2018年8月31日金曜日

楽譜出版のお知らせと9周年に思うこと


In the Shade of an Acacia Tree「アカシアの木陰で」のピアノバージョンの楽譜が出版されましたのでお知らせさせて頂きます。


また、今回出版社初の試みとして、pdfでもそれぞれピアノバージョンヴァイオリン・ヴィオラバージョンがお求め頂けるようになりましたので、ぜひ幅広く沢山の方に演奏して頂けたらと願っております。

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そして、今月でニューヨークに来て9周年を迎えることができました。来た当初「10年経てばニューヨーカーを名乗っていい。」と聞いていた、その10年目に入ったのだと思うと感慨深いです。

様々な分野で、一人前になるには10年が目安とされているのはなぜだろうと漠然と思っていたのですが、ニューヨークで生活してみて「そういうことなのかな」と思ったことがあります。というのも、何か特定の技術の習得という意味では、数年でもぐっと伸びることは十分にあると思うのです。ただ、10年という時間が必要なことは他の部分にあるのだと感じました。

私の場合だと、具体的には「学校を卒業する」「英語でのコミュニケーションを習得する」「経験を重ねる」「人と知り合って関係を築く」「生活の基盤(ビザ、住む場所、仕事)を確保する」等だったのですが、そういう風に今後活動を続けて行ける為の環境を整える、実際に何かを成し遂げる為のスタートラインに立つ為に、9年のうちの大半の時間が必要だったように思います。

そしてもう一つ気づいたことは、10年立つと随分状況が変わる(年代が一つ上がり、自分も周りの人たちのライフステージも変わる)ということでした。その間には様々な選択の機会がある中で、それでも今いる道を選択し続けてくることができたという事実(自分の意思だけでなく、人に助けてもらったことや、様々な出来事の巡り合わせによって)を振り返ると、自分にとっては本当にこれが大切なことなのだと思えて、そして同時にこれからも続けて行けるかもしれないと少し心強く感じます。

9周年の当日は、特別なことをするでもなく作曲の締め切りに駆け込む日々の一日として過ごしてしまいましたが、こうして日々を重ねられることに感謝しています。それもこれも、これまでに知り合っていろんな形で助けてくださった方々、そして今も支えてくださる皆さん、そしてブログを読んで下さる皆さんのおかげです。ありがとうございます。

10年目に入ったとはいえ、まだまだ圧倒的に学ぶべきこと、できるようになりたいと思うことで一杯ですが、これからも一日一日を精一杯に過ごして進んでいきたいと思います。

2018年8月16日木曜日

Mary Ran


帰省中の兄が送ってくれた昨日の京都の五山の送り火の写真を見ながら、現在ニューヨークはまだ8/16の夕暮れどきで、アパートの近くの林から響いてくる静かな蝉時雨を聴いています。今年のお盆ももう明けてしまったのだなと、夏の終わりの気配を感じます。

少ししんみりとしてしまいましたが、今日は先日参加したBroadway Celebrates New Musical Theatreのコンサートでの"Mary Ran"のパフォーマンスのビデオをご紹介させて頂きます。





こちらの曲は、最近ご紹介させて頂いた二曲のピアノの小曲とは打って変わって、ブルーグラス調のミュージカル・ソングで、現在作曲中のアメリカの南北戦争時代を舞台としたミュージカルからの一曲です。

ブロードウェイで活躍するパフォーマー達が思い切りよく歌ってくれて、お客さんも大いに盛り上がってくれて、その光景を見ながら、この作品が書き上がった時のことを想像して一段と制作意欲が掻き立てられる思いがしました。

お楽しみ頂けたら幸いです。

2018年8月9日木曜日

In the Shade of an Acacia Treeのインスピレーション


先日Pianoバージョンのビデオをご紹介させて頂いたIn the Shade of an Acacia Treeについて、今日はあらためて少し詳しく書かせて頂きたいと思います。

この曲について、これまでの投稿でも「お天気の良い午後に心地の良い木陰で、家族や親しい友人の為にゆったりとした気分で演奏してもらえたら」「近年進路のことで疲弊していた時期に、一時休める木陰のような存在の曲が欲しいと思って書いた曲」とご紹介させて頂いたのですが、実は具体的にそのインスピレーションを頂いた存在がありました。


アラブ首長国連邦(UAE)の砂漠で、夫さんと約200匹の動物たちと暮らしておられる美奈子アルケトビさんです。「はなもも(@hanamomoact)」さん名義のツイッターとブログ「はなももの別館」で、砂漠で動物達と共に生きる暮らしの様子を日々発信しておられます。美しい砂漠の景色の中で生きる動物達の姿をとらえた写真、軽やかでいて深い思慮に溢れる文章、そして多くの命と正面から向かい合うその生き方に感銘を受けた人は数知れず、2014年と2017年に出版された写真集『砂漠のわが家』『Life in the Desert 砂漠に棲む』はいずれも大きな反響を呼び、現在に至るまで何度も重版されています。

私も最初にツイッターではなももさんの事を知り、その後NYの紀伊國屋書店で『砂漠のわが家』を見つけて喜んで購入し、昨年発売の『Life in the Desert 砂漠に棲む』は発売直後に日本の母から送ってもらって、以来どちらの写真集も折りに触れては読み返す愛読書となりました。



In the Shade of an Acacia Treeを書いた2016年は、私にとって進路に関する一つの大きな決断を前にして葛藤していた時期と重なりました。これからどのような曲を書いて、どのような作曲家として生きて行きたいのか。一つの機会を前にして、限られた時間の中で考え抜いて判断しなければならない状況に途方に暮れていました。

そんな時にツイッターではなももさんの投稿を見ては、その美しい景色に慰められると同時に、自分以外の沢山の命に対して、常に決断を迫られながらまっすぐに向き合って生活しておられるという、その事実に圧倒される思いでした(私は自分の進路一つでこんなに大騒ぎしてしまっているのに…)。そしてどんな状況であっても穏やかな瞬間を見出して大切に生活しておられることに大きな感銘を受けました。中でも、木漏れ日のご自宅のお庭で、ウサギのペティさんや沢山のネコたち、ガゼルのみなさんとくつろいでおられる時の光景が心に残りました。

そして「そのような瞬間を音楽に書きとめられはしないか」「このような束の間の穏やかな時間に、家族や親しい友人の為に奏でるような、演奏者自身が心の底から演奏できるような音楽を書きたい」と思うようになり、弦楽器の為のソロ曲を書くことにしました。そうして、はなももさんのお庭の景色を思い描きながらIn the Shade of an Acacia Treeを書く過程で、私自身心の中に拠り所を見つけられたように感じ、救われる思いがしました。

そのようにして大変思い入れ深い曲となったので、いつか何らかの形でお礼をお伝えすることができたらと願ってはいたものの、大変一方的な経緯のため連絡を取らせて頂く事はご迷惑になるのではと躊躇していました。しかしその後アメリカで楽譜が出版され、自主制作ながら演奏のビデオもYoutubeで公開できたので、ついにファンレターのような気持ちで出版社を通じてご連絡させて頂いたところ、なんとビデオをご覧くことができ、その上温かい感想を添えたお返事まで頂けて、その丁寧なご対応とお人柄に感激しました。更にその後ご自身のツイッターでも曲の事をご紹介くださり、多くの方にシェアして頂くことができて感無量でした。

感激のあまり無理を承知で、ぜひ作曲へのインスピレーションを頂いた経緯をこちらのブログでもご紹介させて頂けないかとお願いしたところ、ご快諾頂ましたので、この度ありがたく書かせて頂きました。思いが溢れて長めの投稿となってしまいましたが…、お読みくださりありがとうございました!

『砂漠のわが家』も『Life in the Desert 砂漠に棲む』も、いずれも何度読んでも新鮮な驚きと、命が続いていくということへの静かな感動を心に広げてくれる、素晴らしい写真集です。まだご覧になっていない方は、ぜひお手に取ってみて下さい。

2018年8月1日水曜日

散文:その日の幸せ


その日の幸せはその日限りのもの。

その発想は必ずしもネガティブなものではなくて
実際そういうものなんじゃないかと思う。

念願の仕事にポジションを得たり、最愛の人と両思いになれたり
そいう事があるとその後の数年〜数十年の幸せが確保されたかのような気になる。

その可能性は極めて高いけれど、それでも結局は先の事はわからないから
幸せというのはもっと短い時間の単位の中で完結していて
それがたまたま連続することがある
と捉えていいんじゃないだろうか。

たとえば旅行に来て、素敵な景色を見ながら
「ああ明日にはもう帰らなきゃいけない」と
その時間に限りがあることを悲しく思うことがある。

でも大丈夫。

そもそもその日の幸せというのは「その日」もしくは「今」限定のものだから
「今それがある」ということを喜んだらいいんだと思う。

一年を振り返って「そういえば今年は幸せだったな」と思うのも悪くはないけれど、
人間が幸せと実感できる時間のスパンはもっと短いのだと思うから
記録を作る事に邁進しなくても良い
毎日の実感を楽しめればいい。

とそう思う。

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少し久しぶりの散文です。
朝、自分の部屋でコーヒーを飲みながら思った実感を
書きとめておきたくなりました。