバーを久しぶりに丸洗いして、そんなことを考えました。

2013年7月11日木曜日

阪急電車

『阪急電車』という映画の中で、玉山鉄二が演じていた遠山竜太という人物がいるのですが、彼は初対面の人によく「どこかで会いましたよね?」と言われるというのです。

それを見て初めて「仲間がいた!」と思ったのですが、私も割とそうなのです。昨日も、今度お手伝いする小さなミュージカルの初リハーサルに行って自己紹介をすると、「なんかすごい見た事ある気がする。。」とサックス奏者に言われました。

これで、アメリカに来てからだけでも4人目、日本にいた頃から数えると8人目くらいになると思います。「旅行先の沖縄で出会った兄弟にそっくりだった。お兄ちゃんかと思った。」「(高校の)3年にてっきりお姉ちゃんがいると思ってた。」と、特にその人の中で誰のことかわかっている場合はまだいいのですが、「去年のどこどこのサマーキャンプに行ってたでしょ。」「どこどこの学校に行ってたでしょ。」と明らかに人違いだろうなという場合も多いので、一体どういうことだろうな〜。と思っていました。

しかしこの前、そのようなシチュエーションで相手がどうしても気になって思い出してくれました。「思い出した!どこどこで出会ったなになにって人のことだった!でも不思議なんだよ。思い出してみると、そんなに君と似てないんだ〜(笑)」そうなのです。映画の中で遠山君も同じようなことを言っていましたが、実際その人の写真等を私が自分で見てみても、そこまで似てるとは思わないのです。

毎回不思議な気分になりますが、でも少なくとも初対面の人にその人の知合いに似てると言われると、多少親しみを持ってもらっているようで悪い気はしません。遠山君に至っては「うちで飼ってる犬に似てる!」とすら言われたことがあると言っていた気もしますが・・・、宮本信子演じる萩原時江さんに「それだけ親しみやすい雰囲気を持っているのよ。」と諭されていたので、私もそのように思っておこうと思います。

2013年7月7日日曜日

散文:いちばん大切なこと


人生最大のピンチに対峙した時
「果たしてこれを乗り越えられるのだろうか」
と絶望的に思う。

けれど人生全体から見ればそれも
ひとつの大きな通過点にすぎないのだろうし
そういう風に思える時がきっと来るのだと思う。

それでいて

どうにかしてこの今を乗り越えない限りは
その未来に辿り着かないのだから
やはり大きなピンチには違いない。

ただ言えることは、それが命に関わる事柄でない限り
たとえ思ったようにいかなくても、死にはしないということ。
むしろそのせいで、命を危険にさらしてはいけない。

どんな時にも人生とは続いていくべきものだ。
良い時も、ダメな時も、幸せに向かって。

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この一週間はほぼアパートにこもってビザの準備をしています。またその様子については詳しく書きたいと思いますが、準備をしながらも色々考えることもあります。ともかくやるべきことをやるだけなので、決して絶望的な気分ではありませんが、また何度目かの人生の転機に差し掛かっているなと、今までにあった色々の出来事など思い出していました。

人生とは結局大ピンチの自己記録更新の歴史だなあとつくづく思います。振り返ってみると「こんな風に大丈夫になるってわかっていれば、あんなに落ち込まなくてよかったのになあ。」と思う事すらありますが、きっとまた更に大きな試練がやって来た時には全力でのたうち回ったりするのでしょう。。。それでも本当にいちばん大切なことは何なのか。少しでも落ち着いて考えられる時にはぜひ、ふと何度でも思い出したいと思います。

2013年7月2日火曜日

たくさんの世界

6月末は完全帰国、一時帰国、別の国への進学を含めて多くの身近な友達がNYを離れました。彼らと一緒に過ごす最後の時間は「ああこの人は国に帰って、ここではない国で、また新しい生活を始めるのだ。」と、私自身の中で整理する過程でもあったなと思います。

「本というものは、読んだらそのまま一言一句記憶されるのではない。読んだ人の中に、その人が一番共感した部分を中心に独自のイメージが構成されるのだ。」と聞いたことがありますが、世界の認識もそうやって、一人一人が個別に作り上げているものなのかもしれないなと思いました。つまり、外の世界で起こったことが自動的に自分の世界で更新されるわけではなくて、事実を知って認識、咀嚼する時間をとらないと、自分の中の世界と外の世界が調和していかないというか。。。理屈っぽくなってしまいましたが、ともかく大切な友人たちを見送ることができてよかったです。

ようやく一人になって自分のプロジェクト(ビザの手続き)に取り組めるようになったのですが、少し疲れが出たのか、それまでの日常のペースからするとかなり作業がスローダウンしてしまっています。遅い自分も受け入れつつ、ともかく手は止めず、なだめたりすかしたりしながらペースを上げていきたいと思います。

2013年6月29日土曜日

"花は咲く"



アレンジのポートフォリオ作りの一環として、復興支援ソング「花は咲く」を二重唱にアレンジし、素晴らしいソプラノとテナーの友人に手伝ってもらって録音しました。

願いを込めて書かれ、沢山の人が様々な想いを託して歌っている曲だと思うので、編曲したビデオを発表するのに少しためらいもありますが、私なりにできるだけ曲の性質にそってシンプルに取り組んだので、この曲の二重唱バージョンのひとつとして聴いて頂ければと思います。

2013年6月26日水曜日

"弦楽四重奏第一番"



「弦楽四重奏第一番」の楽譜がこの度出版されました。Abundant Silence Publishing - String Quartet No.1 by Ayumi Okada

ビデオはこの間のリサイタルでの演奏の音源をもとに、出版社がプロモーション用に作ってくれたものです。


アメリカに来て一曲目に書いた曲で思い入れもあり、このような日を迎えられるとはと、先日届いた楽譜を手にしてとても感慨深く思いました。パート譜も丁寧に印刷されているので、今後色んな人に演奏してもらえればと願うばかりです。

2013年6月24日月曜日

"逢ひ見ての"



だいぶご無沙汰してしまいました。。。書きたい事はたくさんあるのですが、徐々に投稿していければと思います。今日は先日演奏してもらった新曲の録音のご紹介です。

以前、5月の投稿「日本的な物」の中でご紹介した、百人一首を題材にしたテナーと弦楽四重奏のための歌曲です。

藤原敦忠による「逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり」という句に、和歌を読み上げる時の節をメロディーのモチーフとして書きました。

夜、男が自分の屋敷の庭から月を見上げている。その静かな情景の中で、その心の内は実に激しく揺れ動いている、という状況を描いてみたいと思いました。

聴いて頂ければ嬉しいです。

2013年6月10日月曜日

"ピアノ三重奏第一番"


4月のリサイタルの録音の中から「ピアノ三重奏第一番」のビデオをYoutubeにアップロードしました。

この曲はアメリカに来て2曲目に書いた曲で、先生から「ちょっと新しい方向で書いてみなさい」と言われて模索しながら書きました。結果的には学内のコンクールで賞を頂き、カーネギーホールの小ホールでの演奏の機会にも恵まれた思い出深い曲です。今回のリサイタルでの演奏にあたって少し改訂を加えたことと、丁寧にリハーサルをしてもらえたことで、ようやく納得のいくレコーディングを得る事ができたと嬉しく思っています。

曲の背景には「ハーメルンの笛吹き」のストーリーを込めていて、各楽器は
バイオリン:笛吹きの笛の音
チェロ:笛の音に誘われて行進する子どもたち
ピアノ:笛吹きの心の葛藤
のキャラクターを担っています。

ビデオではありますが、リサイタルに来て頂けなかった皆様にも楽しんで頂ければ幸いです。


2013年6月9日日曜日

散文:色めがね


たまに世界が違って見えることがある。
見知らぬ土地を旅して帰ると、時々そうなる。

いつもの電車も、近所の街並みも、自分の部屋すらも、何かよそよそしい。
まるで色付きメガネを通して見ているかのよう。

遠い地で彷徨った不安がまとわりついて離れないのか。
道に迷った心のまま身体だけが帰ってきたというのか。

ああ、何でもいい、誰でもいいからつなぎとめてくれないか。
どうか私をこの世界に連れ戻して。

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先月のことになりますが、Steinwein & Sonsのピアノ工場見学に行って来ました。それまで知らなかったのですが、本社/工場がニューヨークにあるのです。

週一回、約3時間の工場見学ツアーが無料で一般公開されているのですが、一回約15人までの予約制のため、昨年12月に予約して約半年待ちました。

参加してみると、引退したベテラン職人さんがものすごく細かく説明してくれながらピアノ制作の各工程を巡る、実にぎっしりつまったツアーでした。

ピアノの木枠は、薄い板を何枚も特別な天然のりで張り合わせ、乾く前に型に沿って固定することであの形を作るのだということ、乾かすのに約半年かけるのだということ、乾かす過程での伸び縮みが木によって違うために最終的に微妙に全てのピアノが違うサイズになるのだということなど知りました。

また、昔ながらの製法を守り続けているために、スタインウェイのピアノはどれだけ古くなっても木枠さえ無事なら工場が引き取って修繕することが可能なのだそうです。

色々な情報を聞く度に「なるほどなあ」と感銘をうけ、またあの大きなピアノの1つ1つの部分が作られていく過程、それが組み合わされてピアノに完成される過程を見ること自体がとても大きな感激でした。

ただ、ともかく情報量が多く、工場の中には制作過程で発生する様々な匂いが立ちこめていたり、工場自体も少し郊外にあり、家に帰って来た時にはなんだかぼんやりしてしまい、散文のような気分になりました。ちなみに今はもうこちらの世界に戻って来ておりますのでどうかご心配なく。。。(実際こういうときは友達と他愛のない話をしたり、家事をしたり普通にしていると大抵平気になりますね。)

2013年6月5日水曜日

散文:今日も静かに


哀しい人々が地球を回す

果てしない哀しみと共に生まれた
彼らはひたすらに働く

哀しみを振り切るように
ささやかな幸せを託すように
今日も静かに

哀しい人々が地球を回す

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先日あったコンサートの前夜、コンサートプログラムの制作責任者としてプログラムを黙々と製本しながら思ったことです。当時はコンサートのリハーサルと、運営面で請け負っている仕事、抱えている他のプロジェクト等のために毎日睡眠を削ってようやく間に合わせる状況でした。疲れきっていて、それでいてまだ他に心配なことが山ほどあるのに、なぜ自分は今猛然とかつ冷静にプログラム折りに取り組んでいるのだろうと思いました。(もちろん次の日がコンサートだったからですが。。。)するとなんだか「そうでもしていないと哀しいから」という気もしました。この時はストレスもあったのと、誕生日前で少しナーバスにもなっていたのだと思います。

しかしそう思うと、身近に尊敬する、いつも忙しく仕事をしている人たちはどこかかすかに寂しそうだなという気もしました。どれだけ実績や地位があっても止まることなく、駆り立てられるように難しい仕事に挑み続ける。その原動力は実は「理由のない哀しさ」だったりするのではないか。仕事からの一瞬の現実逃避が見せた感傷です。

2013年6月2日日曜日

誕生日

ここ数週間の間はとても目まぐるしい日々だったのですが、昨日はその最中に節目の誕生日を迎えることができました。ショーのアシスタントとして1日中シアターに入っていたのですが、キャストの皆さんもお祝いしてくれて、休憩時間に外に出るとお天気も良く、お誕生日メールをもらったのを読んではほっこりとして、そして夜には友達がサプライズでお祝いしてくれて「忙しかったけれど良いお誕生日を迎えられたなあ」と嬉しく思いました。メッセージを頂いた皆様、ありがとうございます!!数日中にはお礼メールを書かせて頂きますので、もうすこしだけお時間頂ければ幸いです。。。

近頃は書きたい事がいっぱい浮かんでくる毎日なのですが、どうにも書く時間がとれずに気持ちだけが胸に溜まってきて、「王様の耳はロバの耳ー!」と地面に穴を掘って叫びたくなった床屋さんの気持ちがわかるような気がします。

近況としましては、とりかかっていた2つめの作曲を仕上げて、その直後にコーラスのコンサートの準備にかかり切りになり、そのコンサートが終わった途端お手伝いしているショーの本番が始まり、今日が中日だったという状況です。もう少し落ち着いたら、色々と思った事など綴っていければと思っています。

2013年5月20日月曜日

教育大の思い出

曲を書いていると色々なことを思い出すのですが、最近は教育大時代に受講したクラスのことを考えたりしています。

1つは「素描」というクラスだったのですが、「石」を可能な限り精密に描くという課題がありました。先生が「石は見れば見るほど見えるようになってくる。とにかく良く見て描きなさい」とおっしゃいました。その通りに取り組んでみると、初めはただ単に自分にとって「そこらへんによくある石」だったものが、その形、微妙に混じり合った色、表面のでこぼこに出来る影までどんどん見えるようになってきて、ついに愛着まで湧いてきて驚きました。それはあるいは、初めは散らかっていてもさほど気にならなかった部屋を片付け始めた途端、どんどん汚れや散らかりが気になって片付けが止まらなくなるのとも少し似ていました。。。

もう1つは「幼児教育」のクラスで、「どろだんご」づくりをした経験でした。担当の加用先生は「光るどろだんご」を研究されていて、クラスの受講生にもその一端を指導して下さいました。その制作過程の途中で「基本の形を整えてからは無理な力を加えず、その時々のどろだんごに適した細かさの砂を振りかけ、やさしくなぞり落とす。」という行程に感激しました。だんごの湿り気が、その時に必要なだけの砂を自分で吸着するので、無理な力をかける必要がないのだそうです。そうしてさらに時間をかけて丁寧に行程を重ねていくことで、最終的にはどろだんごが光りだすというのに感激しました。(光るどろだんごについて詳しくはコチラ

とてもランダムなようですが、作曲にもそういう側面はあるのかなあと考えています。書き始めは「今回はこんな曲を書きたい!」等と色々な理想を持って取り組み始めるのですが、結局はその時選んだ素材が成りたい姿をどこまで見極められるか、そしてそこに至る為にどれだけ色んな種類の「砂」を持っているか、ということなのかなあなどと思います。

教育大時代には色々と今でも考え続けるきっかけをもらったなあと思います。

2013年5月16日木曜日

日本的な物

最近はいくつか並行して作曲に取り組んでいるのですが、そのうちの1つが数日前に仕上がりました。

仕上がりがぎりぎりになってしまったのですが、今月末にあるコンサートの為の曲で、テナーソロと弦楽四重奏のための2分半ほどの曲です。

歌詞は、百人一首の中から権中納言敦忠による「逢い見ての 後の心に くらぶれば むかしは物を 思わざりけり」で、メロディーは和歌を読む時の節をモチーフにしています。

中学時代に百人一首を暗記した中で、ほとんどの歌は記憶から抜け落ちてしまったのですが、この歌だけは何か好きで頭に残っていました。曲としては今回もあえて理論的に組み上げたりせず(いつも結局そうなってしまうのですが。。。)、自分の中にある日本的な物をかき集めたらどのような形になるか、と楽しみながら書きました。

そして今日はひとまず書き上がった区切りに、一人ランチといいますか、ハンバーガーを食べて来ました。

お店の外の、ビルの谷間の中庭のテラス席でハンバーガーを食べながら、「なんだか今日の日差しと空の色、風の感じは日本っぽいな。」と思いました。そういえば、アメリカに来てからも折に触れてそう感じる瞬間があったと思い、少し考えました。

結局日本的な物を作るには、必ずしも日本の物を使う必要はなく、感覚の問題なのかなと思いました。日本で見聞きして育った「こういうものが美しい、懐かしい」という感覚があれば、どこに行っても日本的な物、風景、瞬間というものを見つけられるのではないかと。。。

今回の曲の中では部分的に日本の楽器を模倣したり、日本の音階的なメロディーを使ったりもしましたが、ムードを描き出す為にはアメリカに来てから学んだ対位法を主に使っていますし、歌ってもらうのもオペラシンガーのテノールです。この曲を聴いて全体として「日本的だ」と、日本人に感じてもらえたら嬉しいなあなどと楽天的なことを思っております。

2013年5月12日日曜日

散文:母の日


卵料理はとても不思議。
食べると途端によみがえる思い出がある。

スクランブルエッグは朝ご飯。
お弁当には目玉焼き、だし巻き卵は遠足で、卵とじうどんは風邪のとき。

全部全部、お母さんの味。
大事に育ててくれた毎日が味の記憶に刻まれている。

大人になって一人暮らし。
自炊にその味見い出して、時々涙が出そうになる。

お母さん。
いつも今もこれからも、ずっとずっとありがとう。

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すみません、今年は私の中では「散文の年」のような気がしているので。。。恐縮ですがこの場をお借りして母に散文を送らせて頂きたいと思います。

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先日京都新聞に取り上げて頂いた記事につきまして、恩師、友人、お世話になった方々からたくさんの温かい反響を頂きました。本当にありがとうございます!とても大きな励みになり、これから益々がんばって参りたいと思います!!

2013年5月9日木曜日

京都新聞

5月7日発行の京都新聞の夕刊に、幸運にも記事を載せて頂くことができました。
まだまだこれから活動を広げて行こうというところですが、故郷の皆様に現状のご報告ができたようでとても嬉しいです。これからさらに良いご報告ができるようにがんばりたいと思います。

2013年5月3日金曜日

話すとき

最近はようやくコンサートなどの予定が落ち着き、黙々と事務作業や作曲をするばかりになり、また改めて身が引き締まる思いです。

ところでリサイタルから2週間になりますが、その晩お世話になった友人達と夕食を食べに行った席で印象的だった会話を今も時々思い出します。

会話の話題が人前でのスピーチに及んだとき(リサイタルでは私も含め、多くの演奏者にも観客に向かって話してもらったので)友人の一人は女優さんだったので、「何か人前で話すコツはない?」と聞いたところ、

「素直に話す事が一番よ。」

と言われました。彼女曰く、紙に書いて用意した完璧な文章を黙々と読み上げるよりも、「あー」とか「うー」とか言ったり詰まったりしてもいいから、自分の心のままに話す方がよっぽど伝わるということでした。

なんだか励まされた気がしました。

人前でのスピーチに限らず英語を話す時には、自分がネイティブではないのでそもそも完璧に話せるわけがないのに、ネイティブでないからこそうまく話せないことが恥ずかしいという焦りがずっとあったように思います。

いつでも「完璧」を目指すべきだとは思うのですが、「完璧でなければまったく意味がない」わけでもないのかと思うと、かけた努力を無駄にせずにつなげていけるような気がします。。。最近はそんなことを考えることが多いです。

2013年4月30日火曜日

コンサート評

先日のリサイタルに対して、Lucid Cultureという現代音楽評を専門にするブログからコンサート評を頂きました。

Introducing Ayumi Okada

↑のリンクは英語の原文そのままで申し訳ないのですが、色々と難しい単語が多く訳せる自信があまりなく。。。まとめの文章はこのような感じです。

" All together, this was a tantalizing introduction to a composer whose distinctive, colorful voice is making a strong contribution to new music in New York."
「つまりこのコンサートは、独特で、色彩豊かな表現力を持ったこの作曲家がこれからニューヨークの新しい音楽に大きな貢献をしていくであろう、という思わせぶりな紹介であった。」

ひとまずは好意的な評を頂いたようでほっとしています。そして人生初のReviewを頂いてとても嬉しいです。

2013年4月28日日曜日

散文:とぼとぼ


とぼとぼ歩きたい時ってあるよね。
重荷を下ろした背中を丸めて、
疲れた身体にすこしの手応えを感じながら、
どうしてもとぼとぼ歩きたい時ってあるよね。

そうやってすっかり自分の小さな存在をかみしめたら、
また胸を張って顔を上げられるとおもう。

だからこそ今は、とってもとぼとぼ歩きたい。

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昨日、The Light in the Piazzaの公演が終了しました。私がピアノを弾いたのはopening nightのみで、一週間前のことでしたがとても大きな経験になりました。自分が万全だと思えていない状態で本番を迎えることには大きな葛藤がありましたが、信頼してくれるdirectorのもと、プレッシャーの中で最善を尽くす経験ができたことは、大きな自信になりました。(その本番が終わったあとの帰り道で、まさに↑の散文のような気分でした。)

学校時代、「感想文」を書くのがそんなに好きだったとは思わないのですが、今となっては日々の出来事に書きたい感想があふれています。もはや学校の課題でもなく、特に何かの目的があって書くわけでもないのですが、自分が「そうか!!」と感動した出来事に形を与えて残したいという欲求は、年々強くなっているような気がします。こちらのブログでも折に触れて綴ってゆければと思っています。

2013年4月24日水曜日

リサイタル



ここ数週間、演奏家、作曲家、運営の手伝いとして関わるコンサートが続いたのでご報告が遅くなってしまいましたが、先日無事リサイタルが終了しました。

 「作曲家岡田あゆみと、彼女に影響を与えた作曲家達」と題したリサイタルで、以下のプログラムを演奏者達と私による曲解説を交えながら発表しました。







<プログラム>
弦楽四重奏第一番(2009) OKADA
無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008 BACH
独奏チェロのための『古代の森で』(2011) OKADA
独奏フルートのための『シランクス』 DEBUSSY
独奏フルートのための『白昼夢』(2010) OKADA
ピアノ三重奏第一番(2009) OKADA

当日はお天気にも恵まれ思っていたよりも沢山の方々に聴きにきてもらえて嬉しかったです。また、全体的に短めのコンサートではありましたが、口頭での曲解説でじっくりそれぞれの曲を楽しむ事ができたとのご好評も頂けてありがたかったです。
大学院を卒業してから初のリサイタルで、企画には時間もかかりましたが、演奏家の友人を始め、沢山の人に助けてもらって実現できたとても大切な演奏会になりました。

2013年4月17日水曜日

カプチーノ

ミュージカルの本番が近いのですが、まだピアノパートに悪戦苦闘しています。
それでも今日はレストランでピアノを弾く日だったので、焦りながらも行って来ました。最近はなかなかチップをもらえず、ごはんをもらって帰ってくるだけの事が続いています。お客さんもちらほら。。春になってレストランのドアは開け放しなのでピアノの音もあまり聴こえません。なんだか、なんで無理して今ここでピアノを弾いてるんだろう。。。と身の入らないピアノを弾いていると、見かねたウェイトレスのお姉さんが「コーヒー飲む?」と言ってカプチーノを淹れてくれました。「いいの??」と途端に嬉しくなって、出してもらったカプチーノをすするとほっと大きなため息が出ました。周りを見渡して、「そういえば今日はお天気がいいんだったなあ。」とも気がつきました。

その後はピアノを弾くのも再び楽しくなって、少しチップを入れてくれる人もあり、それまでの焦りがなんだかすっと治まりました。忙しくなってくると緊張を保っておかなければと無意識に力が入るのですが、力を抜ける時にリラックスするのは大事なんだなあと実感する出来事でした。


2013年4月15日月曜日

プレス

6紙に掲載して頂きました。
リサイタルの情報を記事に取り上げてもらえないかと、NYで手に入る日本系のフリーペーパーに片っ端からお願いしたところ、数紙からお返事を頂いて、イベント情報として掲載して頂くことができました。





一番大きく取り上げてもらった記事です。
お願いするにあたって、どれだけの種類のフリーペーパーがあるのか、それぞれどのような特徴があるのかなどを調べたり、担当の人と連絡を取り合ったりして色々勉強になりました。

またアメリカは地方新聞が多いらしく、今回リサイタルの会場となる教会の近郊を調べたところ、色々と情報発信をしているブログなどが見つかりました。これから先、更にリサイタルなど作品発表をしていくチャンスがあれば是非今回の経験を活かして発信の範囲を広げていきたいなと思います。

ところで今日はカーネギーでのコーラスと、編曲した曲が初演されるコーラスの、二つコンサートが終わりました。目下次の目標はハイスクールミュージカルとリサイタルです!

2013年4月13日土曜日

選択の基準

人生は選択の連続だとは言いますが、それは結局「したいこと」と「しなければならないこと」の2択に集約されるのではないか、そしてそうすれば何にせよ自覚的に選択できるのではないかと最近思っています。

イメージとしては自分の中に秘書がいて、その時「したいこと」をした時と「しなければならないこと」をした時に、それぞれどういう結果が得られるかを即座に資料にまとめてくれて、「どちらになさいますか」と聞かれる感じです。

プロセスだけを考えているとどちらとも決めがたいようですが、結局はどちらの結果の方が欲しいのかと突き付けられると決断しやすいように思います。「あと30分寝て若干ほっこりするのと、その30分ピアノを練習して少し上手になるのとどっちがいいですか」など、いちいち究極の選択だなあという気もしますが。。。(ちなみに今は早寝をすることよりも、このことを書いておきたい!という方を選択しました。。。)

色々と真顔で焦る日々の中、ふとそんなことを考えたりしています。

2013年4月11日木曜日

かけた時間の分だけ弾けるようになるピアノの練習方法

に今更気づいたような気がするので、自分のための記録としてもここにシェアさせて頂きます。といっても演奏家でない私が「最低限、楽譜に書かれている通りの音とリズムをテンポ通り弾ける」という目標を持った時の、つまり「表現」に至る以前のレベルの話ですが。。。

かけた時間の分だけ確実に弾けるようになるピアノの練習方法

  1. 確実に弾けるテンポに設定したメトロノームと一緒に譜読みをする
  2. ひっかかる部分は数小節単位で取り出して、弾けるようになるまでその場で反復する
  3. 最後まで譜読みが終わったら、そのテンポで一度通して弾いてみる
  4. メトロノームを2目盛りずつ上げて、最終的に目標のテンポで弾けるようになるまで何回も弾く
*今のテンポでできていないことは次のテンポでできるはずがないので、テンポを上げる前に今のテンポで確実に弾けることが重要。

*曲が長くてひっかかる部分が数小節に限られている場合は、テンポを上げる練習はそこだけに集中し、全体を通すのは10目盛りごとぐらいでよい。

というのも、今「The light in the Piazza」というミュージカルの伴奏オケのピアノパートを練習していて、これがもう本当に美しい音楽なのですが、とても弾きにくくて。。。本番は迫ってくるし、追いつめられて至った練習方法です。

ミュージカルの伴奏のように1)初見ではないが、練習時間もそれほどない、2)譜読みしなければならない楽譜の量が多い、3)リハーサルでははじめからテンポ通り弾けなくてはならない、4)しかもテンポの速い曲が多い、という場合には有効だと思います。

曲の中には「楽に弾けるところ」と「弾きにくいところ」が混在していて、メトロノームなしで弾いていると前者はそれでもテンポ通りひけるのですが、後者にさしかかると無意識にテンポを落としてしまいます。そしていざリハーサルとなって「弾きにくいところ」がそのままだと、それがために引っかかったり落っこちたり、結局曲がまったくさらえていないのとそう変わらない結果になってしまいます。

メトロノームと一緒に譜読みをすることで、そのまだらな「楽に弾けるところ」と「弾きにくいところ」を自分で意識した上で平にした状態から練習を始められるので、今自分がどのテンポでなら確実に弾けるのか、進捗状況を自分ではっきり把握できて練習へのモチベーションが保てます。さらに、テンポを細かく上げながら反復練習をしていくことで、「次は何が来る」ということが自然と身体と頭に記憶されていき、最初はとても弾けなかったような速いテンポでも最終的には無理なく楽譜を目で追いながら弾けるようになります。

そういうわけで、この方法なら自分の現状の譜読みの力で、その曲を弾けるようになるのに必要なだけの時間と労力を効率よくかけられるのではないか、と思って今まさに実践中です。。。

それでもやはり普段から毎日弾いていない分、数時間練習したら目も手も簡単に疲れてしまうので、合間にお皿を洗ったり、このようにブログを書いたりと休憩してしまいます。。。

ここ数日でNYもめっきり春っぽくなり、家の前の街路樹(何の木かわからないのですが、「白っぽい桜」というつもりで見ています)も一気に花を開きました。

ここのところ俄に予定が立て込み、あたふたと日々を過ごしております。少し予定を整理させて頂くとこんなかんじです。






4/14
コーラス1:所属しているコーラスのコンサートで、カーネギーで歌います。
コーラス2:友人の主催しているコーラスのコンサートで、編曲させてもらったビートルズの『TAXMAN』が初演されます。

4/18
高校ミュージカル:『The light in the Piazza』というショーの伴奏オケの中でピアノを弾かせてもらいます。

4/20
リサイタル:2回目の作曲リサイタルです。演奏の間に曲の解説などをしゃべります。

4/23
コンサート:運営に関わらせてもらっているコンサートの本番に、スタッフとして参加します。

4月は複数のコンサートのリハーサルと準備が並行していて、またそれに加えてビザ申請の準備もあり色々と焦るのですが、ともかく時間を大切に使ってやっていきたいと思います。

2013年4月4日木曜日

散文:凹む

おれ、度々凹む。
凹んだら寝込む。

そして寝込みながら考える。
「どう、そろそろいけそう?」
「いや、ちょっとまだむりだなあ。」

しぶしぶ起き上がったら、結局やることリストに取りかかっている。
そしたら「あれ、できちゃった。凹んでたのに・・・。ま、いっか!」。

おれ、度々凹む。
でも割と立ち直り早い。

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「おれ」シリーズ第二弾で恐縮ですが、そんな感じで毎日やっております。自分はなんて仕事ができないんだろう、あの人めちゃくちゃすごいな、今の私の英語めちゃくちゃカタコトだった。。。などと凹む時というのは原因はどうあれ、「ありたい自分」と「今の自分」の差を実感した時だなあと思います。本当は凹んだ原因を分析してじっくり克服したいと思ってもいるのですが、大抵時間がなくて寝て済ませてしまいます。。かなり凹んだ時にも後から振り返ってみると割と短時間で立ち直っているのは、いつも「やらなければならないこと」に追われているおかげだなあと思うと、しんどいようでいてありがたいことだとも思います。ついにリサイタルまであと約2週間と迫ってきまして、未だにプレスにレヴューを頼んだり、プログラムをまとめたり、当日の算段をしたりと細々ばたばたしております。

2013年3月31日日曜日

散文:育てる


「独り立ち」をするということは、親元を離れて「ひとりぼっち」になる、ということではありません。むしろついに「子どもの自分」を引き取って育て始めるようなものだと思うのです。

もしも5歳の子の手を引いて歩いていると思えば、信号もよく確認して渡り、歩く道にも気をつけます。その子の健康を気遣い、三食きちんと食べさせて、しっかり眠れるように気をつけます。環境と必要な物を与えて「がんばれ」と励まし、辛そうな時には休ませ、気持ちに寄り添い耳を傾けます。

今まで親が担ってくれていたその役割を、これからはあなた自身が引き継ぐのです。自分を大切に生きるということは自分に対する甘えではなく、むしろ親への感謝の表し方のひとつだと思うのです。

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父がこの春で退職を迎えました。先日は兄が仕事を押して実家に帰ってくれて、兄弟を代表して両親を労ってお祝いしてくれました。(スカイプのおかげで少し参加できました。)

定年まで勤め上げるということも、子どもを育てあげるということも、どれだけ大変な事だったかと尊敬と感謝の気持ちで一杯です。まだその途に立っておらず、独り立ちすらしていない私ですが・・・、しっかり生きて少しずつ恩返ししていきたいと思っています。

2013年3月27日水曜日

感謝

今日は歯医者さんに行ってきまして、診て頂いたところ「うん!よくなってる!まだ時間はかかるとは思いますが、日にち薬で治っていきますから。親知らずの治療は今日で終了です。」と言って頂きました。経過を気にかけ、回復の様子を喜び、さらりと送り出す。お医者さんてかっこいいなあと感謝の気持ちでいっぱいでした。

お世話になったのは日本歯科グループさんです。ニューヨークのほかに、ニュージャージー、コネチカット、そしてイギリスのロンドンにも診療所があるそうですので、お住まいの方にはぜひおすすめしたいです。

治療終了のささやかなお祝いに、帰りに日本系のスーパーで、お茶、さくらあんぱん、そしてうなぎの巻き寿司を買って帰りました。とはいっても診療所がその日本系のスーパーの近くなので、帰りにはいつも寄って毎回小祝いしていたのではありますが。。。

今週はさすがにどの日も気温が10℃前後になるそうなので、ようやく春っぽくなってくると良いなと思います。

2013年3月23日土曜日

春待ち

春分の日も過ぎましたが、NYはまだまだ寒い日が続いております。。。今日の気温は6度ですが、予報によると今週また雪の降る日もあるようです。。NYの春と秋は殊更短いように感じるのですが、今年ばかりは皆見逃さずこぞって公園にでも出かけることだろうなと思います。

さて、活動の方はといいますと、4月20日のリサイタルまで一ヶ月を切りまして、リハーサルはまだ始まってはいませんが、最近は広報活動:コンサートのお知らせやご招待、フリーペーパーへの記事掲載などに取り組んでいました。今回のリサイタルはビザアプリケーションをサポートするのが目標の1つでもあるので、なんとか色んな人に来てもらえるように必死です。。ただその分来てもらった人に楽しんでもらえるようなコンサートにしたい気持ちも盛り上がってきていて、内容をこれから詰めて行くのが楽しみです。

そして歯の方も随分楽になってきました。お医者さんが本当に親切で、いつも感謝の気持ちで診療所を後にします。来週もう一回診てもらって一段落ということになりそうでありがたいです。

そんなこんなで近況報告ばかりになってしまいましたが。。最近はそのような感じの日々でした!

2013年3月15日金曜日

回復

おかげさまで抜歯から一週間経ち、昨日は抜糸してもらって来まして(ややこしいですね。。)、随分と痛みも違和感も和らいできました。

この一週間はお薬ももらっていたのでそこまで痛みも強く出る事なく、毎日が「昨日より良くなっている!」という回復の過程で、また友達や歯医者さんの優しさも身に染みて、小さな感動をひしひしと感じる日々でした。

その最中に東日本大震災から二年の日を迎え、ニュースなど見るにつけまだまだ厳しい状況にいる沢山の人のことを思いました。親知らずを抜くことなどとはとても比べられませんが、それでも同じように現代の技術と人間本来が持つ強さとが共同し、人の優しさに支えられて毎日少しずつでも着実に回復していることを願いました。

少し嬉しいこともあったのでご紹介させてもらいます。

リサイタルのフライヤーができました。4/20(土)午後4時からHoly Trinity Episcopal Church, Inwoodで開催します。入場無料ですので、NY在住の方やお立寄の方はぜひお越しください。

出版された楽譜が届きました。開いてみると、しっかりした紙を使ってもらっていて嬉しかったです。マネス音楽院の恩師に報告してプレゼントすると、図書館に入れてもらえることになりました。

以前新入会員として紹介してもらったのがきっかけで、ユニオンの機関誌の表紙に写真が載りました。「ちょっと嬉しいなあ」ぐらいに思っていたら、あとで意外に色んな人から「載ってたでしょ!」と声をかけられ、「この人もユニオンメンバーだったのか!」とか「意外に皆ちゃんと読んでるんだな。。。」などと驚きました。

2013年3月8日金曜日

散文:親知らずを抜いた日


いずれまた、元気になるとわかっているのです。
でも、だからといって落ち込まないわけにはいきません。

部屋に帰って「恐かったよお、心細いよう。」とおいおい泣きもしましたし、
痛みと安静を言い訳にしばらくとろとろと眠り続けました。

部屋は散らかり、顔もぼんやり。

それでも確信してもいるのです。
いずれまた元気になるということを。

感謝もされず抜かれてしまう、この親知らずの置き土産。
「このようにして生きてゆけ」と伝えているかのようなのです。

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なんだかもうこのパターンになってきたかのようで申し訳ないのですが。。。
そのようなわけで数日前急きょ親知らずを抜いてもらってきました。。。
手前の虫歯の詰め物がとれて気になってはいたのですが、数週間前に痛みがひどくなり、意を決して日本系の歯医者さん(アメリカに来て初めて病院に行きました。。)に行ったところ、即「抜きましょう」ということになりました。覚悟はしていたのですが、なかなか今回は恐かったですね。。かかりつけの歯医者さんではないということと、医療費が一体どんな恐ろしいことになるのかというのと、もうごちゃ混ぜの不安でピアノの本番前並みに緊張しました。歯の角度が抜きにくかったようで時間がかかりましたが、丁寧に治療してもらって看護婦さんも親切で、治療費も覚悟していた範囲内の額だったのでラッキーだったと思います。ただここ数日はもう「臨時休業」状態で、せっかく時間があるのに何も仕事が進まないのはショックではありましたが、今日辺りからぼちぼちと再開しております。

2013年3月5日火曜日

散文:夜に想う


今どんな気持ちかと聞かれれば、とてもそこはかとない気持ちです。
疲れていなくはないけれど、眠りたいわけでもない。
仕事をしたり、日記を書いたり、何かを読むという元気もない。
静まりかえったこの深夜に、とてもそこはかとない気持ちです。

この気持ちを誰かに満たして欲しいわけではない。
それでもどこか待っているようなのです。
もしかしたら自分自身を待っているのかもしれない。
今日の自分を「良し」と受け止め、明日に向かう元気が沸き起こるのを、待っているのかもしれない。

誰に読まれるあてもなく、誰の為になるわけでもない。
けれどこうして詩を書くと、いつも私は少し救われるのです。

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すいません、どうも散文づいておりますがそこまで病んでいるわけではありません。。。

ここ最近は「追い込んで楽譜づくりに取り組む」→「できあがる」→「放心状態で何も手につかない」→「時間のある限り昼寝」→「日記を書いて気持ちを整理」→「通常営業」という破天荒なサイクルを数日単位で連続的にくり返しております。。。近々反省して生活や勉強、仕事の仕方を改めたいと思っていますが、ひとまずあといくつかの楽譜をこのまま仕上げてしまいたいと思います!

2013年3月3日日曜日

改訂

近々こちらでもあらためてご案内させてもらおうと思っているのですが、4月にリサイタルをすることになりました!ここ数日は準備の一環として、以前に書いた曲の改訂をしていたのですが、色々な発見がありました。

昔の楽譜を見れば見る程あちこちに「それはないだろう〜。。」と思う箇所があり、それを1つずつ検証して、感覚的にすんなりと納得できるところまで直しました。その過程ではびっくりするほど迷いも苦しみもなく、熱中して取り組むことができました。

終わってみて思った事は、私にとっての作曲とは、無から新しい形を生み出す例えば「彫刻」や「陶芸」とは違って、どちらかというと建物の内装をデザインする「インテリアデザイン」のようなものに近いなあという事でした。(このイメージについては2009年9月にも「作曲」という記事で少し触れていました。)曲の長さ、ジャンルや楽器編成、弾きやすさと聴きやすさ、作曲家としての目標、人に書く場合はその人の好み、などを考慮して、部屋(時間)の中に家具(音)を配置していくという。

楽譜を書くのは部屋の図面を書くようなもので、ピアノで弾いたりして音を確かめるのは模型を作るようなもの。そしてレッスンはプレゼンテーションをしてダメ出しをもらうような感じかなと思います。それらの作業を通して実際の家具搬入(リハーサル/本番)のための計画を練上げていきます。

今回の改訂の過程はまさに、「この家具(音)は部屋(曲)の雰囲気に合ってない!」「これは動作線(セクションのつなぎ)がおかしい。」「こんなに空間が余ってるのはもったいない!(音薄すぎ)」と、自らダメ出しをして部屋にある家具を見直し、模様替えしているような気分でした。結果、部屋の印象はさほど変わっていないと思いますが、使い勝手と居心地の良さは少し良くなったと自負しております。

作曲した当時には気にならなかった技術的な未熟さが今は気になり、使える手が増えたことには少しの手応えを感じました。そして何より、またあらためて演奏してもらう事が待ち遠しくなったのが嬉しいです。

2013年2月28日木曜日

散文:ぼろぼろ


おれ、ぼろぼろ。
ぼろぼろな気分。

冷や汗ぬぐったタオルはびっしょり。
歩き回った靴はどろどろ。
まとったコートは汚れでかぴかぴ。

人にあってはアタフタし、一人になっては早歩き。

色々恥もかいたけど、ひとまず逃げなかったおれ。えらい。
「やったことないこと」をひとつやっつけた。

今日のところは言ってよし。
「さすがにちょっくら疲れたなぁ!」

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お恥ずかしいながら、いたたまれない気持ちになると詩を書くくせがありまして・・・。こちらもその1つです。

この間ワークショップでの歌の伴奏を頼まれたのですが、とてもうまくやりたい仕事だったのでものすごく緊張しました。その上その日は予定が立て込んでいて移動が多く、本番に間に合うかどうかなどにも気を揉んで。。。結局演奏はそれなりにうまくいったのですが、一日中そのことで頭が一杯で他のことがままならず、帰りの電車を延々とホームで待ちながらなんだかぼろぼろな気分でした。。。

もっと経験を積んで、本番の演奏でも自意識に振り回されないようになりたいものです。

2013年2月16日土曜日

楽譜出版



以前チェロソロのビデオを紹介させて頂いた際には、楽譜の自己出版を予定していたのですが結局ご縁がありまして、もう一曲と合わせて出版社を通して出版されることになりました。

〈チェロソロ〉

〈クラリネット&ピアノ〉

PDFでのダウンロードはComing soonということですが、楽譜の方はもう注文ができるようです。


どのような形でも楽譜を出版するなんて夢のようで、今でも若干半信半疑ではありますがとても嬉しい気持ちです。ウェブサイトをチェックしてみて頂ければ嬉しいです☆


2013年2月10日日曜日

雪景色

今日はお昼になってからセントラルパークにお散歩に行ってみました。その模様を少し写真でご紹介します。
公園に入ると思った以上のたくさんの人出。皆何をしに行くのかというと・・・ 
ソリ滑り!
雪の斜面はまるでスキー場のようです
アメリカの雪だるまは三段式
噴水もすっかり雪化粧
というわけで、朝は「今日も寒そうだなあ。外には出ないでおこうかなあ。」などと思っていましたが、公園に行ってみるとまさにそこは別世界でした。光景は「雪国」そのものでしたが、それ以上に驚いたのは、人々が待ち受けていたかのように繰り出して雪遊びを楽しんでいたことです。一年中どこに仕舞っていたのか、皆当たり前のようにソリを持っていますし。。。そして小高い丘ではあちこちからソリが滑って来ますが、ドッジボールが縦横無尽に飛び交う小学校の校庭のように、不思議と大きな混乱もなく。。。今日は快晴、そして土曜日だったことも重なったためだと思いますが、嵐が去ってみればちゃっかり楽しむ事も忘れないアメリカ人はポジティブだな〜とあらためて思いました。

2013年2月9日土曜日

一晩あけて窓の外を見てみると、夜の間に相当吹雪いたようで、随分雪が積もっていました。この景色を見ているとNYは北海道と同じ緯度だったなと思い知らされます。今は昨夜まで出ていたブリザード警報も解除され雪も降ってはいませんが、出かけるのは若干躊躇われます。ひとまずお茶をいれてみました。

最近は家にこもって作業することも多いので、その間「お茶」は飲み放題ということにしています。外で買うのに比べて、自分でコーヒーを淹れたりお茶をいれると、安くつくだけでなくてその作業自体が息抜きになるので一石二鳥だなと思います。ちょっとずつ集めて、最近はお茶葉のセレクションも増えてきましたが、それでもやはり日本茶が好きだなあと思います。まろやかでおだやかな味にほっとします。

そんなわけで今はほうじ茶を飲みながら、今日の予定を考えたいと思います。

2013年2月8日金曜日

吹雪

この週末はまたしてもスノーストームが来ていて、今日も一日吹雪いています。(写真は網戸越しですが家の前の様子です。)今回のストームはNemoと言うらしいです。

昨年のSandyのような被害にならなければいいと思いますが、ひとまず昨夜スーパーに買出しに行くと、水のボトルを置いていて棚はすでにがらんとしていました。やはり危機感がSandy以来高まっているんだなあと思います。

今夜が特にひどいそうなので友達と予定していた約束もキャンセルになり、おとなしく部屋で作業をしています。

昨日はようやく取りかかっていた2個目のアレンジが一段落したのですが、リサイタルの準備などもあり2月はばたばたと駆け抜ける予定です。(もうあと20日しかないなんて衝撃です!)

2013年1月31日木曜日

アレンジ

ここのところアレンジ物に取り組んでいます。作曲と違うのは、既にそこに原曲があるので「終わり」が見えているところだと思いますが、逆に確実に仕上げる「スキル」が求められているのだなあと実感します。

知り合いの作曲家でも、アレンジにかかるとその間数日連絡が取れなくなるというのはよく聞く話で(短期間で仕上げなければならないからでもあるのですが)、未熟者ながら私も取りかかるとそれで頭が一杯になります。深い森に分け入っていくような感覚で、人と会う予定や仕事以外の生活の事等は極力後回しになります。そういうわけで、あまり長くそこにいると神経が持たないような感覚もあるので、短時間で仕上げるのは自分の為でもあるのかなあと思ったりします。もっと沢山の曲と書き方を勉強して、確実なステップで編曲できるようになりたいと思います。

ところでずっと座っていると身体を動かしたくなるので、プリンタの印刷待ちなどに時々ラジオ体操をしたりしてみます。ところが、どうも短く終わってしまうなあと思ってYoutubeで確かめてみると、半分以上飛ばしていました。音楽に沿って進んで行くのだから、ちゃんと曲を覚えていれば飛ばないだろうにと思うのですが、どこかで都合良くコーダに飛んでいるようです。ラジオ体操を何も見ずに正しくできたらなかなか素敵だなあと思って、当面はビデオと一緒にやろうと思います。

2013年1月27日日曜日

New Video!

すっかりご無沙汰してしまいました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

今年はアーティストビザへの切り替えを目指して、ますます積極的に音楽活動に取り組んで行きたいと思っています。ブログの方でも少しずつご報告していこうと思うので、お付き合い頂ければ幸いです。

活動の1つとして、2011年に作曲したチェロ独奏曲「古代の森で」のビデオを新たにレコーディングして、つい先日Youtubeにアップロードしました。同時にオンラインで楽譜の方も出版しましたので、チェリストに知り合いがおられましたらシェアなどして頂ければ幸いです!

宣伝ばかりになってしまって恐縮ですが。。。今年もどうぞよろしくお願いします。

2013年1月7日月曜日

散文:影

親が子どもの小さかった頃の話をするとき、それは愛おしくもどこか寂しい。小さかったその子はもういない。大人になったその子は、記憶で過去とつながっていても、どこかで少し他人。

そうか、人は縦一筋に生きているのではないのだ。横に存在した自分は様々な影を残しながらも、常に失われていく。小さかったあの子も、元気だったおばあちゃんも、もうここにはいないのだ。

思い出を語る時、人は知らず知らずに故人のことのように語る。死んだ時初めてその人の思い出が無数の影になって走り去るわけでなく、私もあなたも既に沢山の影を抱えているのだ。

失われた影を抱きしめて、人は生きる。

私はあなたの影を覚えていよう。
この先の未来に関わらず、今私と共に生きてくれたあなたの影を、命の限り覚えていよう。