2017年8月31日木曜日

ショートショート:死神とのティータイム


もやもやとした考えを巡らせながら歩いていて、交差点で道路を渡ろうとした時、ふと交差する信号の向こう側に立っている老紳士の姿が目に入った。どこかで会った事があるような気がしたが、思い出せずにふと足を止めた。すると突然目の前を車がスリップして、すごいスピードで僕の鼻先を走りすぎて行った。もしあのままこの道路を渡ろうとしていたら…。一瞬の出来事に気が動転していると、いつの間にか先ほどの老紳士がすぐ側に立っていて、僕はもう一度心臓が口から飛び出しそうになった。

彼は僕に声をかけた。
「こんなことってあるんですねえ。」
「ええ、あんなに急に車が突っ込んで来るなんて。本当にびっくりしました…。」
「いえ、私が言っているのはそういうことではなくて。」
「はあ?」
「あなた本当は、今そこで命を落とすはずだったんですよ。」
「はあ!?」
「きっと向こうの方で記述に変更があったんだな。」
そう言うと老紳士はジャケットの内ポケットから文庫本のような小さな冊子を取り出し、目次のページに目を落とした。ちらりと目をやると、その表紙にはなんと僕の名前が書いてあるではないか!
「やっぱりだ。章の数が増えている。おそらく直前で変更になったんだな。おかしいと思ったんですよ。そもそも本来なら、さっきあなたに私の姿が見えるはずなんてなかったんだから。」
「ちょっと、何を言ってるんですか。あなた一体誰なんです!!」
僕はわけがわからず、恐ろしくなって叫んだ。
「死神ですよ。」
老紳士は躊躇いもなく答えた。
僕は絶句した。
「心配しないで下さい。あなたの死期は延長されましたから。今日のところはお連れ致しはしませんよ。」
僕はほっとするやら、未だに半信半疑やらで、目を白黒させながら状況を理解しようと四苦八苦していた。
「しかし急に時間ができてしまったなあ。せっかくこちらまで来たから、せめてお茶の一杯でも飲んで帰りたいが。そうだ、あなたもしよかったら付き合ってくれませんか?ごちそうしますよ。」
それを聞いて僕は、もはやこの出来事に対するなんらかの説明を聞かないことにはどうにもならないと、すがるような思いでついて行った。

「ここのダイナーはアップルパイがうまいんだ。アイスがのってるやつ。あなたもそれでいいですか?飲み物はコーヒー?あ、そういえばお茶に誘ったんだっけ。」
死神が慣れた感じで早々に二人分の注文をしてくれた。
「今日は思いがけずゆっくり出来て助かったなあ。ここのところずっと忙しかったから。」
「はあ…。」
「まあそう緊張せずに。死神とお茶することなんてそうそうないでしょう。今日は気分がいいから、聞きたい事があれば何でも答えますよ。とはいえ、私と別れた瞬間にあなたは私と出会ったことすらすっかり忘れてしまうんですけどね。でもまあ九死に一生を得たあなたには、たとえ短い間でも人生の真理を知るくらいの特権はありますよ。さ、どうぞ。何でも聞いてください。」
「ではお言葉に甘えて…。あなたはなぜさっきあんな所にいたんですか?僕の命を奪いにきたのなら、あんな離れた所にいたんじゃそもそも間に合わなかったんじゃないかと思うんですが。」
「はは、私はあなたの命を奪いにきたわけではありません。お迎えに来ただけですから。魂が身体から離れる瞬間に側にいることが重要だったのです。」
「はあ…。」
「死神というと、まるで好んで死をもたらすみたいなイメージを持たれがちなんですけど、実際はその逆で、それが起こらなくてはならない時に、魂をお守りするために来ているんです。身体を離れる刹那というのは、魂にとって大変不安定な瞬間ですからね。その一瞬にしっかりと手をとって差し上げ、その手を引いて彼方まで無事にお連れするのが私の仕事です。」
「はあ…。そうだったんですね。ちなみにもう一つ聞いてもいいですか。」
「どうぞ。」
「死神というと、大きな鎌を手にした、骸骨みたいな顔の、いわゆるタロットカードの絵柄にある恐ろしいイメージなんですけど、今のあなたは穏やかな老紳士に見えます。いったいどちらが本当の姿なんですか?」
「どちらの姿も本当であり、またそうでもないとも言えるんですが、とりあえず骸骨の方は外界向けの姿です。恐ろしい姿でいることで、道中ちょっかいをかけてくるめんどうな輩を寄せ付けないようにしています。」
「では、老紳士の方は?」
「これはあなた向けの姿です。」
「僕向けの?」
「ええ。私はいつもお迎えに行く時には、その人が一番会いたいと思っている、既に彼方に渡った親しい人のお姿をお借りして行くようにしているんです。最も不安なときだからこそ、最も信頼している人に迎えに来て欲しいでしょ。」
それで僕はようやく合点がいった。この人は、写真でしか見た事のない僕の祖父にそっくりなのだ。
「あなたの場合はおじいさんだったようですね。」
「ええ。僕が赤ん坊の頃に亡くなってしまったのですが…。まさかこんな風にして、実際に会える時が来るなんて思っていませんでした。」
もはや祖父にしか見えないその老紳士は微かに微笑んだ。

「今までにいろんな魂を看取ってきましたよ。正直言って楽な仕事じゃないです。様々な人生がありますからね。でもね、魂が身体を離れる瞬間にしっかりと手を取って差し上げると、皆さん本当にほっとした顔をされるんです。それを見ると私はもう、大変な使命感を感じて、必ず無事にお連れするぞといつも思うのです。」
「そうなんですか…。」
「ところで今度は私から質問してもいいですか?」
「ど、どうぞ。」
「あなた、さっき私の方を見上げるまで、随分元気のない様子でしたけど、何か悩みでもおありですか?」
意外な質問に驚きながら僕は答えた。
「いや、別に何がって訳じゃないんですけど、ちょっと最近疲れちゃって。」
「ほうほう。」
「夢があって僕はこの街に来たんです。がむしゃらにやってきて、今もまだここにいられる事に感謝していて、やってきたことに対する誇りもあります。でもなんだか未だにその先が見えなくて。幸せなはずなのに疲れちゃって。このままでいいんだろうか、と考え始めると止まらなくなることがあるんです。」
「なるほど。ではもうこの際なので、もし良ければちょっと見て差し上げましょうか。」
「見るって何をですか?」
老紳士は内ポケットから再び僕の名の書かれた小冊子を取り出した。
「こちらは、あなたの閻魔帳の写しでしてね。」
「は!?」
「あなたの人生の顛末が書いてあるんです。」
「ええー!!!」
「ご自分でご覧になりますか?」
「いえいえ!!とても怖くて見る勇気がないです…。」
「そうでしょうね。なあに代わりに私がざっと見て差し上げますよ。どれどれ。」
老紳士が素早く冊子を読み流して行くのを見ながら、僕は生きている心地がしなかった。
ついに老紳士は冊子をぱたりと閉じると言った。
「大丈夫ですよ。」
「へ!?」
「あなたは今のまま、そのまま進んで行けば良いです。」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ。何が起こるか具体的な事はあえて言いませんが、あなたの選んだ道は間違っていない。あなた自身の幸せの為に正しい道を進んでいますよ。」
「あ、ありがとうございます…。」
死神の言う事を信じていいのかどうか、それ以前にこの展開自体がもはや現実なのかどうかもわからなかったが、それでいて僕はとても救われた気がした。
『お前の選んだ道は間違っていない』ただ誰かにそう言って欲しかったのかもしれない。

「さて、小腹も満たされたし、そろそろ行きましょうか。」
約束通り死神が僕の分もごちそうしてくれて、僕たちは店を出た。そして、初めに出会った交差点まで戻って来た。
「それじゃ、私は行きますね。さっきも言った通り、私の姿があなたの視界から消えた瞬間に、あなたの記憶から私は消え去ります。でも心配しないで下さいね。あなたはそれから、ただ今まで通りの人生を歩んでいくだけです。」
「なんだか、お名残惜しいです。」
「はは、そんな言葉をかけてもらったのは初めてですよ。こちらこそ、お茶に付き合ってくれてありがとう。あなたにその時が訪れた時には、きっと私がしっかりお手をとって差し上げますから。心配しないで、それまで目一杯生きてくださいね!ではごきげんよう。」
僕は死神が遠ざかっていくのを、その背中がついに見えなくなるまで見送った。

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ショートショート続きになりますが、勢いでこちらも書き起こしてみたので載せさせて頂きます。今回も設定はあまり吟味できておらず、ダイナーやアイスののったアップルパイなどは思いきりアメリカですが(汗)さらりと流して読んで頂けると幸いです。