2015年12月11日金曜日

英語について思うこと:表現が直接的でない①


英語で会話をしていて、ふと相手が何を言いたいのかわからなくなってしまう瞬間があります。単語の一つ一つは認識できている(少なくとも知らない単語が出てきた、という焦りは感じていない)はずなのに、その人の意図するところが意味として頭の中に構築されていかない感じです。

それでもやはり聞き漏らした単語があったのだろうかと思っていたら、SNSなどでの同年代の気軽な書き込みを読んでも、やはり時々意味がピンとこないことがあることに気づきました。

なぜなのか。

少し話が逸れますが、こちらに来てすぐの頃は、買い物に行ってお店の人に尋ねられる事がいちいち聞き取れなくてどぎまぎしたものでした。それは、お店でどういうことを聞かれるのかを知らなかったので、音だけを頼りに状況を理解しなければならなかった為だと思います。経験を経て様子がわかるようになってからは、「こういう状況では、大体こういうことを聞かれる」という知識を持って望むので、たとえ相手が言っていることを全部聞き取れなくても察しがついて、返答できるようになりました。

それと同じことが、会話の中でも起こっているのかなとふと思いました。つまりまだ会話の中で、どういう内容がどういう表現でなされるかの知識が足りないために、展開についていけていないのではないかと。そしてまた、単語自体は見慣れないものではないけれど、フレーズとして使われると別の意味を持つものや、また一つの内容に対して微妙に違うニュアンスを表す表現が数あることにも気がついてきました・・・。

ちなみにニュアンスについては、日本語も様々に微細な違いを表せる言語だと思っていたのですが、しかし何か少し印象が違います。

以前、英語について思う事(〜記号的〜)という記事で、日本語には表現のバリエーションがありすぎて個人的になりがちなので、特に何か指示をするような時には、記号的な性格を持つ英語の方が使いやすいのでは、と書いたことがありました。しかし今回このことを考えていて、日本語はそのように言い方にバリエーションがあるものの、もしかしてその表現の方向性自体は実はシンプルで直接的なのではないかと思いました。対して英語の方は、表現の仕方にバリエーションがあり、コミュニケーションの方向性は意外に遠回しなのではないかと。

例えば、"I like cats."(ネコが好き。)という内容で、そのバリエーションの傾向を比較すると、

日本語は、
「わたしはネコが好きです。」
「ぼくネコ好きなんだよなあ。」
「うちネコ好きやねん。」
と言い回しが変わるイメージで、

一方英語の方は
"I‘ve always been mad about cats."(もうずっとネコに夢中なんです。)
"I'm definitely a cat person."(絶対にネコ派です。)
"Life without my cats? I don't think so. "(ネコなしの生活なんて考えられない。)
と表現のアプローチ自体が変わるイメージです。少々極端な例かとは思いますが。。。

しかし、もしそうだとすると、英語のコミュニケーションにおいて、たとえば相手がネコ好きなら、きっと"I like cats."と言うはずだ、と思って待ち構えていても、それだけではその内容をキャッチできない可能性が高いことになります。

考えるほどに、なんだかこれは面白いなと思えてきて(なんとなく日本語の方が間接的で、英語の方が直接的なイメージを持っていたので)、英語ネイティブの友人何人かに、このことについて聞いてみました。次回に続きます。