2018年6月24日日曜日

地下鉄の風景(1)


電車が駅に停まると、降りて行く誰かに向かって、
「ありがとう!またね!ありがとう!ありがとう!」と
優しいトーンで何度も繰り返す男の人の声が耳に入って来た。

ふと気になって顔を上げると、向かいに座っていた温厚そうな男の人が声の主だとわかった。そしてその視線の先には、大人に手を引かれて電車を降りて行く小さな女の子の姿があった。

ドアが閉まってからも、男の人は電車の窓から振り返って一生懸命女の子の姿を追っていたけれど、ほどなく彼女はホームの案内板の向こう側に行ってしまって、小さな赤い靴が歩いて行くのだけが見えた。

電車が駅を出発すると、男の人はようやく窓から視線を戻して正面を向いて座った。
そしてこらえ切れなくなった様子で目頭を押さえては、込み上げる気持ちを抑えようとしているようだった。

実際のところどういう事情なのかはわからない。それでもできることなら、
「皆で気づいていない振りをしておきますから、思い切り泣いても大丈夫ですよ。」
と言ってあげたかった。

男の人は次の駅で、しゃんと顔を上げて降りて行った。

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地下鉄では、危険を回避する為に半径5メートル圏内にいる人の様子にはいつも何となく気を配っているのですが、そうしているとそういう風に印象深い瞬間を目にしてしてしまうことがあります。

(本当に勝手な想像ですが、男の人はきっと女の子のお父さんで、何かしら一緒に暮らせない事情があって、今日は久しぶりに会えた貴重な時間だったのじゃないかなと、見るともなく気になって様子を見守ってしまいました。)

多分大方の人は同じような感じで、危険でないと判断すれば迷惑行為をしている人(大音量で携帯の動画を見ていたり)が近くにいても気にせずやりすごしているかと思えば、小さなお子さんを連れた親子が乗って来たらほぼ必ず誰かが席を立って譲ったりと、やはり周りの様子は気にかけた上で行動を判断しているようです。

警戒しあっている一方で、実は気に掛け合っているというその地下鉄の様子は、ニューヨークの社会の縮図のようだなと思います。

印象に残る景色に出会った時にはまた綴ってみたいと思います。

2018年6月18日月曜日

大阪地震のお見舞い

大阪地震の被害にあわれた皆さんにお見舞い申し上げます。

それまでの生活が一瞬にして奪われてしまい、復旧までに多大なエネルギーを要するというのは、本当に大変なことだと思います。

そして地震を経験したことへのショックや、余震に備える為の心労や不安については本当にお察しするばかりです。

これ以上被害が大きくならないことを願っています。どうぞお疲れの出ませんように。


2018年6月12日火曜日

最近の作曲活動のご報告


直近の活動の成果というわけではないのですが、このところ演奏家の友人達があらためて私の曲を演奏会で取り上げてくれたり、知らないところで自分の曲が演奏されていたのを後から知ったりして、とても励まされる思いです。

また、最近Youtubeに載せている作品のビデオを2つ、ウェブサイトで紹介してもらうことができたので、お知らせさせて頂きます。


I CARE IF YOU LISTEN TV. - In the Shade of an Acacia Tree for Solo Viola
I CARE IF YOU LISTENというニューミュージックを特集するブログの
ビデオ部門に取り上げてもらいました。
以前にチェロとピアノの為の"Cape Roca"も載せてもらっているので、
これで二つ目のビデオになります。


Listening to Ladies - The Gray Wolf

Listening to Ladiesという、女性の作曲家を特集しているポッドキャストの、
ブログ部門で紹介してもらいました。
女性の作曲家の作品が演奏会で取り上げられる割合は未だに圧倒的に少なく、そのことに疑問を覚えた自身も女性の作曲家の方が立ち上げたボッドキャストです。毎エピソードごとに一人の作曲家のインタビューがその作品と共に紹介されています。


この夏は、ミュージカルの制作に集中する予定で、他にあまり大きなプロジェクトはできないかなと思っているのですが、大きめの編成の曲などもまた書きたいなあと構想だけは巡らしています。また、昨年から書き溜めてきた小さなピアノ曲がいくつかあるので、その演奏ビデオはぜひ作りたいと思っています。完成次第そちらもこちらでご紹介させて頂ければと思います。

2018年6月8日金曜日

年を重ねるということ


またまた気がつくと、5月は一度も投稿せずに過ぎてしまったことにびっくりしています。。。

5月は作曲に関して特に忙しかったわけでもなかったのですが、4月に無理してこじらせてしまった風邪からの回復と、ピアノの生徒さんたちの発表会などなどであっという間に過ぎてしまいました。

そして5月には誕生日を迎え、また一つ年齢を重ねることができました。

誕生日というのは、毎年直前まで気にしていないつもりでも、前日や当日になるとどこか意識してしまって少しそわそわしてしまいます。なんでだろうと思っていたのですが、今年少しわかったような気がしました。

年齢を重ねるということは、自分のアイデンティティーを少し修正するようなところがあるなと思ったのです(『襲名』と少し似ているような気がします)。身体的、社会的には、自分が認めようと認めまいと年齢は更新されていくのですが、ただ自分のアイデンティティーがそれと呼応していくには、人からお祝いしてもらうことが助けになると思いました。

誕生日に頂いたお祝いの言葉やメッセージは、新しい年齢へ進み出す自分への招待状のように思われて、とてもありがたかったです。今年も色々なことを頑張れるよう、良い年にしたいと思います。