2014年3月5日水曜日

4分33秒


先週末立て続けに友達の仕事の代行が入り、子どものコーラス、子どものミュージカルでの伴奏をする機会がありました。いずれも小学校低学年〜中学年の子ども達で、担当の先生方が子ども達を静かに課題に取り組ませるのに苦心しておられるのを見て、小学校で非常勤講師として過ごした日々を思い出しました。それと同時に頭に浮かんだのがジョン・ケージの『4分33秒』という曲でした。

これは1950年代初頭に偶然性の音楽を創始し活躍したアメリカ人作曲家、ジョン・ケージの代表作で、三楽章にわたるこの曲の"演奏中"、演奏者は1つも音を発さないという画期的な作品で、「無音」の音楽とも称される曲です。

教育大時代に初めてこの曲の存在を知ったとき、一体その作曲の意図はなんだろうと、とても衝撃を受けました。ケージによると

"The piece is not actually silent (there will never be silence until death comes which never comes); it is full of sound, but sounds which I did not think of beforehand, which I hear for the first time the same time others hear." (Quote from the letter from John Cage to Helen Wolff, Christian Wolff's mother.)

ということで、訳すとこんな感じになるかと思います。

「この曲は実のところ静寂ではなく(死が訪れるまで本当の静寂というものは訪れず、そのような死が訪れること自体があり得ない);沢山の音に溢れている。ただその音というのは私があらかじめ考えたものではなく、私自身もまた、他者がこの曲を聴く時まさに同じく初めて聴くのである。」(親交のあった作曲家クリスチャン・ウォルフの母親に宛てた手紙からの引用)

つまり、完全な無音はあり得ないとした上で、あえて音を発しない状態で大勢の人間が集まって耳を澄ました時に聴こえる全ての音がこの曲そのもの、ということのようです。

そこで思ったのですが、この曲を子どもの初等音楽教育の教材として取りあげることはできないだろうかと空想しました。鑑賞教材としてではなく、演奏教材としてです。

子ども達は音楽と言えば「音を出す事で作るもの」だと習慣的に捉えていると思うのですが、「静寂を作り出す事」もまた音楽なのだという概念を得たら、どうだろうかと思うのです。

小さな子どもたちが集まると、まるで鈴が鳴るように楽しいおしゃべりが広がります。そんな彼らは学校等の授業中等に「静かにしなさい!」と言われますが、どうすれば「静寂」を作り出せるかということを具体的に教えられることはあまりないように思います。そして誰もまったくしゃべらないという時間を3分以上全員で経験し、それを皆で耳を澄まして聴く事も稀なのではと思います。

先生も子どもも、「音を出すこと、出した音を聴く事」にのみ意識が向いているように感じます。

ケージが指摘したように、確かに生物の身体は生きている限り無意識に音を出し続けますが、「静寂」を作り出すことは、自らの意志で出す音を最大限コントロールすることであり、それは音をコントロールすることで奏でる「音楽」の一番シンプルな形態なのではないかと思います。(楽譜が読める必要も、楽器の奏法の習得も必要ないので)

そういう経験や積極的に作り出す「静寂」という概念の獲得を通して、理想的には彼らが「先生に注意されるから」ではなく、1つの授業を1つの曲と捉えて、音を出す場面だけでなく、静寂の役割も主体的に果たし皆が授業を通してその「演奏」に参加できるようになると良いなと思います。

現場の先生方で読んで下さっている方がおられたら無責任な空想をご披露して恐縮で、またすでにこのような試みがなされていたら研究不足でお恥ずかしい限りなのですが。。ただ先日の伴奏の経験で、静かに待っていられない子ども達と、それを大声で注意する先生という構図を見て、なんとかこれをポジティブに変えられないものだろうかと思い、そしてそこから発して音楽とは改めてなんなのだろうと考えるきっかけになりました。