2025年10月6日月曜日

ピアノで歌うということ

数年前から伴奏の仕事をしているのですが、先日声楽のレッスンで歌の先生が「ピッチを頭の中で考えただけで、自動的に声帯がその音を出すのに適した長さに調整される。」とおっしゃっていて、人体の高機能ぶりに改めて感じ入りました。

思えば口笛を吹けることだって、触っただけで紙が一枚なのか二枚重なっているのかを識別できることだって、実にすごいことです。

ピアノを弾く時にも、特にデクレッシェンドをする場合、音が減衰する速度に合わせて、どれぐらいの音量で次の音を弾きたいのかをイメージし、鍵盤への指の置き方とタイミングでそれを実行するわけで、いくつもの認知と筋肉のコントロールを同時に行なってようやくできていることなんだなと思います。

というのもこの間、モーツァルトの『レクイエム』より「ラクリモーサ」のピアノアレンジを作ったのですが、コーラスとオーケストラで歌い上げられるこの曲のメロディーをピアノで再現するには、その「次の音をどう置くか」が特にとても重要で、色々なことを思いながらデモ演奏を作りました。よければぜひご覧いただけたら嬉しいです。




2025年10月3日金曜日

Capricious March

先日紹介させてもらったコンサート全体のビデオにも含まれているのですが、演奏してくれたピアニストのDanielが、Capricious March(気まぐれな行進)単体でのビデオも自身のYouTubeにを載せてくれたので、改めてご紹介させて頂きます。


この曲は、小学校時代の日常を元に着想した曲で、登校中の子どもたちが水たまりに飛び込んで水遊びをしたり、出てきたカエルを追いかけたりして散々道草を食った挙句、ついにその日学校に遅れたくない理由(席替え等)を思い出して学校に駆け込んでいく、というお話を描いています。

私自身はそこまでやんちゃではなく、淡々と友達と学校に通っていた方ですが、それでも学校に着くまで友達と過ごす時間はある意味特別だったなあと思います。ちなみにアメリカでは小学生だと親が学校に送り迎えするか送迎バスで通うのが普通なので(子どもだけで登下校させると親が罰せられるのだったと思います 汗)、コンサートでは「日本では。。。」という説明を忘れないようにしています。

ちなみに、曲中にカエルが出てくることを説明してあったので、Danielがカエル出現の瞬間にビデオにイラストを入れてくれています(笑)


実はこの曲を今、私のピアノの生徒さんも弾いてくれていて、テクニック的にはまだ少し背伸びしながらですが、気に入ってくれているようで、根気強く時間をかけて取り組んでくれていてとても嬉しいです。

バルトークに触発されて、少し不思議な世界観をピアノでユーモラスに描いてみたいとこの書いた曲が、ピアニストやピアノの生徒さんに弾いてもらえているのを目撃することができて、作曲家として大変光栄です。ぜひビデオをご覧いただけたら嬉しいです。

2025年10月1日水曜日

朝日を観に

先日久しぶりにゆっくりな朝があったので、ちょっと特別なことがしたいけれどそんなに時間もない、ということで近所の公園に朝日を見に行ってきました。

実は朝日が昇るのを見たことがなかったので少しハラハラしながら、ひとまず早起きして外に出てみると地平線のあたりはすでに明るくなりはじめていたので、夜の緊張感を持ってささっと公園に向かいました。

景色を見渡せるところまで着くと、まだ青と赤のコントラストがくっきりとしていました。


待つこと十数分、どんどん空が白んでくるものの、太陽が見えないなあと思っていると、

あ、ここかな!

そして数分後には眩しいくらいに太陽が昇ってきました。

なるほど、日の入りの本当に反対なんだな、と思いました。頭ではわかっていても、西に沈んだ太陽はまた西から昇ってきそうな気がして…廻る星に生きているのだなと実感しました。そして、わずか30分でこれだけのドラマチックな変化は日蝕に近いものがあるな、などなど、朝日初心者な感想を色々感じながら、すっかり朝になった街を明るい気分で散歩して帰りました。

2025年9月27日土曜日

散文: 審査員

何を食べ

どんな仕事に打ち込み

誰と過ごすのか

生きるという営みが

どういう世界に生きたいか

に直結している

この世に生を受けたと言うことは

審査員に選ばれた

ということ

小さな一票を

投じていきたい

***

タイトルについて、「有権者」も考えたのですが、「審査員」という方がより強く、重要な役割を任された、という印象が出るかなとこちらにしました。社会で起こっている様々な出来事に対して、無力に感じてしまうことの多い日々です。それでも、生活を通して繋がっているという意味では、小さくても自分も影響を与えられる存在なのだ、と意識しておきたいと書き留めました。生きる上での内側の指針は「幸せの追求」、生きた影響は「投票活動」、と心に留めてやっていきたいと思います。

2025年9月25日木曜日

Pianist in Residenceコンサートのご紹介

Festival for Creative Pianistsと、その楽譜出版機関であるAbundant Silenceが合同で、今年からPianist in Residenceプログラムを始動しました。記念すべき一年目のピアニストとして選ばれたのはDaniel Inamoratoさんで、8月のバーモント州でのフェスティバルでは、ワークショップに加えて、二つのコンサートを演奏して下さいました。

光栄なことに、どちらのコンサートでも私の曲を取り上げてもらったので、そのビデオをご紹介させて頂きます。

Pianist in Residence Concert

このコンサートは、内面的な不条理や滑稽さをテーマにしたセクションと、さまざまなエチュードを織り込んだセクション、という2つの軸で構成されており、技巧的かつ深遠なソロ作品から、ピアニスト自身が歌う歌曲に、内部奏法を織り込んだ曲まで、ピアノ曲の持つ様々な可能性を幅広く楽しませてもらいました。

私の作品からは、《The Days of Childhood(子ども時代の日々)》より《Capricious March(気まぐれな行進)》を、コンサートの前半(34:17あたり)に演奏してもらいました。この曲は、集団登校の途中で道草を食ってなかなか学校にたどり着かない子どもたちの様子を描いた作品で(笑)、その世界をとてもチャーミングに表現してもらって感激でした。

Matinee Tribute Community Concert "Social Justice Solo Piano and Toy Piano Recital"

翌日に開催されたこちらのコンサートは、前日のプログラムとはがらりと雰囲気を変え、理不尽な暴力によって命を奪われた人々を追悼する作品をテーマに構成された演奏会でした。

取り上げられた作品は:
- 2012年 サンディフック小学校銃乱射事件
- 2016年 オーランドのパルス・ナイトクラブ銃乱射事件
- 2020年 ジョージ・フロイドさんの警察による殺害事件

—それぞれの事件の被害者を悼むために書かれた楽曲です。

私の作品からは、以下の2曲をプログラムの最後(1:03:09あたり)に演奏してもらいました:
- 《Through the Sky(空を通して)》
- 《In the Shade of an Acacia Tree(アカシアの木陰で)》

コンサートを通じて、それぞれの作品を通して被害者の人生と、その命がいかに理不尽に奪われたかを観客が深く受け止めたあと、再び日常へと戻っていく為の橋渡しをするような役割として選んでもらいました。自分の曲が、そんな大切な場面に居場所を見つけ、役割を果たせたことを、とても光栄に思いました。

どちらも、それぞれに聴きごたえのあるプログラムです。ぜひ、お時間ある際に全編をご覧いただけたら嬉しいです。