2018年12月31日月曜日

年末年始のご挨拶


明けましておめでとうございます!またまた投稿が空いてしまいましたが、NYはこれから大晦日の夜を迎えようとしています。


前回の投稿後、実はさらに体調を崩してしまい(帯状疱疹になってしまいました 汗)、12月は体調回復に努めながら、なんとかピアノ教室の発表会や教会での一連のクリスマスサービス、曲の発表の機会等イベントの多いシーズンを乗り切れて、ようやく昨日仕事納めすることができました。

少し今年の活動の振り返りをさせて頂きますと、ミュージカルの作曲の面ではThe Uncivil Onesの制作を大きく進めることができて、充実した年となりました。



その間、個人プロジェクトとして、クラシックのピアノ曲のビデオをYoutubeに発表できたのもよかったです。特にIn the Shade of an Acacia Treeについては、作曲のインスピレーションを頂いたはなもも(@hanamomoact)さんにお聴き頂けて、更に沢山の方にも聴いて頂くきっかけまで与えて頂き、大きな励ましを頂いた感激の出来事でした(その経緯についてはこちらの投稿でご紹介させて頂いています)。



仕事の面では、教会の音楽監督としての仕事も一周年を迎え、ピアノの生徒さんも少しずつ増えてくれて嬉しかったのですが、ただスケジュールを詰め込みすぎて度々体調を崩してしまい、健康の貴重さとその維持の為の努力の大切さを痛感する年にもなりました。。

そして毎年思ってはいるのですが、来年こそは(明日からですが。。)このブログの更新も含めてもっと発信の方にも力を入れていければと思います!ゆるやかな更新ながら今年もお付き合い下さり本当にありがとうございました。

2018年は日本各地が多くの自然災害に見舞われ、辛い思いをされた方や、今も苦労されている方々がおられることと思います。2019年はどうか皆様にとって心穏やかな一年となりますように。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2018年11月17日土曜日

近況のご報告とコンサートのお知らせ


お久しぶりです。

なんと9月、10月とまったく更新することができないまま過ぎてしまいました。その間は現在作曲中のミュージカル"The Uncivil Ones"の制作に没頭しておりました。

9月にシアトルでワークショップをして、10月末にニューヨークで初めて全幕揃った状態で発表(リーディング)をしました。その過程で学んだことやキャストやお客さんからのフィードバックを元にこれから更に書き直し、叩き上げて完成を目指します。

先日の発表が終わってほっとする間もなく少々体調を崩してしまい、やっと気力が戻ってきました。

11月初めにはこんな秋の風景だったニューヨークも


一昨日には初雪・スノーストームに見舞われ、すっかり冬になってしまいました。


時間が経つのも季節が移ろうのも、本当に速く感じます。

さて、当日になってしまったのですが、一つコンサートのお知らせをさせて下さい。


〜TSUNAMIヴァイオリンの旋律と語り〜
下條アトム & eRikaチャリティーコンサート

日時 2018年11月18日午後2時開演
料金 4000円

こちらのチャリティーコンサートでは、東北の震災で倒壊した家屋の木材や流木で作られた"TSUNAMIヴァイオリン"について下條アトムさんが語られ、そしてeRikaさんがヴァイオリンを奏でられます。

そのプログラムの中で"In the Shade of an Acacia Tree"を演奏して頂けることになりました。このような素晴らしいコンサートで曲を演奏して頂けることが大変光栄で、取り上げて弾いて下さるeRikaさんに感謝します。

素敵な演奏会になると思いますので、もしもお時間おありでしたら、ぜひお出かけ頂ければ幸いです。

2018年8月31日金曜日

楽譜出版のお知らせと9周年に思うこと


In the Shade of an Acacia Tree「アカシアの木陰で」のピアノバージョンの楽譜が出版されましたのでお知らせさせて頂きます。


また、今回出版社初の試みとして、pdfでもそれぞれピアノバージョンヴァイオリン・ヴィオラバージョンがお求め頂けるようになりましたので、ぜひ幅広く沢山の方に演奏して頂けたらと願っております。

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そして、今月でニューヨークに来て9周年を迎えることができました。来た当初「10年経てばニューヨーカーを名乗っていい。」と聞いていた、その10年目に入ったのだと思うと感慨深いです。

様々な分野で、一人前になるには10年が目安とされているのはなぜだろうと漠然と思っていたのですが、ニューヨークで生活してみて「そういうことなのかな」と思ったことがあります。というのも、何か特定の技術の習得という意味では、数年でもぐっと伸びることは十分にあると思うのです。ただ、10年という時間が必要なことは他の部分にあるのだと感じました。

私の場合だと、具体的には「学校を卒業する」「英語でのコミュニケーションを習得する」「経験を重ねる」「人と知り合って関係を築く」「生活の基盤(ビザ、住む場所、仕事)を確保する」等だったのですが、そういう風に今後活動を続けて行ける為の環境を整える、実際に何かを成し遂げる為のスタートラインに立つ為に、9年のうちの大半の時間が必要だったように思います。

そしてもう一つ気づいたことは、10年立つと随分状況が変わる(年代が一つ上がり、自分も周りの人たちのライフステージも変わる)ということでした。その間には様々な選択の機会がある中で、それでも今いる道を選択し続けてくることができたという事実(自分の意思だけでなく、人に助けてもらったことや、様々な出来事の巡り合わせによって)を振り返ると、自分にとっては本当にこれが大切なことなのだと思えて、そして同時にこれからも続けて行けるかもしれないと少し心強く感じます。

9周年の当日は、特別なことをするでもなく作曲の締め切りに駆け込む日々の一日として過ごしてしまいましたが、こうして日々を重ねられることに感謝しています。それもこれも、これまでに知り合っていろんな形で助けてくださった方々、そして今も支えてくださる皆さん、そしてブログを読んで下さる皆さんのおかげです。ありがとうございます。

10年目に入ったとはいえ、まだまだ圧倒的に学ぶべきこと、できるようになりたいと思うことで一杯ですが、これからも一日一日を精一杯に過ごして進んでいきたいと思います。

2018年8月16日木曜日

Mary Ran


帰省中の兄が送ってくれた昨日の京都の五山の送り火の写真を見ながら、現在ニューヨークはまだ8/16の夕暮れどきで、アパートの近くの林から響いてくる静かな蝉時雨を聴いています。今年のお盆ももう明けてしまったのだなと、夏の終わりの気配を感じます。

少ししんみりとしてしまいましたが、今日は先日参加したBroadway Celebrates New Musical Theatreのコンサートでの"Mary Ran"のパフォーマンスのビデオをご紹介させて頂きます。





こちらの曲は、最近ご紹介させて頂いた二曲のピアノの小曲とは打って変わって、ブルーグラス調のミュージカル・ソングで、現在作曲中のアメリカの南北戦争時代を舞台としたミュージカルからの一曲です。

ブロードウェイで活躍するパフォーマー達が思い切りよく歌ってくれて、お客さんも大いに盛り上がってくれて、その光景を見ながら、この作品が書き上がった時のことを想像して一段と制作意欲が掻き立てられる思いがしました。

お楽しみ頂けたら幸いです。

2018年8月9日木曜日

In the Shade of an Acacia Treeのインスピレーション


先日Pianoバージョンのビデオをご紹介させて頂いたIn the Shade of an Acacia Treeについて、今日はあらためて少し詳しく書かせて頂きたいと思います。

この曲について、これまでの投稿でも「お天気の良い午後に心地の良い木陰で、家族や親しい友人の為にゆったりとした気分で演奏してもらえたら」「近年進路のことで疲弊していた時期に、一時休める木陰のような存在の曲が欲しいと思って書いた曲」とご紹介させて頂いたのですが、実は具体的にそのインスピレーションを頂いた存在がありました。


アラブ首長国連邦(UAE)の砂漠で、夫さんと約200匹の動物たちと暮らしておられる美奈子アルケトビさんです。「はなもも(@hanamomoact)」さん名義のツイッターとブログ「はなももの別館」で、砂漠で動物達と共に生きる暮らしの様子を日々発信しておられます。美しい砂漠の景色の中で生きる動物達の姿をとらえた写真、軽やかでいて深い思慮に溢れる文章、そして多くの命と正面から向かい合うその生き方に感銘を受けた人は数知れず、2014年と2017年に出版された写真集『砂漠のわが家』『Life in the Desert 砂漠に棲む』はいずれも大きな反響を呼び、現在に至るまで何度も重版されています。

私も最初にツイッターではなももさんの事を知り、その後NYの紀伊國屋書店で『砂漠のわが家』を見つけて喜んで購入し、昨年発売の『Life in the Desert 砂漠に棲む』は発売直後に日本の母から送ってもらって、以来どちらの写真集も折りに触れては読み返す愛読書となりました。



In the Shade of an Acacia Treeを書いた2016年は、私にとって進路に関する一つの大きな決断を前にして葛藤していた時期と重なりました。これからどのような曲を書いて、どのような作曲家として生きて行きたいのか。一つの機会を前にして、限られた時間の中で考え抜いて判断しなければならない状況に途方に暮れていました。

そんな時にツイッターではなももさんの投稿を見ては、その美しい景色に慰められると同時に、自分以外の沢山の命に対して、常に決断を迫られながらまっすぐに向き合って生活しておられるという、その事実に圧倒される思いでした(私は自分の進路一つでこんなに大騒ぎしてしまっているのに…)。そしてどんな状況であっても穏やかな瞬間を見出して大切に生活しておられることに大きな感銘を受けました。中でも、木漏れ日のご自宅のお庭で、ウサギのペティさんや沢山のネコたち、ガゼルのみなさんとくつろいでおられる時の光景が心に残りました。

そして「そのような瞬間を音楽に書きとめられはしないか」「このような束の間の穏やかな時間に、家族や親しい友人の為に奏でるような、演奏者自身が心の底から演奏できるような音楽を書きたい」と思うようになり、弦楽器の為のソロ曲を書くことにしました。そうして、はなももさんのお庭の景色を思い描きながらIn the Shade of an Acacia Treeを書く過程で、私自身心の中に拠り所を見つけられたように感じ、救われる思いがしました。

そのようにして大変思い入れ深い曲となったので、いつか何らかの形でお礼をお伝えすることができたらと願ってはいたものの、大変一方的な経緯のため連絡を取らせて頂く事はご迷惑になるのではと躊躇していました。しかしその後アメリカで楽譜が出版され、自主制作ながら演奏のビデオもYoutubeで公開できたので、ついにファンレターのような気持ちで出版社を通じてご連絡させて頂いたところ、なんとビデオをご覧くことができ、その上温かい感想を添えたお返事まで頂けて、その丁寧なご対応とお人柄に感激しました。更にその後ご自身のツイッターでも曲の事をご紹介くださり、多くの方にシェアして頂くことができて感無量でした。

感激のあまり無理を承知で、ぜひ作曲へのインスピレーションを頂いた経緯をこちらのブログでもご紹介させて頂けないかとお願いしたところ、ご快諾頂ましたので、この度ありがたく書かせて頂きました。思いが溢れて長めの投稿となってしまいましたが…、お読みくださりありがとうございました!

『砂漠のわが家』も『Life in the Desert 砂漠に棲む』も、いずれも何度読んでも新鮮な驚きと、命が続いていくということへの静かな感動を心に広げてくれる、素晴らしい写真集です。まだご覧になっていない方は、ぜひお手に取ってみて下さい。

2018年8月1日水曜日

散文:その日の幸せ


その日の幸せはその日限りのもの。

その発想は必ずしもネガティブなものではなくて
実際そういうものなんじゃないかと思う。

念願の仕事にポジションを得たり、最愛の人と両思いになれたり
そいう事があるとその後の数年〜数十年の幸せが確保されたかのような気になる。

その可能性は極めて高いけれど、それでも結局は先の事はわからないから
幸せというのはもっと短い時間の単位の中で完結していて
それがたまたま連続することがある
と捉えていいんじゃないだろうか。

たとえば旅行に来て、素敵な景色を見ながら
「ああ明日にはもう帰らなきゃいけない」と
その時間に限りがあることを悲しく思うことがある。

でも大丈夫。

そもそもその日の幸せというのは「その日」もしくは「今」限定のものだから
「今それがある」ということを喜んだらいいんだと思う。

一年を振り返って「そういえば今年は幸せだったな」と思うのも悪くはないけれど、
人間が幸せと実感できる時間のスパンはもっと短いのだと思うから
記録を作る事に邁進しなくても良い
毎日の実感を楽しめればいい。

とそう思う。

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少し久しぶりの散文です。
朝、自分の部屋でコーヒーを飲みながら思った実感を
書きとめておきたくなりました。

2018年7月27日金曜日

Through the Sky for Piano



日本での連日の酷暑、お見舞い申し上げます。そして、そのタイミングでの台風12号の接近も心配です…。どうか皆さまお身体にお気をつけ下さい。

そんな最中に連日のお知らせになってしまい恐縮なのですが、もう一つピアノ曲のビデオをYoutubeにアップしましたのでご紹介させてください。

こちらはThrough the Sky「空を通して」という曲で、昨年委嘱で書かせてもらった曲です。亡き人の魂を讃えるような、偲ぶような曲をとのことだったので、親しい人と空を通して対話するイメージで書かせてもらいました。

小さな三楽章からなる曲で、それぞれの楽章のタイトルは、
I. Rain Soliloquy「雨の独白」
II. Angel’s Ladder「天使の梯子」
III. Into the Twilight「黄昏の中へ」
となっています。

I.「雨の独白」では、決して答えられることがないとわかっている問いを問い続ける、残された人の心の葛藤を雨の景色に寄せて描いています。

II.「天使の梯子」では、懐かしい人が天から「さあ顔を上げて」と語りかけます。

III.「黄昏の中へ」では、幻想の中での再会、そして再びの別れを描きます。

お聴き頂けたら幸いです。

2018年7月26日木曜日

In the Shade of an Acacia Tree for Piano



以前こちらでもViolinバージョンとViolaバージョンをご紹介させて頂いたのですが、今月ようやくIn the Shade of an Acaia Tree(「アカシアの木陰で」)のPianoバージョンも撮影してYoutubeにアップできたので、お知らせさせて頂きます。ご覧頂ければ幸いです。

もともとは弦楽器のソロの為に、お天気の良い午後に心地の良い木陰で、家族や親しい友人の為にゆったりとした気分で演奏してもらえたら、というイメージで書きました。

ピアノバージョンではハーモニーも大幅に加わるので少し発想を変えて、更に内省的なイメージで、中間部を加えて構成も少し大きくしました。曲を通して特にドラマチックなことが起こるわけではないのですが、言葉にならないそこはかとない気持ちを丁寧に歌い上げるような曲を目指しました。

ViolinとViolaバージョンの発表後からPianoバージョンの作曲にも段階的に取り組んでいたのですが、大事な友人の結婚式で弾かせて頂く機会があり、その時に現在の構成に落ち着いて、曲が完成しました。

「何か音楽を聴きたいけれど、どういう音楽が聴きたいのかわからないし、音楽に強く影響されるほど元気がない。」というときにも、この曲を弾くとなんとなくその間は心を楽にしていられる気がして、私自身時々弾きたくなります。

実は、そういう曲が欲しくてこの曲を書いたところもあるので、聴いて頂いた皆さんや、もしこれからこの曲を弾いて頂けるかもしれない皆さんにも(楽譜は近日発売予定です)、そういう風に感じて頂くことができたら望外の喜びです。

2018年7月23日月曜日

コンサートが無事終わりました


先日、無事にBroadway Celebrates New Musical Theatreのコンサートが終わりました。

会場となったFeinstein's / 54 Belowは、2012年にStudio 54の地下にオープンしたキャバレーです。トニー賞受賞者を含む著名なデザイナー達(装置、照明、設計、音響)によって設計されていて、劇場で舞台を見ているかのような臨場感(かつどの席からも舞台が8メートル以内!)でパフォーマンスを楽しむことができました。


このVenueでは毎晩最大3つのショーが上演されていて、今回のBroadway Celebrates New Musical Theatreはその3つ目、11:30pm開始というかなり遅い時間のショーとなりましたが、有難いことに134席のチケットは完売し、お客さん全員とPerformerが一体となって、Broadwayで新しい作品を生み出していくことの大切さとその興奮を共有するショーとなりました。


私たちの曲は、ブルーグラススタイルの、女性トリオによって歌われる曲で、普段Broadway Musicalで活躍するperformerの3人が爽快に力強く歌ってくれて、お客さんも多いに盛り上がってくれて、大変感慨深かったです。

実際の作品は今年の秋にかけて作曲の山場を迎えます。今回のコンサートで、その一部をperformerやお客さんとシェアできたことが励みになったので、ますます全力で取り組みたいと思っています。

2018年7月16日月曜日

考えた事:他者の痛みに対して何ができるか


猛暑お見舞い申し上げます。地震、豪雨からの復興の最中に更なる自然の脅威が重なり、本当に大変な状況だと思います。気を強く持ってがんばっておられる皆さま、被害の拡大を食い止めるため尽力している皆さま、どうぞお体にお気をつけ下さい。


先日久しぶりに会う友人(アメリカ人)と話していて近況の話となり、今日本が災害で大変なんだよと話すと、海外ではあまりニュースとして大きくは取り上げられておらず、知らなかったとのことでした。その上で、「そういう時に遠く離れているのは辛いだろうね。」と慮ってくれました。

確かに辛い。けれどその辛さというのは一体なんなんだろうと考えました。

まだ何も落ち着いていない最中に、客観的な視点でこのようなことを書くのをどうかと思ったのですが、同じように遠くにいて思っている皆さまに、もしも共感して頂けることがあればと思い、最近考えたことを記してみたいと思います。

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「他者の痛みに対して何ができるか」

痛みが自分のものである時は、選択の余地もなく、苦しみの中でなんとか状況を良くしようと奔走するものだと思う。それが思いがけず引いたひどい風邪であっても、突然引っ越さなければならなくなっての家探しであっても。弱気になっては涙を流し、人に助けてもらっては胸が一杯になりながら、いつしか一番辛い状況を脱していることに気がつく。

しかし、それが他者の痛みである時は難しい。その痛みをどれほど感じるか、自分で選べてしまうからだと思う。家族や友人など身近な人の痛みは強く感じる。外国の災害よりも母国の災害の方に強く関心を寄せてしまう。他者の痛みは知ろうとしなければ、自分の痛みにはならない。知れば知る程悲しみや痛みの総量が増える。そのくせ、その事に対して自分ができる親切には一貫性がない。心を寄せられる余裕のある時もあれば、ない時もある。寄付できる時間やエネルギー、財産の量もその時の状況による。本質的にはいつも人に対して親切でありたいと思いながら、いつも決して満足にはできない。

被災地に飛んで行ってボランティアとして災害復興を手伝いたい、まとまったお金を寄付して支援したい、オンラインで有用な情報をまとめて発信したい。そういう思いはあっても、現在の自分の生活を維持することを考えては結局そのどれにもトライすることができないまま、情報だけは取り入れ続け、次第に増え続ける悲しみと痛みに堪え兼ねてそれすらもシャットダウンしてしまう。その悪循環を繰り返してようやく気がついた。

他者の痛みに対して、決して満足には助けられない自分に折り合いをつけなくてはいけない。

自分にできることで一番効果的なことは何なのか。どこまでならできる・したいと思うのか。それを見極めてできることをする。決めるということが身勝手で保身のように思えても、どこかには線を引かなくてはいけない。他者の痛みを知った自分もまたある意味当事者であるという事実を受け入れて、自分の人生に対する責任を果たしながら、できることをして行きたいと思う。

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お読み下さりありがとうございました。心を寄せ続けて出来る事をしながら、自分の活動も精一杯やって参りたいと思います。

2018年7月10日火曜日

7月豪雨のお見舞い


平成30年7月豪雨で被害を受けられた皆さまにお見舞い申し上げます。大阪地震からまだ間もないというのに、更にこのような大きな災害が多くの人々の生活を奪った状況に胸がつぶれる思いです。今後の被害の拡大が少しでも抑えられるよう、尽力されている方々のことも思いながら、取り急ぎYahoo!基金の方から寄付させて頂きました。未だ危険にさらされている方々の安全が一刻も早く確保され、被害を受けられた皆さまの生活の復興が為されますよう願うばかりです。

2018年7月5日木曜日

Broadway Celebrates New Musical Theatre



現在作曲に取り組んでいるミュージカルの中からの一曲が、今月Feinstein’s / 54 Belowにて行われる、Broadway Celebrates New Musical Theatreという新作ミュージカルを特集したコンサートで取り上げてもらえることになりました。

100組を超える応募があったそうで、その中から12組選ばれた中に含まれてとても嬉しいです。にわかに準備で忙しくしていますが、また様子など報告させて頂きたいと思います。

2018年7月3日火曜日

地下鉄の風景(2)


電車に乗ってドア付近に立っていると、斜め向かいに座っていた個性的な眼鏡をかけた女の人とその友人らしき人が、その斜向いに座っていた、乳母車に乗せた赤ちゃんをあやす女の人に向かって何か声をかけていた。

お母さんらしきその女の人に対して、乳母車の方を指して何か注意しているようだったので、"何か落としたのかな、拾ってあげた方がいいかな?”と少し覗き込むと、お母さんからは見えない、乳母車の下の段に口の開いたバッグが無防備に置いてあった。

お母さんは「ありがとう!」と言って急いでバッグを手元に持ち直した。

"そういうことだったのか!”と、思わず眼鏡の女の人の方を見ると目が合ったので、"確かに!"という表情で頷くと、彼女も"でしょ?"という表情を返してくれた。

「それは良くないわよ。」

そのお母さんは、降りる時にもう一度眼鏡の女の人に向かって「ありがとう!」と声をかけ、眼鏡の女の人は「良い一日をね!」と返していた。

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地下鉄の話が続きますが、今日出会った風景で思わず書きたくなりました。

親切を目にしてほっとしたのと、自分まで少しコミュニケーションに関われたような気がして嬉しい出来事でした。

躊躇いも気負いもなくこういうやり取りをして、また何事もなかったようにそれぞれの日常に戻っていく、という様子はそういえば、ニューヨークの地下鉄では今までにもよく見たり経験した事があったなと思いました。

乗客同士が「公共の場は危険」「地下鉄は基本的に遅れる」等の状況を共有している故の連帯感なのかなとも思いますが、今回は特に眼鏡の女の人、お母さんらしき女の人、そして私がそれぞれ見た感じ違うエスニシティーだったので、お互い特に親しみを感じる対象でもない中で、そういう風に思いやり合えるというのは良いなあと思います。

人種のるつぼのニューヨークで、人々がニューヨーカーとして連帯感を感じられるのは、もしかするとある種街の不便さを通して共感できることにもあるのかもしれないと思いました。

2018年6月24日日曜日

地下鉄の風景(1)


電車が駅に停まると、降りて行く誰かに向かって、
「ありがとう!またね!ありがとう!ありがとう!」と
優しいトーンで何度も繰り返す男の人の声が耳に入って来た。

ふと気になって顔を上げると、向かいに座っていた温厚そうな男の人が声の主だとわかった。そしてその視線の先には、大人に手を引かれて電車を降りて行く小さな女の子の姿があった。

ドアが閉まってからも、男の人は電車の窓から振り返って一生懸命女の子の姿を追っていたけれど、ほどなく彼女はホームの案内板の向こう側に行ってしまって、小さな赤い靴が歩いて行くのだけが見えた。

電車が駅を出発すると、男の人はようやく窓から視線を戻して正面を向いて座った。
そしてこらえ切れなくなった様子で目頭を押さえては、込み上げる気持ちを抑えようとしているようだった。

実際のところどういう事情なのかはわからない。それでもできることなら、
「皆で気づいていない振りをしておきますから、思い切り泣いても大丈夫ですよ。」
と言ってあげたかった。

男の人は次の駅で、しゃんと顔を上げて降りて行った。

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地下鉄では、危険を回避する為に半径5メートル圏内にいる人の様子にはいつも何となく気を配っているのですが、そうしているとそういう風に印象深い瞬間を目にしてしてしまうことがあります。

(本当に勝手な想像ですが、男の人はきっと女の子のお父さんで、何かしら一緒に暮らせない事情があって、今日は久しぶりに会えた貴重な時間だったのじゃないかなと、見るともなく気になって様子を見守ってしまいました。)

多分大方の人は同じような感じで、危険でないと判断すれば迷惑行為をしている人(大音量で携帯の動画を見ていたり)が近くにいても気にせずやりすごしているかと思えば、小さなお子さんを連れた親子が乗って来たらほぼ必ず誰かが席を立って譲ったりと、やはり周りの様子は気にかけた上で行動を判断しているようです。

警戒しあっている一方で、実は気に掛け合っているというその地下鉄の様子は、ニューヨークの社会の縮図のようだなと思います。

印象に残る景色に出会った時にはまた綴ってみたいと思います。

2018年6月18日月曜日

大阪地震のお見舞い

大阪地震の被害にあわれた皆さんにお見舞い申し上げます。

それまでの生活が一瞬にして奪われてしまい、復旧までに多大なエネルギーを要するというのは、本当に大変なことだと思います。

そして地震を経験したことへのショックや、余震に備える為の心労や不安については本当にお察しするばかりです。

これ以上被害が大きくならないことを願っています。どうぞお疲れの出ませんように。


2018年6月12日火曜日

最近の作曲活動のご報告


直近の活動の成果というわけではないのですが、このところ演奏家の友人達があらためて私の曲を演奏会で取り上げてくれたり、知らないところで自分の曲が演奏されていたのを後から知ったりして、とても励まされる思いです。

また、最近Youtubeに載せている作品のビデオを2つ、ウェブサイトで紹介してもらうことができたので、お知らせさせて頂きます。


I CARE IF YOU LISTEN TV. - In the Shade of an Acacia Tree for Solo Viola
I CARE IF YOU LISTENというニューミュージックを特集するブログの
ビデオ部門に取り上げてもらいました。
以前にチェロとピアノの為の"Cape Roca"も載せてもらっているので、
これで二つ目のビデオになります。


Listening to Ladies - The Gray Wolf

Listening to Ladiesという、女性の作曲家を特集しているポッドキャストの、
ブログ部門で紹介してもらいました。
女性の作曲家の作品が演奏会で取り上げられる割合は未だに圧倒的に少なく、そのことに疑問を覚えた自身も女性の作曲家の方が立ち上げたボッドキャストです。毎エピソードごとに一人の作曲家のインタビューがその作品と共に紹介されています。


この夏は、ミュージカルの制作に集中する予定で、他にあまり大きなプロジェクトはできないかなと思っているのですが、大きめの編成の曲などもまた書きたいなあと構想だけは巡らしています。また、昨年から書き溜めてきた小さなピアノ曲がいくつかあるので、その演奏ビデオはぜひ作りたいと思っています。完成次第そちらもこちらでご紹介させて頂ければと思います。

2018年6月8日金曜日

年を重ねるということ


またまた気がつくと、5月は一度も投稿せずに過ぎてしまったことにびっくりしています。。。

5月は作曲に関して特に忙しかったわけでもなかったのですが、4月に無理してこじらせてしまった風邪からの回復と、ピアノの生徒さんたちの発表会などなどであっという間に過ぎてしまいました。

そして5月には誕生日を迎え、また一つ年齢を重ねることができました。

誕生日というのは、毎年直前まで気にしていないつもりでも、前日や当日になるとどこか意識してしまって少しそわそわしてしまいます。なんでだろうと思っていたのですが、今年少しわかったような気がしました。

年齢を重ねるということは、自分のアイデンティティーを少し修正するようなところがあるなと思ったのです(『襲名』と少し似ているような気がします)。身体的、社会的には、自分が認めようと認めまいと年齢は更新されていくのですが、ただ自分のアイデンティティーがそれと呼応していくには、人からお祝いしてもらうことが助けになると思いました。

誕生日に頂いたお祝いの言葉やメッセージは、新しい年齢へ進み出す自分への招待状のように思われて、とてもありがたかったです。今年も色々なことを頑張れるよう、良い年にしたいと思います。

2018年4月21日土曜日

ようやくの春



先週無事ミュージカルのリーディングが終わりました。今取り組んでいる作品は、アメリカ南北戦争の時代に、「真の自由」を求めて強く生きた実在の女性達を描いたものです。

前回取り組んでいた作品は日本を題材とした作品だったので、自分の持つ日本の価値観をもとに世界観を理解しやすかったのですが、今回はアメリカの歴史の重要な分岐点を扱った作品であるため、より努力して勉強しなければ作品に適った音楽が書けないぞ!と気負いつつ、アメリカ人のコラボレーター達にも随分と助けてもらいながら取り組んでいます。

今回の発表は全編ではなく第一幕のみだったのですが、お客さんの反応やその後の感想からうまくいっているところ、いっていないところ、今後の制作への沢山の貴重な手がかりをもらいました。

実は先週の発表に間に合わせる為に追い込んだ為、その後また若干風邪をぶり返してしまいましたが。。。少し休んで、またペースを上げて行きたいと思っています。

写真は昨日のセントラルパークの桜(おそらく。。)です。その前日ぐらいまでまだまだ冬の気温が続いていましたが、それでも自然の方では着々と春への移行が進んでいるのだなあと励まされる思いがしました。

2018年4月2日月曜日

四月の雪



今朝起きると窓の外が雪景色になっていました。今年の冬は何度も大雪に見舞われましたが、4月に雪が降るのはニューヨークでも15年ぶりだそうです。数日前にはようやく気温も安定して温かくなり、空気が春に変わったなあとしみじみしていたところ(写真はそんな日の霧の中の図書館ライオンです)、こんなこともあるんだなあと思いました。

2月も逃げるように過ぎましたが、31日あった3月もなかなかに忙しく、ブログ記事を一つも投稿できないまま4月になってしまってなんとも信じられない思いです。というのも、現在作曲中のミュージカルのリーディング(制作の方向性を探るために、制作過程の作品をコンサート形式で発表するもの)を急遽来週末に行うことになり、3月中旬から作曲に追われていたところ、そのタイミングで大風邪を引いてしまって以来ずっとばたばたしている為かと思います。

予定が押して焦りますが、しかし時間がないからこそ思い切って曲を書けるところもあり、とにかくできることをやりきりたいと思っています。またリーディングに向かってのリハーサルの様子や、本番のレポートなどもこちらで書かせてもらいたいと思っています。


2018年2月14日水曜日

散文:天下人


欲しいと願ったものを努力の末
幸運にも手にできた時の嬉しさと驚きは
まるで天下を取ったような気分だ。

それは例えば運動会のリレー競争での一等賞であり
成功させたかった演奏がうまくいくことであり
憧れの人にお褒めの言葉をもらう事であり
好きな人と両思いだとわかる事である。

すなわち映画の『タイタニック』でジャックが
舳先に立って風を切りながら「俺は世界の王だー!」
と叫んだ心境が理解できるような時である。

自分だけのアチーブメント、世界は特に変わっていない。
それでも自分の幸運を尊く感じて誇らしい、一人王様になったかのような気分。
そんな風にして、世界には日々あちこちで天下人が生まれている。

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久々の散文です。
高校の時の体育祭で、実際にクラス対抗リレーで一位を取ったときの感想が原点になっています。クラスで選抜されたメンバーで自主的に集まってバトンパス等の練習をし、体育の合同練習の時にもなんとか勝ててはいたのですが、実際の本番で一位を取る事ができた時の「本当に勝てた!」という感慨は大きなものでした。その時「今はオリンピック選手が金メダルをとった時と同じ位嬉しい気がする。」と思いました。舞台の高さも、そこに人生をかけているということや背負っているものの重みも比べようもなく、大それた感想なのですが、それでもどこか「きっとこういうことなんじゃないかな」と閃くところがあり、印象に残っています。毎日あることではないですが、誰しも人生の中にはきっと何日かそういう風に「俺は世界の王だー!」と思えるような時があって、人生の一つの醍醐味なのではという気がします。

2018年1月29日月曜日

「聴くこと」について


あっという間に一月ももう残り数日ということで、今年も早々に時間の経つ速さを実感しています。

このところ「聴くこと」について考えるところがあったので、少し書いてみたいと思います。

というのも最近、プロとして精力的に活動している弦楽四重奏のメンバーである友人と話す機会があり、カルテットの活動について色々話を聞けてとても興味深かったのですが、なかでも印象に残ったのがまさに「聴くこと」の大切さでした。

なんでもある時、ピッチや強弱や緩急、フレージングなど、曲の表現としてそれぞれやるべきことをやっているのに何かしっくり来ないと感じることがあったそうです。その時、普段一番寡黙なメンバーが話し合いを提案して「お互いに聴き合っていない」ことを指摘し、皆でハッとしたというのです。

彼らほど才能もあり経験もある人たちが、お互いを「聴き合っていない」なんてことがあるのだろうか?とはじめは思いましたが、そのことを考えながら過ごしていると、なるほどと私自身実感する出来事がありました。

教会のミサの為にソリストとリハーサルをしていた時のことなのですが、初めて合わせる曲で、一度通した後にソリストから「ちなみにここはritを多めにかけてちょっと溜めをつけたい」と言われ、「(さっきもそうやっていたんだけどなあ)」と思いながらもう一度同じように弾いて合わせると、「そうそう!そんな感じで」と言われて、なるほどと思いました。

彼はプロではなく趣味で音楽を楽しんでいる人なので、経験が少ない事はもちろんあると思いますが、「ここはこうするって伝えなきゃ」というアイディアは演奏後に思い出され、すなわち実際に弾きながら私がどう弾いていたかは認識されていなかったのではないかと思いました。

おそらくは、音楽を演奏するということが様々な情報を並行して処理していくことであるだけに、何か特定の事だけに気をとられると他のことは「自動運転」状態になり、演奏は続いているけれどその時実際に何が起こっていたかは認識されないまま通過してしまう、ということが様々なレベルで起こり得るのだと思います。

そう考えると、本当に「聴き」ながら「弾く」ということ、特にアンサンブルの場合はそうして相手のあり方に合わせるということはむしろ大変難しいことなのだと思いました。自分のこれまでの演奏経験を振り返っても、「自動運転」で合わせられている気になっていたことがきっと多くあったのだろうと思い、精進せねばと思いました。

2018年1月5日金曜日

Snow Storm


遅くなってしまいましたが、皆様良い年を迎えられたとよいなと思っております。
本年もどうぞよろしくお願いします。

年末から寒かったNYですが、昨日はスノーストームで大変な吹雪でした。

風雪に霞むカーネギーホール

雪に覆われてしまった看板
(お店は営業しています)

打ち捨てられたツリー
(これは季節柄仕方がないのですが、なんとも悲しい光景です)

学校は軒並み休校になっていたので、数件入っていたピアノの個人レッスン(訪問)もどうしたものかと思ったのですが、地下鉄は動いているのでと意を決して出かけ、サラサラの雪に足を取られながらなんとかお宅にたどり着くと「まさか来るとは思わなかった!」と言われる次第でした。。。とはいえこちらからはキャンセルしにくいものです。

まだしばらくこの寒さが続きそうですが、なんとか早く収まって欲しいです。