2025年11月11日火曜日

Dear New York

NYは昨日あたりからぐっと冷え込み、今朝には今シーズン初の雪がちらつき、秋がすっかり終わってしまったのだなあと少し寂しい気持ちです。

ここのところ立て込んでいたのがようやく一段落したので、書きたかったことを投稿していきたいと思います。

先月になりますが、Dear New Yorkというニューヨーカーを取材した写真集の出版を記念した大規模な展示・インスタレーションがありました。10/6から10/19まで、グランドセントラル駅のすべての広告が取り下げられ、駅全体でその写真集の展示、および諸々の関連イベントが行われ、私も会期ギリギリに立ち寄って堪能してきました。

Dear New Yorkは、写真家のBrandon Stantonさんが2010年から続けているHumans of New Yorkという、一万人のニューヨーカーのポートレイトを撮ることを目指して始まったプロジェクトの最新の写真集で、ニューヨークに暮らす人々のごく自然な表情をとらえた写真の美しさと力強さ、そして写真に添えられる被写体となった人々の口から語られるストーリーが共感と支持を集めてきました。私自身も、facebookが主な発表先であった頃から(現在はInstagramもあります)、新しいポートレイトが発表される度に楽しみに読んできました。

プロジェクトは年々規模を拡大し、ニューヨークだけでなく、オバマ政権化のホワイトハウスにも招待され、イランを始めとした12カ国での撮影・インタビューも経て、15年目の今年には当初の目標であった一万人の撮影を超え、進化を続けています。

Dear New Yorkの今回の大規模な展示も、多くの機関のやアーティストの協力を経て実現し、ニューヨーカーおよび人間性への讃歌とも言える素晴らしいイベントでした。少し様子を写真でご紹介させて頂きます。


大きくプリントアウトされた写真が駅構内に展示されている様子は壮観です。

立ち止まって写真とインタビューに見入る人もたくさん見られました。

インタビューはじっくりと深いものから素朴なものまで、いずれも味わい深いです。

写真だけで心が満たされるものもたくさんあります。

大きな展示スペースだけではなく、柱スペースや

改札部分も、普段は広告で満たされているスペースがすべて展示に変わっています。

美しい天井で有名なメインコンコースでは、壁にポートレートが映し出される中、スタインウェイ提供のピアノをジュリアードの生徒が交代で演奏していました。

駅の売店ではもちろん写真集が売られていて、駅を通して体験できる展示でした。


ちなみにこの日は早めに出かけて、朝の仕事に行く前に、以前から行ってみたかったアイリッシュソーダブレッドのお店に寄って朝ご飯を食べました。

外はカリカリの焼きたてスコーンに、挟まれた自家製のジャムとバターが絶妙に良く合い、幸せな朝食でした。

そしてお店のカウンターにはDear New Yorkも!

仕事の合間を縫ってでしたが、思い出深い秋の日になりました。

2025年10月6日月曜日

ピアノで歌うということ

数年前から伴奏の仕事をしているのですが、先日声楽のレッスンで歌の先生が「ピッチを頭の中で考えただけで、自動的に声帯がその音を出すのに適した長さに調整される。」とおっしゃっていて、人体の高機能ぶりに改めて感じ入りました。

思えば口笛を吹けることだって、触っただけで紙が一枚なのか二枚重なっているのかを識別できることだって、実にすごいことです。

ピアノを弾く時にも、特にデクレッシェンドをする場合、音が減衰する速度に合わせて、どれぐらいの音量で次の音を弾きたいのかをイメージし、鍵盤への指の置き方とタイミングでそれを実行するわけで、いくつもの認知と筋肉のコントロールを同時に行なってようやくできていることなんだなと思います。

というのもこの間、モーツァルトの『レクイエム』より「ラクリモーサ」のピアノアレンジを作ったのですが、コーラスとオーケストラで歌い上げられるこの曲のメロディーをピアノで再現するには、その「次の音をどう置くか」が特にとても重要で、色々なことを思いながらデモ演奏を作りました。よければぜひご覧いただけたら嬉しいです。




2025年10月3日金曜日

Capricious March

先日紹介させてもらったコンサート全体のビデオにも含まれているのですが、演奏してくれたピアニストのDanielが、Capricious March(気まぐれな行進)単体でのビデオも自身のYouTubeにを載せてくれたので、改めてご紹介させて頂きます。


この曲は、小学校時代の日常を元に着想した曲で、登校中の子どもたちが水たまりに飛び込んで水遊びをしたり、出てきたカエルを追いかけたりして散々道草を食った挙句、ついにその日学校に遅れたくない理由(席替え等)を思い出して学校に駆け込んでいく、というお話を描いています。

私自身はそこまでやんちゃではなく、淡々と友達と学校に通っていた方ですが、それでも学校に着くまで友達と過ごす時間はある意味特別だったなあと思います。ちなみにアメリカでは小学生だと親が学校に送り迎えするか送迎バスで通うのが普通なので(子どもだけで登下校させると親が罰せられるのだったと思います 汗)、コンサートでは「日本では。。。」という説明を忘れないようにしています。

ちなみに、曲中にカエルが出てくることを説明してあったので、Danielがカエル出現の瞬間にビデオにイラストを入れてくれています(笑)


実はこの曲を今、私のピアノの生徒さんも弾いてくれていて、テクニック的にはまだ少し背伸びしながらですが、気に入ってくれているようで、根気強く時間をかけて取り組んでくれていてとても嬉しいです。

バルトークに触発されて、少し不思議な世界観をピアノでユーモラスに描いてみたいとこの書いた曲が、ピアニストやピアノの生徒さんに弾いてもらえているのを目撃することができて、作曲家として大変光栄です。ぜひビデオをご覧いただけたら嬉しいです。

2025年10月1日水曜日

朝日を観に

先日久しぶりにゆっくりな朝があったので、ちょっと特別なことがしたいけれどそんなに時間もない、ということで近所の公園に朝日を見に行ってきました。

実は朝日が昇るのを見たことがなかったので少しハラハラしながら、ひとまず早起きして外に出てみると地平線のあたりはすでに明るくなりはじめていたので、夜の緊張感を持ってささっと公園に向かいました。

景色を見渡せるところまで着くと、まだ青と赤のコントラストがくっきりとしていました。


待つこと十数分、どんどん空が白んでくるものの、太陽が見えないなあと思っていると、

あ、ここかな!

そして数分後には眩しいくらいに太陽が昇ってきました。

なるほど、日の入りの本当に反対なんだな、と思いました。頭ではわかっていても、西に沈んだ太陽はまた西から昇ってきそうな気がして…廻る星に生きているのだなと実感しました。そして、わずか30分でこれだけのドラマチックな変化は日蝕に近いものがあるな、などなど、朝日初心者な感想を色々感じながら、すっかり朝になった街を明るい気分で散歩して帰りました。

2025年9月27日土曜日

散文: 審査員

何を食べ

どんな仕事に打ち込み

誰と過ごすのか

生きるという営みが

どういう世界に生きたいか

に直結している

この世に生を受けたと言うことは

審査員に選ばれた

ということ

小さな一票を

投じていきたい

***

タイトルについて、「有権者」も考えたのですが、「審査員」という方がより強く、重要な役割を任された、という印象が出るかなとこちらにしました。社会で起こっている様々な出来事に対して、無力に感じてしまうことの多い日々です。それでも、生活を通して繋がっているという意味では、小さくても自分も影響を与えられる存在なのだ、と意識しておきたいと書き留めました。生きる上での内側の指針は「幸せの追求」、生きた影響は「投票活動」、と心に留めてやっていきたいと思います。