2016年7月25日月曜日

散文:演奏について


奏者自身が、その瞬間演奏している音楽に聴き入る
ということはあると思う

そんな時は、演奏するという聴き方をしていると言った方が近いのかもしれない
役者が役を演じながら、同時にその人物の心情に深く感じ入っているかのように

弾き終わっても、まだ心の中にはそこはかとない感情が流れていて
奏者はお辞儀も忘れ、観客は拍手も忘れ
その気持ちにまだ浸っていたいと思いながら
静かに普通の時間が戻って来る

それまでの刹那のことを余韻と言うのだろう

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すっかりブログの更新も滞ってしまい、いろいろと皆様へのご連絡も失礼しております(すみません)。。。ビザの準備のことなどに追われておりましたが、ようやくもう一息!というところに近づいて参りました。

今年も夏の間だけ教会でオルガニストのサブをさせてもらっているのですが、今日教会でピアノを弾いていた時に思った取り留めもない感想を書き留めておきたく、散文にしました。

教会のサービスの中では進行に沿って度々BGMを弾く機会があり、だいたいゆったりとしたテンポのシンプルな曲を弾くことが多いのですが、技術的にそこまで難しくない曲を、皆も聴いているような聴いていないようなリラックスした環境の中で弾くと、かえってとても演奏に気持ちがこもるようなところがあります(当たり前でしょうか。。)。特に今日はサービスが終わってから「あの曲よかったよ。」と声をかけてもらえたので嬉しかったです。

張り詰めた本番を常にこなす、第一線で活躍する演奏家の感覚に憧れの思いも馳せながら、ふと浮かんだ感想でした。