2013年5月20日月曜日

教育大の思い出

曲を書いていると色々なことを思い出すのですが、最近は教育大時代に受講したクラスのことを考えたりしています。

1つは「素描」というクラスだったのですが、「石」を可能な限り精密に描くという課題がありました。先生が「石は見れば見るほど見えるようになってくる。とにかく良く見て描きなさい」とおっしゃいました。その通りに取り組んでみると、初めはただ単に自分にとって「そこらへんによくある石」だったものが、その形、微妙に混じり合った色、表面のでこぼこに出来る影までどんどん見えるようになってきて、ついに愛着まで湧いてきて驚きました。それはあるいは、初めは散らかっていてもさほど気にならなかった部屋を片付け始めた途端、どんどん汚れや散らかりが気になって片付けが止まらなくなるのとも少し似ていました。。。

もう1つは「幼児教育」のクラスで、「どろだんご」づくりをした経験でした。担当の加用先生は「光るどろだんご」を研究されていて、クラスの受講生にもその一端を指導して下さいました。その制作過程の途中で「基本の形を整えてからは無理な力を加えず、その時々のどろだんごに適した細かさの砂を振りかけ、やさしくなぞり落とす。」という行程に感激しました。だんごの湿り気が、その時に必要なだけの砂を自分で吸着するので、無理な力をかける必要がないのだそうです。そうしてさらに時間をかけて丁寧に行程を重ねていくことで、最終的にはどろだんごが光りだすというのに感激しました。(光るどろだんごについて詳しくはコチラ

とてもランダムなようですが、作曲にもそういう側面はあるのかなあと考えています。書き始めは「今回はこんな曲を書きたい!」等と色々な理想を持って取り組み始めるのですが、結局はその時選んだ素材が成りたい姿をどこまで見極められるか、そしてそこに至る為にどれだけ色んな種類の「砂」を持っているか、ということなのかなあなどと思います。

教育大時代には色々と今でも考え続けるきっかけをもらったなあと思います。