2017年10月1日日曜日

ベーグルの葛藤


今日はちょっと日常の小話を載せさせてください。ベーグルに関してちょっと悪いことをしてしまったなと思う告白です。。

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先日お昼過ぎから伴奏の仕事があったので、その前に洗濯を済ませるべく朝早く起きて出かけました(ニューヨークでは洗濯機が各家庭もしくはアパートの建物内にあることは稀なので、大概の人は週に数回まとめてコインランドリーで洗濯します)。

洗濯する朝は近所のベーグル屋さんで朝食を食べて良いことに決めているので、洗濯を回して、ベーグルを買いに行きました。そして公園について、さあ食べようと包みを開くと、ベーグルに挟んであるクリームチーズが頼んだものと違うことに気がつきました。「ああ、もしかして取り違えられちゃったのかな」と思いながらよく見ると、なんとサーモンまで入っていました。「これは…、そもそも価格の違うベーグルではないか!」朝の時間帯でお店は混雑していたし、取り違えが起こりそうな事は容易に想像できたのですが、もう公園までたどり着いて、すっかり食べる気分になっていて、それでもここは戻って「違いました。」と言うべきなのか。そうしたら「あ、ごめんなさいね。それじゃ作り直しますね。」ということになるのか。そしたらそこからまた5分、公園に戻って5分…。そうこうしてるうちに洗濯が出来上がってしまうのでゆっくり食べられない…。そもそも、もう取り違えられた別の方の人もどこかに行っちゃっているかもしれないし、持ち帰ったところでそんなに意味ないんじゃないか。私だってもう電車に乗って戻れない位の距離に行っていた可能性もあるし、買ったベーグルをしばらく開けずに気づかないことだってあり得るし。と思って、次の瞬間にはこれといった決心もなく食べ始めてしまっていました(!)食べるにつれて悪い事をしているような気がしてきましたが、もう遅いとわかっていたので結局食べ切ってしまいました。そして、罪悪感を背負いこんで一日をスタートしたのでした。。

まだクリームチーズが違っただけならそこまでの良心の呵責もなく、あまり考えもせずに食べていた(結局食べる。。)かもしれないですが、なにせ手元にあったベーグルが頼んだものより高かったので、その値段を払っていないということと、私よりも多く払った人の手元にその人の頼んだより質素なベーグルがあって、それがわかっていながらこれを食べるということはやっぱり悪い事のような気がしました(ごめんなさい)。とはいえ、渡されたものがそれであると信じて代金を払ってきたので、取り違えに関して私に責任はなかったはずだとも思いました。そしてもし取り違えられた向こうの人が戻ってこれる距離で気づいて戻ったなら、お店がもう一度その人の為に作り直してくれるはずなのです。。

そういう様々の葛藤の中で思ったのは、罪が罪であるかは実際微妙なラインで有り得るということでした。今回「もし帰れない距離まで行っていたり、気づくのが遅れたら戻ることはできないのだから。」と自分を正当化しようとしたのですが、でも今回に関しては実際その”もし”ではなくて、割とすぐに気づいてかつ5分程度で戻れる距離にいたのです。少なくとも褒められた行いではなかったなと反省しています。

予定外のトラブルが外側から入って来たとき、自分でコストを払ってそれを請け負う余裕があるのかどうか。自分も人にそうやって助けてもらって来たと思うので、そう努めるべきだと思うのですが、今回は「ああなってこうなって、こうなるかもしれなくて、これだけ時間がかかって。。」と想像すると、朝の予定を計画通りにこなしたい思いの方が強く、ちょっとできないかな、と思ってしまったのだと思います。

ちなみに、その後洗濯屋さんに戻るってみると、実はそこまで歩くのに時間がかからず、それならやっぱり戻ればよかったのかな。と思いました。人間は行動する前に想像でプレビューを作って実行するかどうかを判断するものだと思いますが、そのプレビューが往々にして実際と違うことがあるところが難しいなあと思いました。

ともかく、悪いことをしたと思ってそのベーグル屋さんに行きにくくなってしまいました。。。
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お付き合いいただきありがとうございました。